読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

『自分直し! 〜自分が変わればうまくいく!〜』(スマナサーラ長老の法話より)

自分を直すということは仏教以前に、生命にとって当たり前。自分を変えないといけない。タコは上手にカモフラージュする。海の中ではそうしないと生き残れない。タコが自分を変えるのです。そうでないと生きていられない。生命は敵から逃れるため、餌を取るため、つまり命を守るために、自分を変えるのです。自分直しなんか嫌なこっちゃと思っても、生き物はみんなやってます。

(生命の様々な擬態の例)

人間もまた、様々な擬態をして生きている。面白い事に、やっている事は他に生命と同じです。敵から逃れるためと、餌を取るためです。免疫を作るための予防注射さえも、自分を変えることなのです。

人間は政治・経済・社会の複雑なシステムを作って環境を変えている。しかしそのシステムに適応するために、結局、自分を変えることになっている。自ら環境を変えている人間には野生動物の持っている自由はない。身動き取れないところまで、自分を変えている。文化的なコード、仕来りなどでがんじがらめ。お茶の文化も、世間の仕来りや序列の重みから解放されるために作られたはずなのに、茶道の人工的なシステムがまた逃げ出したいほど窮屈なものになっている。音楽も舞台も社会の緊張から離れてリラックスするためのものなのに、実際はえらい不自由な準備や段取りや仕来りが必要なものになっている。そういうわけで人間は言われなくても、ずっと自分を変えている。ですから、今日は何も話すことが無いんです。しかし、ここまでの話でポイントが見えてきたでしょう。

自分を変える・直すのは、生きるためです。しかし、変えた結果、生きていられなくなっている。動物から見ると人間はかなりバカだと思われているでしょう。犬はいつでも飼い主の精神状態をチェックして、巧妙に管理している。実際は犬を溺愛する人間が、「犬に飼われている」んです。よく観察すると、散歩中にも犬が人間を管理して面倒みているケースをよく見る。犬の方が性格がしっかりしている。私たちは自分をずーっと変えているけど、おかしな事がありすぎ。変えた事のツケが大きすぎる。原発と同じ。発電で得た利益の何倍もの損害を受けて、未来の子孫にまでずーっとツケを払わせる事になってしまった。

自分を変えるのは当たり前のこと。命あるものは、自分を変えないと生きていられない。生き続けたければ自分を変えないといけない。しかし自分の変え方が動物より衰えているんです。ですから正しい「自分直し」を考えないといけない。

私たちの問題は、現状維持を求める保守主義新幹線などのシステムを作ったら、それを寸分たがわず維持しようとする。もっとややこしいのは経済の現状維持志向。1988年が良かった、と思ったらその水準を頑なに維持しようとする。経済はずる賢く、目まぐるしく変わる世界。その中で現状維持を決め込んだ日本はどんどん壊れていく。食物もろくになかった中国が経済大国になった。15年くらい前に、「日本は中国と組むべきだ」と言ったら烈火のごとく怒られた。でも日本が没落した現在、もう仲良くしようとしても無理です。

世界的に、毎日、変わってしまいます。それに合わせて、国も会社も個人も変わらないといけない。変わる事ができなければ、死にます。私たちが現状維持、という志向で、危険な状況に陥っていきます。現状維持は成り立たない。世界は刻一刻と変わり続けている。私たち一人一人も瞬間瞬間変わり続けている。変わり続けるのに、現状維持とは何なのか。仏教的には、私たちは常に進歩主義で行かなければいけない。保守主義というのは成り立たないのです。

地球の自転・公転、生命が年取ることなどはどうしようもない。私たちの管轄外です。変わる事が法則です。嫌なら、「変える」ことです。変わり続けるという法則のなかで、ある狭い範囲で「変える」ことです。

お釈迦様の世界は進歩主義です。しかしどのように進歩するか、適切な方法を知らないといけない。お寺に若者が来てくれないからと、本堂でロックコンサートを開くと。私は、この人たちは道を知らないなぁと思った。彼らは「どのように変えるべきか」という、変え方を知らない。

日本仏教は変え方を失敗した。変わらなくちゃいけないと思って変えたのですが、そのやり方を間違えた。そこで「仏教なんかいらないんじゃないか」という話になって、お寺から人々が離れて、人々を搾取することしか考えていない、最悪の新興宗教が生まれてしまった。

人々が心安らかになる幸福になる道をどのように教えればいいか、ということのために、私も変わっています。しかし、世の中に迎合して服を着替えたりはしない。どこを変えて、どこを変えるべきではないか、知らなければいけない。

おのおのの生命にとって、自分が何より可愛い。自分が何よりも好きなのです。これが強すぎて癌にようになっている。母親は何より子供が可愛いと言いますが、実際は自分が好きなように子供を管理しようとしている。母親は子供をアクセサリーにしている。子供より自分が可愛いんです。そこで人間は自分の都合に合わせて周りをコントロールしようとする。それは成り立たない。自分が変わるんです。それが決まりです。

子供を産んだら、自分が母親に変わらなくてはいけないんです。つねに母たるものはどうすべきか、という態度で子供に接しなくてはいけない。男性だったら、父たるものはどうすべきかと考えて自分を変えないといけない。自分を変えない場合はメチャクチャトラブルだらけになる。

夫婦でも日々、変わらないといけない。家のこと何もしないだらしない男でも、奥さんが具合悪くなったらさっさと自分を変えて、家事や子供の面倒を見なくてはいけない。日々、変えなくちゃいけないんです。毎日、状況を見て、自分はどんな人間になるべきかと変わらなくちゃいけない。

お母さんも、子供が可愛い可愛いと思っていると、子供も日々、変わっていることに気付かない。小学校に通っていた頃の子供はもう二度と帰ってこない。子供もどんどん変わり続けているから、母として自分がどう変わるべきかと、対応しないといけない。

人間はいつも『あいつが悪い』と言う。この言葉を裏返すと、相手が自分の思い通りに振舞ってくれない、ということです。俺が言うとおりにお前らが生きなさい、という神様気分では、頭がイカレて自滅するだけです。(神の言葉を記したという聖書は頭イカレた人の書いた本です。)

私たちは決して完璧では無い。宇宙全体見渡しても、完璧な生命はいない。完璧じゃないから、変わるんです。

私たちは精神的に安定したい安定したいと思って変わり続けている。しかし安定しない。お釈迦様は、物質はともかく心を安定させることができますよと教えたのです。心を幸福の方向へと変えていって、心の安定に達することができますよと。それが解脱・涅槃ということ。

昨日よりも今日、マシな人間になるように自分を変えていく。それで充分です。肉体を変えようと一生懸命になるのではなく、心から変えること。ダイエットにはげむためにダイエット食品を買う必要はない。落ち着いた心で、身体を維持管理するために、明るく頑張るために、必要なエネルギーを取りましょう。それだけで充分ですよ。

肉体は措いて、精神的に進歩しなくちゃいけない。今日、怒ってしまったなら、今度からは怒らないようにしようと。ちょっとずつ訂正して進歩する。あいつが悪い、ではなく、周りがどうであれ、自分は正しく自分を変えていくこと。

悪い仲間に染まってはいけないと言われるが、自分にしっかり芯があれば周りも自分を尊重してくれる。他人が自分にどんな態度をとっても、まず自分が相手に微笑みかけること。その時は自分が楽しいんです。そうすれば周りが自分に微笑んでくれます。自分自身がともしび(灯火)になっていれば、周りがいくら暗くたって構わないんです。

自分を直すとは、すべてを治すことです。「自分を直せ、それで世界を治すことになる」ということです。邪教の人々はまず他を救うべきと言いました。しかし彼らは意味が分かっていなかったんです。結局、救済のためと言って無数の人々を殺してまわった。

一切衆生を救うのではない、大きなお世話です。自分が心の安らぎを得られれば、周りの人々も心の安らぎを得られるのです。仏教は灯火(ともしび)のたとえを使っています。自分自身が心の安らぎに住していれば、それで充分です。お父さんが落ち着いていれば、子供達も落ち着くんです。

学校などで道徳のお説教をするのは、失敗しているからです。誰も実践していないのに、他人に道徳を押し付ける。仏教では、良い事であるなら、まず自分が実践してから、他に勧めなさいと言っている。

自分、というのは面白いもので、置かれている状況によって、自分の内容も変わるんです。たとえ総理大臣でも、子供の前では父親です。コミュニケーションする相手によって、自分の役割が変わるのです。固定した変わらない自分というのはいないのです。場面場面で様々な役割を果たさなくてはいけない人間が、何の問題もなく生きるための秘訣として、お釈迦様は「慈しみ」を推薦したのです。

『生きとし生けるものが幸せでありますように』という気持ちで生きている人は、周囲も支えてくれる。生きるために必要なことを進んで教えてくれるようになる。自分が他人に何か教えてやるぞ、という態度ではなく、誰からでも学ぶ態度でいた方が人生は成功するのです。自分を直す簡単な方法は、『生きとし生けるものが幸せでありますように』というモットーを心に入れて、その気持ちをどんどん育てていくことです。(講演終わり)

 

※以下、質疑応答より。

Qどういう気持ちを持てばスポーツを楽しめますか?

相手を考えてはいけない。相手の良さを、人間のいいところを見て、自分の弱みと戦う。それで上手く行くと思います。

Q五欲と道徳、八正道について。

生命は目・耳・鼻・舌・身体から常に刺激を受けているが、その中毒になってはいけない。

道徳とは判断のこと。世の中では道徳を分かっていない。道徳とはいかに幸福に生きて行くか、不幸を免れるかということ。自分が幸福でも他人に不幸を与えたら話にならない。我々は24時間判断している。正しい判断をして生きないといけない。包丁使う時も判断間違えたら怪我をする。正しい判断をしないと生きていけない。道徳は生きることそのもの。呼吸すると同じこと。その正しい判断基準が道徳です。もうちょっと進めて、仏教ではよりよい人間になるための判断基準を示している。何を考えるべきか、考えるべきではないか、幸福になることを目的にして判断する。神様が判断するにではなく、自分で判断する。しゃべる時も、行為する時も、同じく判断する。

八正道は解脱に達するために道徳、究極の道徳なのです。

Q勉強やテストや宿題で気が休まらない。どうすれば。

毎日やることを楽しみに入れ替えてしまうこと。やることを楽しくやっちゃえばいい。勉強のストレスを無くすのではなく、勉強をすることでストレスが無くなっちゃったという風にする。それは一人一人プログラムがあるので、自分で発見しなくてはいけないんです。

Q仏教国は穏やかだが少ない。グローバルスタンダードはお節介なキリスト教国。どうしたものか?

日本が発信すればどうですか?いちばんひどい目にあっているのは日本でしょうから。スリランカも小国ですけど、それなりの頑張ってますよ。アジアはいつも日本にリーダーシップをとって欲しいと思っているけど、日本はいつもアメリカの方を向いてアジアを裏切りますから。それでもちょっとでもしっかりしてくれたら、リーダーシップとって欲しいと思っているんです(中国でさえ)。

(宮崎市KITENコンベンションホールにて 2011/11/20 10:00- )

 

Facebookのノートにメモしていた文章をブログで順次公開していきます。

やめたいことは、やめられる。

やめたいことは、やめられる。

 

紙書籍の新刊です。順を追って読み進めることで「やめたい/やめられない」という心理的葛藤からスーッと解放されることでしょう。

電子書籍新刊です。高野山大学での講演録など、初期仏教における「真理の見方」を示した三つのテキストを収録しています。

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~