日本仏教を救った皇室出身の尼僧たち

定期購読している仏教系新聞『中外日報』2009年4月14日号「近代の肖像 危機を拓く」296回に、村雲日榮尼(1855-1920)が取り上げられていた。執筆者は歴史研究家の石川泰志氏。「皇室と仏教結ぶ絆/還俗の強要を敢然と拒否/宮中女性の仏教信仰に再び灯」として、廃仏毀釈の荒波に抗して日本仏教を守り抜いた皇室出身の尼僧の知られざる生涯を紹介している。さわりはこんな感じ。

 廃仏毀釈の嵐が皇室に押し寄せ、皇室と仏教の千年を超える絆が断ち切られようとした明治時代、仏門にあった皇族にも還俗を強要する動きが激化。男性皇族は一人残らず仏門を離れる中、敢然と還俗を拒否したのが伏見宮邦家親王の娘で出家していた女性皇族、誓圓尼(浄土宗善光寺大本願住職・一八二八〜一九一〇)、文秀女王(臨済宗妙心寺派円照寺門跡・一八三七〜一九二六)、日榮尼(日蓮宗村雲瑞龍寺門跡・一八五五〜一九二〇)である。
 善光寺を善光神社に改めようとする画策に、誓圓尼は「一度仏教に固く誓った身であるから、たとえ如何なる迫害を受けようともこの度の仰せには従い得ない。我が身は終生仏弟子として念仏弘通の為に捧げよう」と決意、善光寺存亡の危機を救った。
 文秀女王も実家に連れ戻されたものの、戒律を遵守し仏弟子として振る舞ったため、父邦家親王が不憫に思い円照寺へ戻ることを許した。
 日榮尼は明治元年当時まだ十一歳ながら還俗を迫る使者に「日榮は仏道に入りし以上は行雲流水の身となり樹下石上を宿とする共還俗はいたしませぬ」と断言、不惜身命の勇気で廃仏毀釈論者の目論見を一蹴した。
 三姉妹の仏法護持の勇気は、皇室の仏教祭祀廃止にもかかわらずなお皇室と仏教の精神的結びつきを維持する上で大きな力となった。

記事はその後の日榮尼の活躍を雄渾な筆致で顕彰していくのだが、私は猛烈に感動した。曲がりなりにも近代仏教史を研究してきた身だが、日榮尼の事績を一顧だにもしたことがなかった。近代の皇室と仏教との関係についても、釈雲照による宮中後七日御修法の再興くらいしか押さえていなかった。


おもえば日本で最初の仏教僧侶は、善信尼ら三人の尼僧だったのである。出家者の誕生をもって仏教伝来とするならば、日本仏教の祖は善信尼である。日本仏教は女性が始めたのである。そして廃仏毀釈という未曽有の危機にあたって、日本仏教の矜持を守ったのも、日榮尼ら皇室出身の三人の尼僧(三姉妹)だったのである。彼女らの足跡について、私はもっと知らなければならないと思った。『近代皇室と仏教』二の足を踏んでいたのだが、やっぱり買うしかないかなぁ……。拙著『大アジア思想活劇asin:4901679953』が三冊買える値段ではあるが。

近代皇室と仏教―国家と宗教と歴史 (明治百年史叢書) 石川 泰志

目次
第1部 釈雲照-近代皇室と仏教再興(釈雲照-廃仏毀釈に抗して
十善会の発足と活動
釈雲照と日露戦争 ほか)
第2部 村雲日榮尼-皇族出身尼僧の活躍(日榮尼と京都の廃仏毀釈
日榮尼-皇室と仏教を結ぶ絆
日榮尼-明治四十年代から大正期の活動 ほか)
第3部 近代の神道-その混迷と弾圧(近代に於ける平田国学の盛衰と弾圧
神社合祀-廃神毀社とその歴史的背景
神社合祀-廃神毀社・その終焉)

おりしも14日から、東京上野の東京芸術大学美術館で「尼門跡寺院の世界――皇女たちの信仰と御所文化」が開催されている。


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