かやの木月例講演会
14:00よりスマナサーラ長老の月例講演会「チェック魔の憂鬱」(蔵前かやの木会館)。偶然、長老と同じ電車になったんだけど、気がついたら先を越されてた。都営新宿線の急行乗り換えを使いこなすとはすごいなぁ(自分がボケッとしてるだけか)。
講演の要旨はhohiのPali語学習・作業記録「チェック魔の憂鬱」〜かやの木会館でのスマナサーラ長老月例法話メモ(2007年3月24日)にばっちり載せてくださっているので、今回はそちらをご覧--ください。個人的には……
矛盾のない仏教の道
〜ヒューマン・エラーを減らす中正の立場〜
●政治・仕事・社会
- 「損・得」でものを判断することに間違いがあるのです。
- 「損得基準」の行為は「損」という結果になります。
- 命を粗末にするのです。
- 「幸福に生きる」という目的を基準にするならば、社会での失敗の問題は解決します。
- 今と全く違った生き方が現われます。
●失敗をなくすとは「倫理」です
- 間違い、失敗、エラーなどは人間に・生命に起こるものです。
- 自然の変化(例えば、山火事、地震、噴火、乾期、洪水)間違いでも、失敗でも、エラーでもないのです。
- 人間は(生命は)幸福に生きたいと希望する、苦を避けたいと苦労するのです。
- 「生きる意義」は「苦を避ける」ことにあります
- 幸福を目指さないならば、何もしなくても、苦労して早死になるのです。生きる意味もないし、努力する必要もないのです。
- ということで、間違い・失敗・エラーの管理は、人間の幸福な生き方を目的にするべきであることが、必然的に成り立つのです。
- 幸福を目指す生き方が「道徳的、倫理的」な生き方なので、失敗をなくすことは倫理でなくてはならないのです。
- 会社が儲けだけ、利益だけ目的にして、エラーの管理するならば、それは非道徳的なのです。
- 従って、危機管理が危機を呼び寄せる結果になっているのは当然な結果なのです。
- エラーをなくすように、努力する個人が怯えている。非難・罰に怯えているのです。
- その結果は、能力の減退・予測外の失敗・苦しみが増す生き方、になるのです。
- 世俗的な利益だけ目的にしているからこのような結果になるのです。
- もし、エラーをなくすことは、「道徳」であるならば、結果は幸福に変るのです。
- 自分の、他人の幸福のために、人類・生命のために自分が厳密にエラーチェックをしているから、やり甲斐が現われる。
- 意義(atta)が生じる。
- ストレスがなくなる。明るくなる。能力が向上する。
失敗しないとは慈しみ
不完全な人間が間違いを少なくすることは「心を清らかにする」善行為です。
このあたりを特に興味深く聞きました。長老も「今日話した中で出した新しいポイントはこれだけ」と仰っていましたし。それから、仏教的な失敗回避のチェックリスト8などもたいへん役に立つと思います。詳しくはリンク先をご覧ください。ザクティでちょこっと撮影もしたんだけど、三脚ないとつらい。途中でバッテリも切れたので帰りがけに新宿ヨドバシに寄ってミニ三脚とバッテリパックをもう一つ購入。いつもマルチメディア館ばかり行ってるので、カメラ館の独特の雰囲気が新鮮に思えた。
〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜