『サンガジャパンvol.27 特集「禅」』(2017年に読んだ仏教本より)

Twitterで書き散らしてた読書メモまとめ。その2は『サンガジャパンvol.27 特集「禅」』です。

禅ー世界を魅了する修行の系譜ー(サンガジャパンVol.27)

禅ー世界を魅了する修行の系譜ー(サンガジャパンVol.27)

 

『サンガジャパンvol.27 特集「禅」』では、アルボムッレ・スマナサーラ長老の連載「パーリ経典解説3 スッタニパータ(経集)第五「彼岸道品」二、ティッサ・メッテイヤ仙人の問い」で構成を担当しました。注目の特集「禅」はどの記事も読み応えありましたよ。

f:id:ajita:20171202144033j:plain

特集記事は、スマナサーラ長老と藤田一照師対談「テーラワーダからみた禅」(連載第一回)から始まって、デイヴィッド・チャドウィック「鈴木俊隆老師とビートニクの詩人たち」、鈴木老師のご子息である包一師インタビューは歴史の証言として貴重なものです。

円覚寺管長の横田南嶺インタビュー「求道と救済」では、横田師が日本の仏教者には珍しく「戒(シーラ)」の意味をしっかり捉えていることに唸らされました。後半『延命十句観音経』の話になると、なんだかなぁと微苦笑しちゃったけど……。(;^_^A

井上貫道師インタビュー「決着がついたら自由になる」は本当に味わい深く、星飛雄馬さん「井上義衍老師伝」も大変勉強になります。それから臨済宗では妙心寺派の細川晋輔師インタビューも興味深かったです。公案にガチで取り組むとはどういうことか、語られていて面白い。また、曹洞宗では年上僧侶への敬称程度になっている「老師様」が臨済禅でいかに重要で大切にされているかと強調しています。

次に出てくる人間禅とかいうのは……う~ん、反面教師としか言いようがないですな。

中村龍海「”ZEN”の起源」、星飛雄馬「禅ブックガイド」で特集記事は手堅く終了。連載記事は自分の担当以外はあまり興味を惹かれないので論評を控えておきます。しかし、経典どころかスリランカの史書までも完全無批判に文字通り信じ込もうとしてる藤本晃さんの筆致には、一抹の心配を感じます。(最近、佐々木閑×宮崎哲弥『ごまかさない仏教』で名指し批判されとりましたが……)

naagita.hatenablog.com

今回の特集記事を全体的に俯瞰すると、いわゆる禅宗の最大宗派である曹洞宗が(井上師などの傍系を除いて)修証一等という道元思想のミスリードで自縄自縛となり、「おすわりワンコ教団」(某師談)に堕しているところを何とかしたい藤田一照師とスマナサーラ長老が肝胆相照らしたところで、ようやく日本でも光があたった鈴木俊隆師の米国での軌跡をたどり、日本にいまも脈々と生きづく「元気な禅」の姿を紹介していくという流れかな? サンガジャパンvol.27 特集「禅」とてもいい企画だったと思います。

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

佛教史学会編『仏教史研究ハンドブック』法蔵館(2017年に読んだ仏教本より)

Twitterで書き散らしてた読書メモを年末に向けてまとめたいと思います。2017年に読んだ仏教本の記録として。まずは佛教史学会編『仏教史研究ハンドブック』法蔵館です。

仏教史研究ハンドブック

仏教史研究ハンドブック

 

インド、アジア諸国・地域、中国、朝鮮半島、日本の仏教の歴史と教義がつめこまれた便利でコンパクトな一冊。仏教史を学び始めたい人、幅広く知りたい人に最適!

版元ページに詳細目次が載ってます。

www.hozokanshop.com

これはすごい。日本仏教編では第4章がまるまる「日本近代」とな。20年前だったら想像だにつかない研究トレンドの変化っすな。(^^♪

その一方で、第1部第1章「インド」は日本その他仏教圏で用いられた”素材”としての仏典編纂史をなぞっているだけで、インド仏教の展開を通史的に捉える視座は皆無。勿論アンベードカルによる近代仏教復興運動は本文でも巻末年表でもガン無視。第1部第2章「アジア諸国・地域」も、やけにあっさり。

第2部「中国」「朝鮮半島」は日本への影響が大きい地域だけにバランスよい概説になっていると思う。まだまだざっと眺めただけの印象だけど、分野ごとの記述の偏りを感じ取るだけでも、現代日本の研究者たちが仏教史にそそぐ眼差しのありさまが伝わってきて面白い読み物です。

ちなみに第3部「日本」第4章「日本近代」(3)「異文化接触」 3「来日仏教徒」を吉永進一先生が執筆されているのですが、参考文献欄に拙著『大アジア思想活劇』サンガ,2008 を挙げて下さっています。いつもありがとうございます。m(_ _)m

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

 

島田裕巳『天皇は今でも仏教徒である』サンガ新書 象徴天皇の「菩薩行」とは?

島田裕巳さんの新刊『天皇は今でも仏教徒である』サンガ新書、読みました。

天皇は今でも仏教徒である (サンガ新書)

天皇は今でも仏教徒である (サンガ新書)

 

これまで天皇が、自らの信仰は仏教であると公言したことはない。しかし、明治に入るまで、天皇の信仰の中心にあったのは仏教にほかならない。古代から中世にかけて、代々の天皇は仏教に対する強い信仰を持っていた。代々の天皇の熱心な信仰がなかったとしたら、果たして日本の社会にこれだけ仏教は浸透したであろうか。天皇の仏教信仰は、個人的な次元にとどまらず、日本社会全体に多大な影響を与えたのである。天皇が象徴行為を模索した背景には、仏教を信仰して菩薩行に励んだ光明皇后貞明皇后がいるのではないか。天皇と仏教との関係は深い。その関係がいかなるものか、本書において明らかになる。

主要目次:

1 近代が大きく変えた天皇の信仰
2 なぜ天皇は仏教を選んだのか
3 仏教にのめりこむ代々の天皇
4 天皇と仏教界の深い結びつき
5 なぜ天皇は仏教の信仰を失ったのか
6 近代の天皇と宗教
7 象徴天皇の菩薩行

◆よいところ

「歴代天皇と仏教信仰」あるいは「皇室と仏教」という、あまり触れられることのなかった日本史の太い縦糸を古代から近代まで通史的に概観できる、便利でありがたい本だと思います。去年の「ひじる仏教書大賞」に輝いた『近代仏教スタディーズ: 仏教からみたもうひとつの近代』法蔵館でも、天皇あるいは皇室と仏教の関係を扱う項目は見事に抜け落ちていましたからね。

近代仏教スタディーズ: 仏教からみたもうひとつの近代

近代仏教スタディーズ: 仏教からみたもうひとつの近代

 

ネットでも内容の一部が読めます。

president.jp

◆いまいちなところ

ただ、新書という制約はあれど、肝心の表題「天皇は今でも仏教徒である」の論証はちょっと弱いので、状況証拠をもっと提示してほしかったところです。基本的には山口百恵は菩薩である」というのと同じ類の願望含みの断定(当時のノリはよく知らんけど)から脱しきれていない気もしました。

史記述についても不満がのこります。明治維新の際、還俗の圧力に抗して仏教信仰を貫いた日榮尼ら3人の皇族出身女性についてまったく触れられていないのは(ページ数の制約のせいでしょうが)いささか寂しく思いました。かなり劇的で盛り上がるエピソードのはずなんですけどね。

naagita.hatenablog.com

昭和天皇と仏教との関わりについても、具体的な記述は見当たりません。しかし昭和天皇最晩年の御製「夏たけて堀のはちすの花みつつ仏のをしへおもふ朝かな」はよく知られていますし、日本の敗戦に際して天皇仁和寺で出家(退位)させて戦争責任追及を免れようという珍妙な計画が練られた話も昭和史マニアには有名です。そのへん、あっさり割愛されているのはなぜだろうと首をかしげてしまいました。

実は、かつてスマナサーラ長老と一緒に伊勢神宮を参拝した際にガイドしてくれた神宮広報の方が、昭和天皇は晩年には仏教に惹かれていたとやけに強調されていた(リップサービスかも知れませんが、神宮と仏教の深い関係を詳しく説明してくれました)ことが記憶に残っていたので、ちょっと肩透かしを食らった感じがしました。

◆象徴天皇の「菩薩行」とは?

現代の天皇は「主権の存する日本国民の総意に基く」(日本国憲法第一条)日本国の象徴です。いまの天皇の信仰について論じた(想像をたくましくした)最終章は「象徴天皇の菩薩行」と銘打たれており、日本人の宗教観(日本国民の総意)のありかを問い直す射程の長い考察になっています。味わって読みたいところです。

平和憲法を体現した象徴としての天皇の行為(被災地への見舞い、追悼と慰霊の旅など)を「菩薩行」と位置づけた島田さんの結論は、決して奇をてらったものと言い切れないでしょう。ただ、いまの天皇の行動に仏教の影響を見出そうとするならば、美智子皇后の思想や交友関係について、もうちょい触れてほしいと思いました。

僕の乏しい知見から具体的に挙げるならば、美智子皇后鶴見和子南方熊楠研究)、そして鶴見和子との縁で引き合わされた石牟礼道子(『苦界浄土』)と美智子皇后の交流に言及することは避けてはならないのではないかと思います。

水俣における菩薩の「授記」

2013年10月に実現した、天皇皇后と水俣病患者たちとの会見と対話は、鶴見和子を偲ぶ会で皇后と隣り合わせた石牟礼道子が、皇后宛に送った手紙がきっかけとなったものでした。その経緯は、高山文彦『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子講談社で詳しく検証されています。(ただし、高山さんの本では「美智子皇后と鶴見〔和子〕のつながりはどのようなことかわからないが」とあっさり流していて、ズッコケました。そこ、大事なとこと違うんかい!)

ふたり 皇后美智子と石牟礼道子

ふたり 皇后美智子と石牟礼道子

 

水俣病患者資料館語り部の会会長である緒方正実さんの講話に耳を傾けた天皇は、緒方さんの顔をじっと見て、このように自ら言葉を発しました。

「ほんとうにお気持ち、察するに余りあると思っています。やはり真実に生きるということができる社会を、みんなでつくっていきたいものだとあらためて思いました。ほんとうにさまざまな思いをこめて、この年まで過ごしていらしたということに深く思いを致しています。今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています。みながその方向に向かって進んでいけることを願っています」

news.kodansha.co.jp

天皇の言葉に出てくる「真実に生きる」とは、緒方正実さんの講話の内容を受けたものですが、これはもう般若波羅蜜の宣言ではありませんか!*1

島田裕巳さんの仰るように、天皇が「菩薩行」を志向しているのだとするならば、天皇がそれをはっきり自覚したのは、この水俣への旅だったのではないかと思うのです。菩薩として生きる決意を固めた天皇と皇后の面前にいたのは、大乗仏教の言葉を使うならば「代受苦の菩薩」とも言うべき人々だったのではないでしょうか?

教理学的にはあり得ないことなので、あえて文学的表現として言いますが、天皇に菩薩としての授記を与えたのは、人間の尊厳をかかげ闘い続けた彼ら「代受苦の菩薩たち」だったのです。

いまの天皇の父である昭和天皇の戦争責任、水俣病の惨禍を引き起こした公害企業チッソと皇室との深い人的関係などを思うならば、天皇と皇后の「菩薩行」が雲上から民衆に慈悲や救いの手を差し伸べる「衆生救済」という姿勢で実践できるものであり得ないのは明白でしょう。

ですから、象徴天皇の「菩薩行」とは、市井に生きる「代受苦の菩薩たち」への礼拝行(菩薩が菩薩を礼拝する)に他ならないのではないか、と調子に乗って拡大解釈したくなるのです。

◆妄想ヤバイ!

( ゚д゚)ハッ! ……あんまり妄想を拡げすぎると最近の柄谷行人みたいなあれな感じになるので、もう止めましょうね。自らを語ることを極端に制限された天皇について、あれこれ願望や妄想を投影するのは、なかなか罪深く危険なことです。

いずれにせよ、本書の大雑把な問題提起を呼び水として、近現代の天皇や皇室と仏教の関係を解明する研究者が現われることに期待したいと思います。というわけで、島田裕巳天皇は今でも仏教である』サンガ新書、大いに思考(妄想)が触発される新書本でした。読んで、それぞれ考えてみましょう。

 

追記:本書でも参考文献に挙げられていたと思うけど、『史淵』149号に載っている山口輝臣『天皇家の宗教を考える : 明治・大正・昭和』(pp. 21-47, 2012-03-09. 九州大学大学院人文科学研究院)は、近代化以降の皇室と仏教の関係を知る上で必読ですね。九州大学附属図書館HPからPDFを読めます。

天皇家の宗教を考える : 明治・大正・昭和 | 九大コレクション | 九州大学附属図書館

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

*1:もちろんパーリ仏教の十波羅蜜における真諦波羅蜜 Sacca pāramī のほうが相応しいと思いますけど、知名度が……

佐々木閑×宮崎哲弥『ごまかさない仏教 仏・法・僧から問い直す』新潮選書 ~知的探求を通じて仏教への愛(pema,prema)を育む~

佐々木閑さんと宮崎哲弥さんの対談新刊『ごまかさない仏教 仏・法・僧から問い直す』(新潮社,新潮選書)を読みました。結論からいうと、たいへん読みどころの多い良書です。

ごまかさない仏教: 仏・法・僧から問い直す (新潮選書)

ごまかさない仏教: 仏・法・僧から問い直す (新潮選書)

 

宮哲さんが巻頭言をユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』の引用からはじめているあたり、掴みはバッチリ。ちなみにハラリはヴィパッサナー瞑想の熱心な実践者です。仏教徒と公言しているわけではないようですが……。

本書でもっとも印象的だったのは、佐々木閑さんが仏教学者の藤本晃さんを名指しして「テーラワーダ歴史原理主義者」として強く批判していたことです。(165p仏教に輪廻は必要なのか,284p~295pテーラワーダ原理主義化/藤本晃氏の言説が含む問題点)

テーラワーダ仏教の「強信者」と言えるかも知れない僕も、藤本晃さんの最近の論調(初期仏典どころかスリランカの史書まで一言一句無批判に絶対視する姿勢)はちょっと無茶すぎるよなぁと思っていたので、批判自体は「そうだそうだ!もっとやれ~!」という感じで受け止めています。

もちろん藤本晃さんの主張が全部トンデモというわけではなく、仏教学の方法論に関する重要な論点も含んでいると思うので、佐々木閑さんとは論文の応酬や学会パネルなどでガチに四つに組んで論争してほしいものです。

全体的に見ると『ごまかさない仏教』は仏教書不作に思える今年に出たなかでは光ってる本だと思います。ただ、業報と輪廻について何としても拒絶したがるお二人のいつもの拘り(165p~)にはなんだかなぁ、という感想を禁じえません。(;^_^A

あと、四沙門果に関する議論(109p~)では、覚りの階梯と十結(五下分結と五上分結)との関係にまったく触れないまま珍説を弄んでいて、正直苦笑してしまいました。繰り返しますが、いくつかのミスリードを除けば、お二人の該博な知識知見と志の一端を垣間見れる概ね有意義で楽しい本だと思います。

宮崎哲弥さんがスマナサーラ長老の言葉を引きつつ哲学者・永井均さんの無常に関する「誤解」(というか難癖?)を一蹴しているくだりは鮮やかでしたし、橋爪大三郎さんと大澤真幸さんの対談本『ゆかいな仏教』(サンガ新書)を公開処刑よろしく糾弾していたのも素晴らしかった。!(^^)! ほんと、どうしようもない本ですからね。わいの筆誅は以下のブログ記事にて。

naagita.hatenablog.com

藤本晃説との絡みでいうと、佐々木閑さんは同書で「廻向の導入こそが大乗仏教の根源」(221p)と言い切ってて、藤本さんの功徳廻向に関する新説を完全無視してますね。宮崎哲弥さんもツッコまない……本人読んだらここが一番ショックかも(笑)。

仏教の正しい先祖供養: 功徳はなぜ廻向できるの? (サンガ新書)

仏教の正しい先祖供養: 功徳はなぜ廻向できるの? (サンガ新書)

 

宮崎哲弥さんの発言でいちばんエモくてグッときたのは、274pの"なぜ「釈迦の殺人行為」は大乗にいたるまで伝承されてきたのか。"というくだりですね。ぜひ味わって読んでください。

上述のように佐々木閑さんは『ごまかさない仏教』終盤で激烈な藤本晃批判を展開していて、日本のテーラワーダ仏教があんな歴史原理主義的に傾くのは心配だ……と憂いてます。 それに対して宮崎哲弥さんが「スマナサーラ長老がそのような硬直的な態度を採ることはないと思います」とフォローしてるのも面白かったですね。

佐々木閑さんといえば、彼の新書本『日々是修行』について、2009年にブログで完璧な書評(当社比)をものしたことがありました。いまだったらもっとゆるふわに書くと思うけど、この頃は血気盛んだったからなぁ。ほんとに筆誅を加えるつもりで書きましたよ(笑)。

naagita.hatenablog.com

このブログ書評が何か影響を与えたのかどうかわかりませんが、その後、佐々木閑さんが現存のテーラワーダ仏教を指して小乗仏教という差別語・侮蔑語を用いることは無くなったようです。(全部の著作を読んだわけではないですが……)

佐々木閑さんに限らず、ほんの10年くらい前まではインド哲学仏教学の研究者が「小乗仏教」という明らかにマイナスの価値の入った差別語・侮蔑語を使っても看過されるという、非常に情けない状況があったんです。(現役研究者も関与してたので、学界内部では無かった歴史として忘れ去られるでしょう。)

なぜかと言えば、だれも文句を言わなかったからです。文句を言われるかもという発想すら無かったんです。東南アジアやスリランカ仏教徒は日本語など読まんだろうし、世界に冠たる経済大国で援助国の日本人様に楯突くこと言うはずない。ましてや日本人で小乗仏教を信じるバカなどいるはずないだろと。

だから延々と、小乗仏教と言い続けていたんです。そういう点では1970年代から東南アジアやスリランカに入っていった文化人類学者の研究者のほうが、よりフラットな眼差しでテーラワーダ仏教を紹介していたと思います。最近『上座仏教事典』に結実した学際的な研究の流れも、彼らの触発によるものが大きかったと思います。

上座仏教事典

上座仏教事典

 

これは見方を変えれば、大乗仏教優位説にすがりつく伝統宗学の情念が、より客観的・実証的・価値中立的なスタンスを求められるインド哲学仏教学の他分野にも流れ込んでいた、ということです。近代日本の仏教学も、いかに大乗仏教の正統性を学術面で裏付けるかという危機感によって形成されましたから。

でもね、そりゃしょうがない話ですよ。だってインド哲学仏教学やってる人たちは大半が日本仏教のお寺関係者ですから。佐々木閑さんだって、「僕は理系出身だから〜」とか言って畑違いを強調してるけど、ホントは真宗高田派のお坊さん(現役の住職)ですからね。生まれついての業界人やんけ!

佐々木閑さんの場合は実は「良心的」で、彼独自の初期仏教観(そもそも仏教は社会不適合者のための病院、サンガはニートの集いetc)に基づいて、「大乗世界の人たちから「小乗」と蔑まれてきた釈迦の仏教を、「その「小乗」という言葉ごと、名誉回復したい」という善意から(ほんとかね?)日本のクォリティペーパーを誇る朝日新聞紙面の連載でもって小乗仏教小乗仏教と書き続けたわけです。

でも、そんなの自分の学者としての良心のやましさと業界空気読みを折衷したどうでもいい曲芸言説ですよね? 当事者からすれば、「なに高尚ぶって滑ってるんだよ、さむいわ!」で終わりです。

それどころか、「あえて使っている」というエクスキューズを入れれば「小乗仏教」と言っていいんだ、という新たな差別語の固定化をも企図してたわけです。良心的といったけど、こう分析して見ると、佐々木閑さん超タチが悪いじゃん。野望打ち砕いといてよかったわぁ……って、うがった見方過ぎますね。

とにかく、誰かが声を上げなければ理不尽な差別はいつまでも残るし、ほっとけば専門家の手によって再生産され続けます。俗世の高みにいるように見える研究者もまた、属する業界の秩序・構造に組み込まれているから、業界のノリに冷水を浴びせてまで「差別はやめよう」という勇気は出てこないんです。

不公正に対して黙っていてはいけない、とは実は引っ込み思案だった(驚愕の事実!)某長老に対して師匠がかけた言葉だそうです。不公正に対して黙っていてはいけないし、黙ることをやめれば(やめ続ければ)、状況は確実に動くものです。小さな事例かも知れませんが、僕はそれを身をもって知りました。

昔話が長くなってしまいました。パーリ相応部大篇サラカーニ経のなかで釈尊は、仏道修行して解脱に至らなかったとしても、仏法への僅かな知的理解を得たり、またはブッダへの敬愛・愛情を抱いたりするだけで、死後は決して悪趣に堕ちることはない(あの世でも幸福になれる)と太鼓判を押しています。

その教えを踏まえれば、「仏・法・僧」の掌中をうろうろしつつ、知的探求を通じて仏教への愛(pema,prema)を育める本書を読むことの功徳は決して少なくないと思います。

というわけで、佐々木閑×宮崎哲弥『ごまかさない仏教 仏・法・僧から問い直す 』新潮選書、おススメです!

ごまかさない仏教: 仏・法・僧から問い直す (新潮選書)

ごまかさない仏教: 仏・法・僧から問い直す (新潮選書)

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

 

中島岳志『親鸞と日本主義』がすごい!

中島岳志親鸞と日本主義』新潮選書
親鸞と日本主義 (新潮選書)

親鸞と日本主義 (新潮選書)

 

読了。これはすごい本だと思う。

仏教超国家主義の関係はもっぱら日蓮主義の系譜が問われてきたが、大学や論壇に苛烈な「思想戦」を仕掛け恐れられたのは浄土真宗の開祖、親鸞の教えに立脚した三井甲之や蓑田胸喜といった右翼知識人グループ(原理日本社)だった。序章「信仰と愛国の狭間で」と、1章 「『原理日本』という悪夢」では、中島本人がそれを知った時の衝撃を追体験できる。
3章「転向・回心・教誨」では、官憲に協力して共産主義者を次々と「転向」させた教誨師(真宗僧侶で構成)の活動に触れる。自分も外来宗教なのに、キリスト教共産主義など外来思想への防波堤を自認し、日本主義の権化となった仏教、とりわけ浄土教の魅力とはなんだったのだろうか?
5章「戦争と念仏――真宗大谷派の戦時教学」に引用される禍々しい教義に触れると、人間の……というより真宗の「宿業」の深さを感じてしまうな。浄土真宗という宗教運動の業の深さに、日本国そのものが呑み込まれてしまったかのようにさえ思える。(勿論、実際はそんな単純な話ではないが。)
戦後、真宗大谷派の宗務総長に収まった暁烏敏曰く、
夜は明けてをります。世は慈悲に満ちてをります。かういふ貴い世界に住んでをつて、何をごてごて云うてをりますか。何をいざこざ嘆いてをりますか。汝の高ぶりに気附け。汝の無自覚を恥ぢよ。そして偉大なる皇国の前に跪け。
天照大神様の御力の前に跪くこと以上に、まだえらい阿弥陀様といふものをかざつておるなら、そんなものは外国にいくがよい。
ヒトラー礼賛やホロコースト否定で国際的な非難を浴びている高須克弥さん(真宗大谷派僧侶)もビックリの発言だが、敗戦後に捨てられた戦時教学とは、かくも非仏教的なシロモノだった。
そんでもって大東亜戦争の惨敗で戦時教学が破綻した後、それを喧伝していた真宗人たちは自らの宗教活動の業深さを「人間一般の業深さ」にすり替えて、一億総懺悔で過去をリセットしちゃうのである。なんちゅうか、いろんな意味でついていけない。^^;
やはり親鸞に傾倒し文芸を通じた日本主義の啓蒙に従事した吉川英治(4章で詳述)が敗戦後「もう一行も書けない」と悲嘆した(実際は書き続けたんだが)ような、あるいは蓑田胸喜が自殺したような、わかりやすい凡夫の神経とは異質な、底なしの闇が、真宗人(末端信徒ではなくプロの人々)の精神性を支えているようにも思えるのである。
自己の言説を自ら裏切り続けることで、自らの宗教的境地が深まるかのような不思議な構造。しかし彼ら真宗人(プロ仏教者)は独りごちていたわけではなく、天皇陛下万歳と南無阿弥陀仏を同化させ、更に天皇の他に阿弥陀仏を立てる者は日本から去れ!と叫び、それが浄土真宗の極意だと喧伝した当事者だ。
一向一揆の昔から、彼らプロの真宗人たちは、末端の門徒を戦争に動員してきた側の存在だ。しかし彼らは末端の門徒たちに対して発言の責任を持たないし、感じない(彼らは生前、門徒への説明責任は一切果たさなかった)。阿弥陀仏の本願の前に極悪極愚なる自己を確認して「救済の確信」を深めるだけだ。
僕はその構造に戦慄するほどおぞましきものを感じるし、知識階層の「宿業」というものがあるとするならば、それを体現するのは彼ら真宗人であろうと思う。果たして阿弥陀如来は彼らを進んで済度の対象とするだろうか?
ここで僕は、大乗仏教の成り立ちにまで遡るある「暗さ」を思わざるを得ないのだ。
大乗仏教は自己の覚悟を措いてでも「衆生の救済」を果たすべきことを説く。しかし彼らを突き動かした心的衝動(サンカーラー)の正体は、自己の覚悟を放棄して他者救済を叫ぶことによって得られる「自己の救済」への渇望ではなかったのか? 大乗仏教の極致といえる浄土真宗の戦時教学において、 その心的衝動は剥き出しの形で露呈したのではなかろうか?
別に便乗して何かを述べたかったわけではなく、ずっと以前から感じていたモヤモヤが『親鸞と日本主義』を媒介にして初めて像を結んだように思う。
勿論、大乗仏教の一般的教理と、近代真宗教学という形でブースターをかまされた親鸞思想の間に遠大な距離があると承知している。もう少ししっかりしてした理路を探る思いつきに過ぎない。それでも、「万人の救い」を説く者の心裏に息づく「たった一人の救済」への渇望を彼らに嗅ぎ取ってしまったのだ。
終章「国体と他力――なぜ親鸞思想は日本主義と結びついたのか」で語られる、
多くの親鸞主義者たちが、阿弥陀如来の「他力」を天皇の「大御心」に読み替えることで国体論を受容して行った背景には、浄土教の構造が国学を介して国体論へと継承されたという思想手構造の問題があった。(p282)
という一文は、本書のハイライトだろう。
この分析自体は阿満利麿の論考を踏まえているが、近代真宗教学を確立した俊英たちが(時局の圧力はあったにせよ)権力構造に完全に従属し、阿弥陀如来への信仰までを振り捨てて天皇制国家への同化解消を遂げた奇怪さおぞましさ不条理さを一定程度「わかりやすく」してくれる。
中島岳志親鸞と日本主義』新潮選書、仏教クラスタのみならず、ひろく人文書読みにおススメしたい刺激的な一冊だ。「仏教ブームと右傾化が同時的に進行する現代」(序章,p28)と中島は記すが、実は前世紀の昭和初期も「仏教ブームと右傾化が同時的に進行する」時代だった。
テーラワーダ仏教の日本伝道を通じて、十数年来その「仏教ブーム」に竿さしてきた僕は、「仏教ブームと右傾化が同時的に進行」した昭和初期の状況と現代を常に対照しつつ、過去の再現に抗うべく自分の振る舞い方を選んできた。中島岳志も似通った問題意識を持っているとを知れたのは本書の収穫だった。
 
………以下余談だけど、
"親鸞は「自分は真理を知っている」「自分は正しい」と言う人にめっぽう厳しく、「自分は真理を把握することなんてできない」「何が正しいかわからない」と悩み苦しむ人に、とびっきりやさしい。「自分だってよくわからばい」とささやき、庶民の素朴な嘆きに寄り添ってくれる。"p228
こういう親鸞像って、「何が正しいかわからない」という態度で知的誠実さを装い、差別と被差別、被害者と加害者、ファクトとフェイク、権力の非対称性など、明確に分別して論ずべき問題まで相対化し、どっちもどっちと冷笑するネット民とも非常に相性いいんだよね。現代の「本願ぼこり」と称すべきか。
 
そういうトラップを突破しながら、前に進まなくてはいけないと、僕は思っています。

『中外日報』2017/6/30号に「テーラワーダ仏教と日本(論 近代日本の宗教11)」を寄稿

宗教専門の老舗新聞『中外日報』2017/6/30号に「テーラワーダ仏教と日本(論 近代日本の宗教11)」を寄稿しました。拙著『大アジア思想活劇: 仏教が結んだ、もうひとつの近代史Kindle版のPRをしつつ、表題テーマについて概観した文章です。掲載先からお許しをいただいたので、全文をブログで公開します。

追記:中外日報さんのホームページにも記事が掲載されました。

www.chugainippoh.co.jp

f:id:ajita:20170706155424j:plain

中外日報』論 近代日本の宗教11(2017/6/30号)

テーラワーダ仏教と日本

佐藤哲朗日本テーラワーダ仏教協会 編集局長)

 

このほど、拙著『大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史』(二〇〇八、サンガ)を電子書籍化しました。同書は明治維新に伴う廃仏毀釈で大きな打撃を受けた仏教界が復興を模索する過程で、それまで「小乗仏教」と観念的に軽侮してきた南伝上座仏教テーラワーダ仏教)を奉じるスリランカ仏教復興運動と邂逅した歴史の細い糸を辿ったものです。電書版の編集過程で、改めて近代史における仏教国際交流の意義について考えさせられました。以下、いくつかのキーワードに沿って論じたいと思います。

アジアからの風、アメリカという権威

拙著では、二人の海外仏教者に焦点を当てました。一人はアメリカ出身のヘンリー・スティール・オルコット(1832-1907)、もう一人はスリランカ出身のアナガーリカ・ダルマパーラ(1864-1933)です。前者は神智学協会の創始者で、南アジアに渡ってスリランカ仏教の復興及び近代化を指導しました。後者はそのオルコットに見出された仏教活動家です。明治20年代初頭、白人の仏教指導者であるオルコットを日本に招聘する運動が京都仏教徒グループで盛り上がりました。仏教が欧米のキリスト教に劣らぬ宗教であることを証明するために。明治22年(1889)に実現したオルコット来日は一時的な仏教ブームを巻き起こします。随行のダルマパーラは高楠順次郎(1866-1945)らと友情を結び、生涯で四回来日して仏教徒の連帯と反植民地主義を訴え続けました。「瀕死」の日本仏教に新たな活力を与えたのは、アメリカ人オルコットとその従者たるアジアの仏教者であり、彼らを触媒として南北に離散した仏教世界は一つに結びつけられたのです。それから50有余年のち、第二次世界大戦で米国を盟主とする連合国に大敗した日本はアメリカの下流域国家として国際秩序に組み込まれ、米国は物心両面で権威の源泉となりました。近年の日本では、テーラワーダ仏教圏の修道体系がアメリカ経由の「マインドフルネス瞑想」として権威づけられ広く受容されています。これは明治22年、京都の知恩院パーリ語三帰依五戒文を唱えて仏教界に衝撃を与えたオルコット来日から、仏教史の大きな流れで繋がっているように思えます。

マインドフルネスと「念」解釈の変容

戦後の1950年代、ミャンマーで瞑想の大家として名高いマハーシ長老(1904-1982)のもとに日本曹洞宗の青年僧侶たちが参じ、ヴィパッサナー瞑想を学びました。しかし、彼らが日本でその教えを紹介することはありませんでした。当時、日本の仏教者はテーラワーダ仏教を「戒律仏教」と見なす認知バイアスに囚われており、瞑想実践への関心は皆無に等しかったのです。日本でいわゆるヴィパッサナー瞑想(観の実践)が広まったのは、主に一九九〇年代です。指導者はスリランカミャンマー出身の僧侶、あるいは当該国で修行を積んだ在家者でした。それが二十一世紀になってから、アメリカのマインドフルネス瞑想ブームにのって一般化したのです。前述のように、戦後日本はアメリカの下流域国家であり、スピリチュアルな権威もまた米国のお墨付きがものを言います。その米国仏教には、1893年のシカゴ宗教大会以来、本格的に進出した日本の禅仏教関係者も大きな影響を与えました。なお、マインドフルネスは仏教用語「念(サティ)」の英訳ですが、このマインドフルネス及びアウェアネスからの重訳語である「気づき」が、伝統的な「念」解釈にも影響を与えています。従来、八正道の正念は「正しい記憶」「正しい思念」など、具体的な実践と結びつき難い単語に訳されていました。テーラワーダ仏教のサティ概念が(英語経由で)移入されたことで、仏道実践の要諦たる「正念」の実践が、「気づき」なる日常語とともに一気に普及したのです。

仏教ナショナリズム

ダルマパーラは全世界の仏教徒にインド・ブッダガヤ大菩提寺の奪還闘争(この運動は日本からインドに帰化した佐々井秀嶺師に継承され、一定の成果をあげた)を呼びかけた汎仏教主義者であるとともに、仏教徒が多数派をしめるシンハラ民族に依拠したシンハラ仏教ナショナリズムの祖でもあります。*12009年に終結したスリランカ内戦は、仏教徒シンハラ民族とヒンドゥー教徒タミル民族の対立として報じられました。最近では、ミャンマー仏教徒によるイスラム教徒ロヒンギャ民族の迫害を告発する報道も頻繁に目にします。現在、仏教ナショナリズムの問題がテーラワーダ仏教圏で頻発しているのは事実です。三宝帰依を天皇制国家への絶対的献身へとすり替えた黒歴史は日本仏教に大きな傷を残しましたが、スリランカにせよミャンマーにせよ仏教徒(および仏教を奉じる民族)は多数派であっても全体ではあり得ません。宗教的ナショナリズムを貫徹すれば、その他の少数派グループは論理的帰結として排除・殲滅に追い込まれるのです。上座仏教圏の宗教ナショナリズムは、仏教を含む諸宗教が天皇制カルトへの同化を強いられた日本の前例とは異なる毒性を胚胎しています。一切衆生の幸福を願う世界の仏教者は、誰もが脛に傷を持つ自覚のもと、宗教ナショナリズムの克服に向けて尽力すべきでしょう。

日本人の仏教となったテーラワーダ仏教

いわゆる近代仏教史の範疇では、日本におけるテーラワーダ仏教移植の試みはいったん潰えています。真言宗の釈興然(1849-1924)は、明治23年(1890)に留学先のスリランカで具足戒を受けて比丘となり、帰国後は外護者を得て日本人留学僧をスリランカに送り出して日本人比丘サンガ設立を期したが挫折しました。興然の挫折からほぼ100年を経た現代、数十名規模のテーラワーダ仏教比丘が日本に滞在しています。居留民コミュニティに依拠する外国人僧侶、海外で出家後に帰国した日本人比丘が大多数ですが、日本国内に設定された戒壇で受戒した日本人比丘もいます。実質上、日本にもテーラワーダ仏教サンガが成立していると言えるでしょう。彼らを支える裾野として、テーラワーダ仏教に帰依あるいは強いシンパシーを持つ日本人も万単位で存在すると思われます。テーラワーダ比丘による法話やパーリ仏典に関する日本語の出版やネット情報も、既成仏教を凌駕する勢いです。この潮流が逆転することは、もうないでしょう。日本でテーラワーダ仏教が受容された遠因に、増谷文雄、中村元などの書籍を通じて普及した「原始仏教」ブランドに合致したことが挙げられるでしょう。近代的「原始仏教」イメージに由来する合理性の強調と、アメリカとアジアの合作であるマインドフルネス実践のセットは、テーラワーダ仏教をスマートな非宗教的な実践体系として日本人に受容させました。とはいえ伝統的な宗学で再生産された「小乗仏教」への偏見も根強く、日本におけるテーラワーダ仏教の受容には、常にプラスとマイナスの鬩ぎあいがありました。明治の開国以来かなりの時間を要しましたが、ここ十年ほどで、テーラワーダ仏教は移民コミュニティの仏教から「日本人の仏教」に成長したと言えるでしょう。その一方で、東南アジアやスリランカ仏教に触れた人々の中には、仏教徒の大多数が瞑想に関心を持たず、祭礼や布施儀式を中心としている実態に困惑する向きもあります。これは、アメリカやヨーロッパで禅堂に通い、いざ「仏教国日本」を訪ねて激しいギャップに驚く欧米人の感覚に近いかもしれません。これから日本におけるテーラワーダ仏教の変容を参与観察する上で、近代仏教史研究の成果への目配せは欠かせないと痛感しています。皆さまも動態としての仏教世界を見通す一つの視座として、「テーラワーダ仏教と日本」の行く末に注目してほしいと願っています。

f:id:ajita:20170706154710p:plain

【写真】オルコット日本出発式の記念写真。仏教世界が一体化した近代を象徴している。明治22年(1889)1月コロンボで撮影。出典:the BUDDHIST and the Theosophical Movement 1873-1992(the Maha Bodhi Society of India)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

 

*1:アナガーリカ・ダルマパーラの言説と行動には、普遍主義的な仏教ミッショナリー、仏教アジア主義者、シンハラ仏教ナショナリスト、という三つのレイヤーがある。それについて触れておいた方が良かったなと後で気づいた。(^^;

大アジア思想活劇――仏教が結んだ、もうひとつの近代史 Kindle版が出ました

このたび、拙著『大アジア思想活劇――仏教が結んだ、もうひとつの近代史』(サンガ,2008)の電子書籍版が刊行されました。版元の方針で、AmazonKindleのみの配信となっています。

明治から昭和を貫く一筋の道――近代仏教
教談師・野口復堂、神智学協会・オルコット大佐、スリランカ仏教徒ダルマパーラ、そして田中智学などなど、 十九世紀から二十世紀の正史、秘史を彩る人物たちがアジアを股にかけ疾駆する近代仏教絵巻。
知られざる歴史を解き明かした必読書!
 
「少しく鳥瞰するならば十九世紀後半、近代日本の覚醒と時を同じくして、インドを中心とした南アジアでは、貶められてきた既存の精神文化を取り戻すべく、仏教ヒンドゥー教などの宗教復興運動が沸き起こりつつあった。その潮流はアジアを侵食する欧米の植民地主義への抵抗のゆりかごとなり、のちに先鋭的なナショナリズム運動へと展開してゆく。(中略)「日本仏教の近代史」を、その潮流のなかに位置づけたとき、いったい何が見えてくるだろうか。」(本文より)
 
大アジア思想活劇: 仏教が結んだ、もうひとつの近代史
 

電書化にあたって最近の近代仏教史研究に関する成果を概観した「電書版あとがき」を加筆しました。ネットで公開されている論文やレポートを含め、ちょっとした「最新版:近代仏教史ブックガイド」としても活用していただけると思います。

さらに、1章「オルコット大佐来日まで」,6章「インド洋の「仏教国」スリランカ」,17章「ミッションの船出・野口復堂の凱旋帰国まで」,18章「釈興然 日本に上座部仏教を伝えた留学僧(上)」19章「釈興然 日本に上座部仏教を伝えた留学僧(下)」,26章「フォンデス もう一人の白人仏教徒」には、【電書版追記】をしました。

追記を施したのは主に明治期の記述に関してですが、それだけ学術的な研究が進んだということですね。その他、いくつかの本文中の誤字や事実誤認を修正しています。書籍版を購入済みの方で、電書版あとがき&追記を読みたいという方がいらっしゃいましたら、PDFファイルを進呈します。メールかTwitter,FB等でご一報ください。

本書の核となる大学卒業論文(いまは亡き東洋大学の印度哲学科)の構想を練り始めたのは1993年の夏頃だったと記憶してます。フリーランスで暇こいてた時の再調査をへて配信したメルマガ「大アジア思想活劇~仏教と近代~」第一号が1999年6月19日。オンデマンド版「オンブック:『大アジア思想活劇』」を刊行したのが2006年7月。サンガから単行本したのが2008年9月。もう四半世紀にもわたるプロジェクトも、そろそろ本当に一区切りという感じです。

大アジア思想活劇というタイトル自体、まぐまぐ!の規約が宗教色を出したものはご法度だったための苦肉の策だったわけですが(最初期のタイトルは《大アジア思想活劇 111年前のインド旅行より》だった)、幸か不幸か「アジ活」との愛称で呼ばれるようになったので、単行本化の際もそのまま使って今に至ります。

電書化によって、バカ高かった(これもサンガの島影社長から、ハードカバーか並製かどっちにする?と訊かれて「じゃぁ、ハードカバーで……」と見栄を張った報い)価格も下げられたし、KindleUnlimitedに入ったので読み放題で手軽に読んでもらえるし……書き手としてはいいことづくめでした。つぎはぎだらけで無駄にエモい本書をきっかけにして、近代仏教史という迷宮に興味を持ってくれるかたが一人でも増えればいいなと願っています。

最後に、大アジア思想活劇の節目節目で適切な助言をくださった吉永進一先生(舞鶴工業専門学校)はじめ、各界「アジ活サポーター」の皆様にこころより感謝もうしあげます。ありがとうございました!

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

 

おまけ:

大アジア思想活劇: 仏教が結んだ、もうひとつの近代史

大アジア思想活劇――仏教が結んだ、もうひとつの近代史 Kindle版総目次

はじめの口上
明治二十一(一八八八)年の天竺武勇談/近代仏教史の発見白人ブディストと講釈師と「佛教復興」アナガーリカ・ダルマパーラと日本近代アジアを貫くカルマ仏教という窓を通じて

第Ⅰ部 噺家 野口復堂のインド旅行

1 オルコット大佐来日まで
キリスト教の大攻勢白人仏教徒からの手紙『佛教問答』の翻訳出版【電書版追記】

2 日本仏教明治維新
近世仏教の姿廃仏毀釈の惨状仏教再評価のジレンマ世界のなかの日本仏教

3 オルコット招聘運動顛末
オルコット招聘運動と平井金三オルコット来ないなら寄付金返せ義兄金三の窮地に復堂起つ

4 平井金三と野口復堂
平井金三の生い立ちアメリカでの仏教講演・ユニテリアン・道会への参加日本語はアーリア系と主張心霊研究のパイオニア平井金三の宗教観野口復堂の生い立ちインド旅行・万国宗教大会出席教談の誕生教談全盛時代晩年の野口復堂野口復堂の宗教観

5 神智学協会インドへ向かう
スリランカ仏教の恩人──その意外な素顔ブラヴァツキー夫人とオルコット大佐スピリチュアリズムの時代運命の出会いラマ僧院の理想主義者『ヴェールを脱いだイシス』神智学協会インドへ!

6 インド洋の「仏教国」スリランカ
光り輝く島インド文化圏への窓シンハラ人とタミル人仏教ナショナリズム仏教国」の危機【電書版追記】

7 パーナドゥラの論戦
パーナドゥラで何が起きたのか?論争の行方グナーナンダの勝利神智学徒からの手紙

8 白い仏教徒の闘い
神智学協会インド上陸アーリア・サマージとの会見仏教徒となった神智学徒オカルティストの仏教理解アディヤールへの本部移転セイロン仏教の救世主ウェサックの祝日化・仏教旗の制定プロテスタント仏教

9 「ランカーの獅子」の誕生
その生い立ち少年時代の原風景ミッションスクールでの葛藤神智学との出会いアディヤールヘの旅オカルトからパーリ語

10 ダヴィッドがダルマパーラを名乗るまで
ブラヴァツキー夫人のインド追放ブラヴァツキー夫人、ロンドンに死す仏教からメシア信仰へ──神智学協会の「変質」スリランカ奥地への旅シンハラ・ナショナリズムの目覚め

11 野口復堂 コロンボでの出会い
コロンボ上陸までダルマパーラとの出会い神智学協会の客人としてアフマド・アラービーとの会見

12 野口復堂 セイロン珍談集
スマンガラ大長老との会見コロンボで出会った日本人僧侶スリランカ仏教のあらましスリランカカースト上座部仏教の強度スポーテーの戒律珍問答ランチタイムの椰子問答変な仏像宇源・源智の観音ご利益コント

13 野口復堂 ついにインド上陸
南の島の天長節ダルマパーラとともにインドへ発つ夢想兵衛が栄華の夢か──トゥティコリンの熱狂一路アディヤールへ

14 明治日印交流史
島地黙雷の欧州歴訪とインド上陸北畠道龍のブッダガヤ巡礼インド公式訪問第一号 多田元吉お雇い外人モレルについて外国人婿養子第一号になったインド人

第Ⅱ部 オルコット大菩薩の日本ツアー

15 マドラス寄席の長名話
トゥティコリンからマドラスマドラス改名とタミル・ナショナリズムについてついにオルコットとまみえるオルコットの牛車インドで落語「長名話」を披露インド随一の梵語学者を梵語で泣かす「長名話」にマドラス中が騒然

16 長名話の縁起
笑福亭 梅香 バッシヤチャリヤ長名話の系譜桂米朝と長名話ラニの由縁と法華経『陀羅尼品』について長名話の盛衰に関する考察スペシャル・デレゲート野口復堂

17 ミッションの船出・野口復堂の凱旋帰国まで
分断されたインド社会百六歳の老翁との対話パッチャパス・ホールでの大演説野口復堂は日印交流の先駆け南北仏教徒を結んだミッションスマンガラ大長老の公式書簡ついに凱旋帰国【電書版追記】

18 釈興然 日本に上座部仏教を伝えた留学僧(上)
日本スリランカ仏教交流の始まり──釈雲照の祈願/釈興然をセイロンに導いた人々/森鴎外より漢詩を送られる/日本人初の上座部仏教僧侶の誕生/【電書版追記】

19 釈興然 日本に上座部仏教を伝えた留学僧(下)
林董と明治仏教/日本の上座部仏教教団設立へ/日本は「大乗相応の地」か/河口彗海をスカウトする/「小乗仏教」を信じるということ/興然と宗演──セイロン留学僧の対照的な生きざま/タイ王室に招かれる──晩年/菩提樹の浮き彫り──釈迦牟尼ヘの追慕/墓碑/【電書版追記】

20 「十九世紀の菩薩」オルコット日本来訪(上)
オルコットの上陸日本仏教界の大歓迎オルコット 先祖に会わす顔がない知恩院での最初の演説──ペリー総督の再来管長会議で仏教統一を説くオルコットの日本行脚

21 「十九世紀の菩薩」オルコット日本来訪(下)
オルコットの上京日本仏教への苦言『反省会』のネットワーク『海外仏教事情』と高楠順次郎

22 病床のダルマパーラ
ダルマパーラの入院オルコットの霊能力日本人の熱心な称賛者英語文献を通じた「伝統」との再会仏教復興は民族独立ヘの道

23 オルコット来日がもたらしたもの
オルコット帰国と日本人留学僧渡印南北仏教を結んだ功労者オルコット・ブームへの警戒お雇い外人ベルツの見たオルコット川合清丸とオルコットの『論争』国粋主義仏教普遍への窓としての仏教忘れられた「救世主」

24 ブッダガヤ復興運動の開始
この地に留まれ、そしてこの聖地に奉仕せよブッダガヤと神権領主マハンタブラヴァツキーの訃報──ひるがえる仏教日本でも燃え上がった仏蹟復興運動『国際仏教会議』の開催ブッダガヤに「日本の野望」を見た植民地当局

25 オルコット再来日・蜜月の終わり
オルコットの日本再訪
十四ヶ条の信仰条規国際仏教徒連盟の設立を目指す神智学協会の内紛──覚醒と憎悪のネットワーク日本で拒絶された「仏教十字軍」神智学は仏教なのか? 揺れ動いた日本仏教

26 フォンデス もう一人の白人仏教徒
神智学協会と日本仏教を断ち切った男/日本仏教の代弁者/「海外宣教会ロンドン支部」を設立──神智学批判を展開/ダルマパーラの苦言/高楠順次郎の英国留学/高楠とフォンデスの交流/神智学をめぐるカオス/その後のフォンデス/【電書版追記】

第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本

27 シカゴ万国宗教大会 仏教アメリカ東漸
「ランカーの獅子」カルカッタに拠る『大菩提雑誌(The Maha Bodhi Journal)』の創刊シカゴ万国宗教大会テーラワーダ仏教の代表として万国宗教大会と日本仏教アメリカ「初転法輪」の誓いオセロとキリスト宗教面での国威掲揚

28 ダルマパーラ二度目の来日
フォスター夫人との出会い二度目の来日──日印交流を訴える日本仏教徒からの贈り物足早の帰国ブッダガヤ復興運動への疑念土宜法龍のレポートより幻の仏教釈雲照の珍談牛を食う奴は手を挙げろ!

29 「日本の仏像」インドで大暴れの巻
ブッダガヤ奪還の切り札ブッダガヤへ帰った日本の仏像マハンタの暴行仏像の移転命令 日本仏教徒の怒り日印のかすがいだった阿弥陀薄れていった興奮カリスマの誕生

30 大拙・慧海・ダルマパーラ
近代日本仏教を代表する巨人鈴木大拙の生い立ち河口慧海の生い立ち三会寺での出会いと別れ大拙の渡米とダルマパーララサールでの書生暮らし鈴木大拙とダルマパーラ、アメリカでの交流河口慧海とダルマパーラ、ブッダガヤの出会い

31 ダルマパーラ一九〇二年の来日
アメリカでの布教活動インド大飢饉救援と日本の「骨騒動」神智学協会との訣別セイロンでの活動インド大旅行三回目の来日──活動仏教の提唱日英同盟と日印協会の設立

32 ダルマパーラと田中智学の会見(上)
二人の「獅子」の出会い田中智学とはいかなる人か?田中智学の活動ダルマパーラと智学の出会い要山師子王文庫での会談小町霊跡でのやりとり対鶴館における談話──日蓮伝記と英訳法華経対鶴館における談話──天竺に仏法なし対鶴館における談話──皇室の信仰・インドの虐政

33 ダルマパーラと田中智学の会見(中)
対鶴館における談話──ダルマパーラの「悪評」対鶴館における談話──日蓮宗の海外布教を促す対鶴館における談話──樗牛との別れ

34 ダルマパーラと田中智学の会見(下)
瀧口での談話──「予は比丘にあらず、優婆塞にあらず」瀧口での談話──仏教信仰と実践をめぐる智学との「論争」二人の別れと後日談日露戦争と「人種闘争の世紀」の幕開け岡倉天心の渡印について

35 血の轍
シンハラ仏教ナショナリズムの誕生アーリア人種」の痕跡を求めて文明と血脈四たび「日出づる国」へ

36 冷遇された最後の来日
ダルマパーラへの冷遇仏教運動という空虚印度の志士ダルマパーラ汎アーリア主義の叫び『道会』での講演録革命の坩堝・試練の道へ

37 その後のダルマパーラ
セイロン暴動日英同盟下のインド支援一九一五年セイロン暴動の背景について晩年──サールナートに拠るダルマパーラの死

38 サールナート寺院壁画と野生司香雪
インドからの呼びかけ詩聖タゴールの激励サールナートでの画業ダルマパーラとの衝突相次ぐ外護者の死成就の墨跡

39 ひとつになった仏教世界(上)
仏教ルネッサンスの時代『海外仏教事情』誌における南北仏教対話大東亜共栄圏と日本仏教・ひとつの事例クリスマス・ハンフレーズと「仏教の十二原理」

40 ひとつになった仏教世界(下)
世界仏教徒連盟会議とサンフランシスコ会仏教伝来から千四百年目の「仏教世界の連合(ユナイテッド・ブッディスト・ワールド)」パール博士とWFB大会広島を癒した仏舎利仏教国日本」の再建とアジア仏教徒の受難

41 仏教とアジア近代史再考
日本とスリランカ・それぞれの近代仏教ダルマパーラの日本礼賛と「アーリア主義」日本仏教への挑発者近代仏教史という問い私たちは「仏教国日本」を生きている

おわりに 広島の二葉山平和塔をめぐって
二葉山平和塔の落成式広島から消えた仏舎利世界仏教徒の事業となった仏舎利塔建設藤井日達の二葉山仏舎利塔計画迷走する比治山仏舎利塔計画広島を去った仏舎利

あとがき

電書版あとがき

参考文献

年表