愚者

アルボムッレ・スマナサーラ長老の4月14日ダンマパダ講義(ゴータミー精舎)のメモより。
愚者は自己破壊する。

72 yaavadeva anatthaaya JattaM baalassa jaayati
実際、愚者に非利の為に知識が生まれる限り、
hanti baalassa sukkaMsaM muddham assa vipaatayaM.
愚者の幸運を害し、彼の頭を破壊しているのである。

  • 愚か者は知ったことによって、その人自身を破壊する。
  • 愚者の善い性格を害して、徹底して自己破壊になる。
  • 愚者とは「頭のよしあし」ではない。性格的に悪い人。仏教では、勉強できる人、できないひとは区別しない。性格的なこと。性格で来た人、文字一つ読めなくても愚か者ではない。性格できてない人、世界一流の学者でも愚か者。仏教、何ができるかということあまり評価しない。工学やっているか、医学やってるか、どっちがえらいと言えない。ただ何かして職業にしているだけ。役に立つことして生計立てているだけ。学ぶのは大げさなことではない。教育面白くないならやらなくてけっこう。他のことすればいい。よい人間かわるい人間かが重要。性格悪い人に限ってよく勉強する。自分がとにかく上に行きたいだけ。自分が人類に何か貢献する気はない。給料たくさんもらって、天下りしたいとか。法律犯しても裁かれないように。談合しても会社は罰せられるが、談合やらせた方は安全。裁かれない。
  • 愚か者と言っても、勉強できない、というわけではない。認識あべこべで、自分の利益だけ考えることは愚か者。自分の利益だけではなりたたない。交換条件でなりたっている。自分だけ得をしようとしても自然法則を壊している。あまり勉強していない人が重労働で仕事きつくても一所懸命しごとして、労働量の半分くらいしかお金貰っていない。そういう人、愚か者ではない。国を社会を支えている。深夜の道路工事とか。外国人もいる。ふつうの人はいちばん社会の役に立っている。何かするとそういう人たちが捕まる。
  • ただ単に勉強して上に行って素晴らしい人、というわけではない。トップにいるひとは、我が強くて、人をつぶして人の足をひっぱって人を踏みつけて上にあがる。素晴らしいことはない。愚か者は知識にかかわるではない。
  • 性格悪い人は危ない。知識得ると人類の迷惑です。かつて知識がない社会は迷信だらけで困っていた。田んぼができないと神のたたりだとか。しかし、いまほど自然災害はなかった。自分たちの生き方悪かったから神様が怒ったんだよと一所懸命神にお願いしたり。そういう時期もあったが、性格悪かったわけではない。
  • 人間は知識というものがあったらもっと解放されるのはないかと、知識作ったり増やしたり。何から解放されたかと言うと、謙虚さがなくなった。それがなくなっただけ。以前はむちゃ迷信だったかもしれないが、家から出るときに北から出るか南から出るかと。しかしそういう人々は我が強くない。すごく謙虚。自分に何の力もないから畏れ多く行きようではないか。とてもやさしくて。木も川も、自分にはすごいと思うものなんでも拝んだりする。面白いのは、蛇とかカエルとか、幸福のシンボルにしていた。踏みつけることさえしなかった。カエルもヘビも幸福な動物で……。「家にカエルさんがきたら幸せ」というのは、自我が強くないと言うこと。
  • それも全面的にいいわけではない。迷信にひっかっかるとがんじがらめになる。迷信であなた方は損するのだと、釈尊も仰っている。俗世間の知識人が調べて調べて、迷信一つづつ破っていく。破っているでしょうか? 自分にはなんでもできるぞ、という自然を支配することできるんじゃないかと、そういう方向。何でも儲かりますよと。そういういことになって、とにかく強者だけいきるべきやという世界になった。みんな一緒に生きていかなくてはいけないという世界から、勝ち組負け組の世界へ。負けたやつのことは知ったことないんだと。何でも破壊。人間の自由を破壊。元に戻った。いまは何の自由もない。びっちり束縛された世界で生きなければならない。
  • 言論の自由どころか、思考の自由さえもない。われわれが何を考えるべきかと言うこと、強者が教えてくれる。そのまんま考えないといけない。マインドコントロールで本人は気づかない。情報化社会、完全マインドコントロール社会である。インターネットでみな好き勝手発言することに、強者は困っている。そこで言論の自由がないようにとカラクリしている。アメリカではブログでちょこっと面白いことを書くと危ない。テロを口実にFBIとアメリカ政府が個人情報を侵害。
  • 結局、思考の自由さえもない。ブログの時代になると、国ごとにチャンネルを切れるようになっている。タイではYoutube観られないとか。中国もいろいろカットするし、アメリカも情報カットする。いちばんカットしているのはアメリカかも。ソ連(ロシア)は何もカットしてない。むちゃくちゃ。犯罪的なことを流していいわけではない。これはどうにもならないが、ブログの時代になると、どうでもいいいかれた妄想を書いている。ブログ書く時間があったら、私は寝ます。ゲームでもやります。
  • 何かそれなりの立派なアイデアがあって、ふつうのチャンネルで発表する力がないならブログで書けばいいけど、そうではないから、管理せざるを得ないことにもなるし、その場合は強者が自分の目的で管理する。犯罪管理しても、国にとって不利益なもの管理。自殺サイトは調べない。利益ないから。強者が自分の利益のために管理する。自由だと口先で言うだけ。昔の人か自由ではなかった。政府も民主主義のかけらもなかった。権力者同士殺しあっていたし。政治家が殺し合いすると一般人も巻き込まれる。訓練された軍隊でもないから、めちゃくちゃ人殺し最悪。では、知識を得て人間自由になったかと言うと、形変わっただけ。自由はない。
  • 科学技術など開発することで、何でもできるんだぞというすごいエゴが出てきて、それぞれの強者が自分の利益のために使う。それで全部壊れていく。取り返しがつかない。自然そのものまで壊してしまう。
  • 知識開発しても、それは人類のためではない。怒り憎しみのため。経済競争も激しい。核家族。別居して孤立して生きる。給料を自分だけのために使えないから。子育てもできない。昔のお母さんたちも同じことでした。昔はお母さん一人で子育てしたわけじゃないんだ。昔のお母さんが子育て上手だったわけじゃないんだ。広島で子供たちに家族以外の人にも付き合ってもらう、対人能力を学ばせる。特別にやらないといけなくなっている。私みたいな原始人からしたらおかしい。人間生まれたときから人間の間にいるのに。でも逆に笑われる。「日本は発展した社会だから」と。
  • 広島かどこかで中学校の子供たち、月に三回、小学生のクラスで宿題を助けてあげるという交流会をしているそうです。みなプログラムを作っていくけどうまくいかなくて。(雑談)当たり前にあった対人関係もわざわざ学ぶはめになっちゃった。でも、対人関係をつくるためには、そういう方法しかない。子供には親しか知っている大人がいないし、親も家にいないし。決して母親父親だけには子育てできません。たくさんの人が手を出してあらゆる側面で育てないといけない。年寄りから子供までみな人間だから。そのシステムが壊れた。自然に簡単に生きていけるシステムがあったのに、こわしてしまった。もう愚か者に決まっています。楽に生きられる仕組みだけ、「発展」によって壊していく。それで楽だ楽だと、自慢している。でもひとつもうまく行っていない。「人類の発展、向上」と言われているものを見ると、本当に向上しているのかと言うと、それは明確に破壊なんです。命の破壊です。物は変わります。実験室にいけば億単位のお金の機材がある。学生は5人か6人かと。ひとりあたりいくらかかっているか計算もできない。その人はそれだけ世界に貢献できるのかと。その機械も半年で買い換えないといけない。ありがたいことに数学者にも数学できないから、理科系ひとりの人間にどれだけかかっているのか、その人、人類のために何かやっているのかと。
  • 国文学やってる人は、最低歌一つでもつくって出版するんだから。それで人々はどれだけ安らぎを感じるか。何年か前高校生が小説書いてしょうとって、人々に安らぎを与えたんだからすごい貢献です。でも文学だから立場ない。ばかにされる。でもそれでいいんです、傲慢になりませんから。
  • この経典で言っていることは、まず何より性格を直すことです。よい人間になることを優先すべきです。世間が笑います。世間ははっきりいえば、悪人になれ、悪人が成功するぞと、でもブッダは、その人は(他人だけではなく)自分も破壊するんだと。仏教の特色。親切、慈悲だと、一切生命へのいつくしみだといいますが、性格悪い人には教えることをやめる。仏教の慈悲は一切生命によい性格について教えてあげる。その場合は誰も捨てない。
  • でも知識を教えてくれ、仏教の真理を教えてくれといったら断る。瞑想さえ断るんです。教えることが慈悲の行為ではない。そのひとが瞑想で能力身に付いたら、どうなるか解らない。その時点で世界に迷惑。みんなの道を閉ざす。やがて自分も破壊、ということになる。
  • 実際世界では、生き残るのほんとは知識人ではない。やさしい性格の人は、けっこう生き残るんです。勉強まるきりしたことなくても、性格的に信頼できる人は生き残れるんです。ほんとのところは。でも世間は認めない。世間が認めないならば、事実に決まっています。世間が認めるならば嘘にきまっています。みんな行っているんだといったら、間違いに違っている。その時点で束縛されている、操り人形と言うこと。
  • みんなやっていることが正しいと言うのは成り立ちません。みんな知識人で少数派が頭悪いことになるから。ふつう頭いい知識人は少数派なんですけど。なんでも因果法則でみないといけない。あるときはみんなの意見聞いたほうがいいし、あるときは聴かない方がいいことがある。仏教はむかしからそうはっきり決まっている。大乗仏教でもなんでも。あるときは人の意見聴いて、あるときは絶対聴かない。
  • 道元禅師がこんなこと書いている。
    • 質問:自分が出家したい。一人っ子で母親がいる。母親が病弱で、母親死ぬかも。自分が出家して修行したい。どうすればいいか?道元さんは、ガチャガチャ言って、なんとかして出家する方が正しいといいたい。すごい回り道で言う。
    • 1)母親の面倒見るのは義務。母捨てて母死ぬのはとんでもない悪。
    • 2)本人が出家したい。坐禅組みたい。その邪魔しているのは母親。ひとりの悟りを邪魔して母親に何かいいことあるかと。私が死ぬまで私に食べ物もってこい、解脱するなよと。食べ物以って言ってもどうせ老人。どうせ死ぬ。どうすべきか。母死なすのは人間として失格。重罪。母親の面倒みたからといって解脱の道妨げられる。曖昧な結論。しかし読む人、自分で判断しなさいというところまでデータは出している。
    • 3)逆に母親があんた出家したければしてくださいといったらどうでしょう? 母親苦しむ。なぜ苦しむのか? 一人の人を仏道を歩めるようにしてあげたから。それで早死にになっても、何のために死ぬのかというと……。三番目で結論出している、一応。母親が決めることではないか。母親には出家しなさいということしかできない。命は危ないがすごいこと。
  • その場合、仏教では世間の話は聞かない。結婚して子供作るのは親の唯一の期待ではないかと。それがすごいことだと誰も考えない。誰でもやっていること。しかし世間は親孝行しないで、世間で自分の立場つくるために親をまるっきり無視してがんばると誉める。帆船に乗って世界一周すると、親の財産をかたにとって借金しても悪口言わない。同じ人が出家するぞと言うとものすごくひなんする。それが世間の思考なんです。ヒマラヤでも上りたいといったら、親はどんな苦労でもする。どこからでもお金借りる。その子親孝行しているのか。いえ、子供のためなら何でも献身しますよ。瞑想するといったら、やめろそんなの。親孝行もさせない仏教とは何だと起こる。巣簿らしいですよ、思考は。よい人間になることだけは断固として反対する。そうなってます。
  • そういう思考があった国でも次から次へと壊す。アドヴァイスする。「6、7歳までの子供がいる女性は海外に出稼ぎしてはいけない」とスリランカで法律を作ったら、国際的な「人権団体」が大非難。キリスト教系のNGOが国に入ってむちゃくちゃにしている。裁判まで起こしたり。スリランカでは親に育てられたことのない人が増えて、犯罪を犯したりしてものすごい社会問題になっている。親戚に子供を預けて女たちが海外に出稼ぎ。5、6年くらい出稼ぎして奴隷のように働く。イスラム教の国では、イスラム教徒以外は人間扱いされない。なかにはSEXSLAVEとして、虐待される例もある。警察に駆け込んでも相手にされない。逆に盗人扱いされる。そういう恐ろしい事態がある。そういう人々が何年か経ってから、冷蔵庫やら何やら抱えて、国に帰っても、誰もいない。家庭崩壊している。そこで金儲けよりも次の世代が大切だからと、法律を作ったら、欧米の「人権」団体が大騒ぎして反対する。
  • 自分の姪、優秀な技術者だったが、結婚して子供できたらすぐ仕事やめた。収入面では苦しくなったが、彼女いわく、子供には母親が必要、それがお金で換えられますかと。きっぱり。それが仏教的な生き方です。
  • もうひとり姪の子供、すごく問題起こす。父親が海外出稼ぎばかり。キャリアアップを目指すとますます国にいられない。そこで姪が怒った。あなたがもってくるお金と、子供が受ける損害は比較にならないと。それで仕事を変えて毎日家に帰るようになった。それで信じられないほど明るくていい子になった。真剣に勉強する。明るい。子供には生命は生命だから、愛情が必要。それを壊すのが現代社会。そういう文化が残っている国でも、もうなくなった国が攻撃する。人間関係を壊せ、すべては金だと。西洋思考では、子供はゴミ箱に捨ててでも、金儲けが大事だと。そうやって畏れ多く生きていた世界を破壊する。
  • でも、知識、金、技術があるから、向こう側が強い。人類を幸福にするのではなく人類の幸福そのものを壊している。人殺しのために武器作っても先に死ぬのは関係ない国の人々。
  • 簡単なことです。世界でみんな、道徳、性格のほうが大事だと教えればいい。西洋では禁止。神の聖書を教えるけど、道徳には反対する。聖書の教えは競争を教えている。戦争を応援している。善悪は教えていない。なぜ世の中に悪があるのか、説明がない。ただ悪人がいるから、そいつのせいだ、やっつけろと。悪魔の概念を捨ててしまうと、なぜ悪があるのか、という教えがない。魔女を退治したり、野蛮人を退治したり、殺すななかれといいつつ、では殺しましょうと。その教えは気に入られて学校でも教えている。宗教はよい人間であるか悪い人間であるかに関係ない。道徳に関係ない。
  • 子供たちが善い人間になるために環境にこれこれの問題がある、家庭にこれこれの問題がある。それを何とかしましょう、と方向に行かないといけない。
  • 何より先によい人間になりなさいと。勉強、技術は二番目。よい人間が何学んでも自分のためによく使うし、他人のためによく使う。文章書く人がいて、迫力有る文章書く。人の役に立つことはしない。性格いい人なら、この絵を描くことで何か人の役に立つことがあるかと考えてしまう。性格善い人にそれが身に付いたらみんなに幸福与える。悪い人に与えたら、自己破壊にもなってしまう。他人を害することは言うまでもない
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〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜