2016年に出たスマナサーラ長老の本(1)紙の本

2016年に出たスマナサーラ長老の本について、ざっと振り返ってみたいと思います。

今年はとにかく『大念処経』を本にできたことに尽きるんですけど、それ以外にもたくさんの本を出しました。

40歳からを悔いなく生きるブッダの智慧

40歳からを悔いなく生きるブッダの智慧

 

第二の思春期への入り口とも言われる40歳からの生き方を指南した実用書です。仕事で成果を上げるコツを掴み、感情で行動しないように戒め、人づき合いの達人になる方法を身につけ、めげずに社会を生き抜き、そして「自分の人生」に向き合う。さまざまなストレスに苛まれる40歳からを強く生きる智慧を学びましょう。

仏教の時間論(瞬間論)を切り口に語られる新しい人生論です。よく「時間に追われる」と言われますが、目の前にあるのは瞬間という存在だけ。時間とは瞬間の積み重ねに過ぎません。時間にとらわれない生き方の提案は、あなたの人生を楽にしてくれるはずです。kindle版あり。

一日を変えるブッダの教え

一日を変えるブッダの教え

 

日本テーラワーダ仏教協会機関誌『パティパダー』巻頭法話をまとめた作品。競争社会をどう生きる?/悩みの元は思考にあり/怒りを手放す/身体と心/好き嫌いは危険な妄想/幸福な人生を目指して という6つのテーマに沿って選ばれた30篇が掲載された重厚な一冊です。ぜひ座右の書としてお手元に置いて頂ければと存じます。kindle版もあります。

大念処経 (初期仏教経典解説シリーズ)

大念処経 (初期仏教経典解説シリーズ)

 

大念処経(だいねんじょきょう Mahāsatipaṭṭhānasuttanta)はパーリ経典の長部(ディーガニカーヤ)の第22経です。クル国カンマーサダンマで比丘サンガに説かれました。長部で唯一、修道法を主題とした経であり、四念処の実践に関する様々な経説を網羅しています。

四念処とは身体(身)、感覚(受)、心、覚りに関わる真理(法)という四つの側面から念処(satipaṭṭhāna)即ち「気づきの確立」に至る修道であり、「涅槃を見るための一道」とされます。本経の総説にあたるフレーズ「ここに比丘は、身において身を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて、住みます。諸々の受において……。諸々の心において……。諸々の法において……。」は、相応部大篇念処相応はじめ念処を説いた多数の経に共通します。

身念処は出息・入息、威儀、正知、厭逆(不浄)、要素(四大)観察、九墓地(死体)。受念処は9種の感覚。心念処は14種類の心。法念処は五蓋、 五蘊、十二処、 七覚支、 四諦に分けて説かれます。ブッダは結論として、四念処を熱心に七年乃至七日修習すれば現世で完全智(阿羅漢果)または不還果に至ると結論づけます。

本書は、この『大念処経』の全文をパーリ原典から紐解いて解説した日本語圏で初めての実践的完全注釈書です。冥想をされている方にとって、これ以上ないガイドブックになるでしょう。また、さぼっている人のやる気を引き起こし、門外漢もブッダの「如理作為」の世界を垣間見れる宝石のような本です。自分はこの本を出すために仕事してきた、とゆうても過言ではないです。間違いなく、スマナサーラ長老の代表作になるでしょう。仏道修行の導きの書として、長く読まれてほしいです。

スマナサーラ長老のまえがきに、本書の特色が示されていますので、引用します。

 衆生にとって、(こころの)清浄に達するための、愁い悲しみを乗り越えるための、苦しみと憂いが消えるための、正理を得、涅槃を目のあたりに見るための唯一の道である、『Mahāsatipaṭṭhānasutta(大念処経)』を読んで、理解してみましょう。原文を読んで理解できるならばそれに越したことはありませんが、現代人の世界観は昔と変わっているので、簡単に理解できて納得いけそうにないのです。というわけで、うるさく感じるほど延々と、大念処経について解説いたしました。解説は決して絶対的なものではありません。いろいろな角度から解説できるからです。本書では、お釈迦さまの教えを実践する方々に焦点を合わせて説明したのです。実践することを念頭に置いた解説なので、学術的な注釈にはならないと思います。

 実践する方々は、この経典の内容をすべてそのまま実践しなくてはいけないと思う必要はありません。人々には、さまざまな性格、さまざまな能力、さまざまな好き嫌いがあるものです。完全に同一の生命は存在しません。しかし、生きるという衝動はみな同じです。生きかたがそれぞれ変わっているだけです。お釈迦さまの教えは、すべての生命に適用できるように普遍的な立場で語られているのです。いかなる人間にも、自分の性格と生きかたに適用する教えを見つけることができます。大念処経の場合も同じです。実践する方々には、自分個人に適用できる教えを見つけられるだろうと思います。しかし、実践は身・受・心・法という四段階になりますので、終わりまで読んで理解することが必要になるかもしれません。納得がいかないところ、疑問に思われるところなどを見つけたならば、そのまま信じる必要はありません。さらに調べてみたほうがよいのです。

『パティパダー』での約五年間におよぶ連載をまとめた本書をガイドに、ブッダが説かれた覚りへの道を疑似体験してみましょう。とにかく、本書はマストバイです!

中部131『バッデーカラッタ・スッタ』などに引用されている「バッデーカラッタ・ガーター」という八行の偈を解説した作品です。2009年11月に刊行された旧版に書下ろしの最終章「自分とは観念に過ぎない」を加えた決定版です。パーリ語のバッデーカラッタ(bhaddekaratta)は一夜賢者、賢善一喜など隔靴掻痒の直訳がされていました。スマナサーラ長老はこれに「日々是好日」という禅語を当てて見事に意訳されたのです。「過去を追いゆくことなく、また未来を願いゆくことなし。過去はすでに過ぎ去りしもの、未来は未だ来ぬものゆえに。現に存在している現象を、その場その場で観察し、揺らぐことなく動じることなく、智者はそを修するがよい。」過去への執着と未来への不安を乗り越え、今を生きる仏道、そしてその「今」さえも乗り越えて「無執着」に達する覚者の生きかたが力強く語られた金言です。本書で偈の意味を理解したら、ぜひ暗誦するまで日々念じてほしいと思います。

スマナサーラ長老の仏教塾

スマナサーラ長老の仏教塾

 

「これから仏教塾を開講いたします。」という言葉ではじまる新刊『スマナサーラ長老の仏教塾』(サンガ)。さまざまなテーマに即して、対話形式でブッダの教えのエッセンスを学べる作品です。編集は、『ブッダの教え 一日一話 (PHPハンドブック)』などのロングセラーを手がけた池谷啓さん(いちりん堂)。長老との息の合ったやりとりで軽快に読ませてくれます。kindle版もあります。本文から、少し引用してみましょう。

生きることは、どんなひとからも学ぶことができます。お年寄りからも、妻の言ったことからも、子どもが何気なく言ったことでも、人生を学ぶことができます。生きることを学ぶ。それこそが、正真正銘の仏教なのです。そして、生きることを学べば、すべてを学んだことになるのです。

ブッダはただしく「生きる」ことを伝えたのです。信仰ではありません。自らが実践して、たしかめて納得する道を伝えました。どんな人でも、教えに従ってちゃんと実践すれば、きっちりと納得のいく答えをつかむことができる。それには例外がありません。そのような意味で、「科学」といえるのです。

仏教を学んでいくと、「自分には知らないことが、たくさんあるんだな」ということがわかってきます。そうなると、知らず知らず心が柔軟になっていきます。そうすると、みんなから、「ああ、このひとは、柔和でいい感じだなあ」と、好かれるような人柄になっていきます。

みーんな生きとし生けるもの! 〈下巻〉

みーんな生きとし生けるもの! 〈下巻〉

 

もう皆様にはお馴染み慈悲の冥想フルバージョン「釈迦牟尼仏陀の世界 聖なるこころを体験しましょう」の各フレーズにちなんだ長老のご法話と、動物たちの愛らしい写真で構成された上下巻のビジュアルブックです。ゴータミー精舎の寺猫ナミとイナリ、子猫サミー、初代寺猫の故・ムーシカ、福井御誕生寺の黒猫、徳山動物園の象(スリランカから贈られた)、キリタラマヤ精舎の犬など、動物たちと長老が一緒におさまった写真は眺めているだけで心が安らぎます。ただページをめくるだけで、穏やかで優しい気持ちに満たされるような素敵な作品に仕上がっています。kindle版もあります。

季刊誌『サンガジャパン』に三回にわたって連載された精神科医名越康文さんとの対談を単行本化した作品です。仏教に造詣が深く、ヴィパッサナー実践にも取り組まれている名越さんは、まえがきでこう述べます。

瞑想は、無我になるためにやるものですから、瞑想中の体験の主体は果たして私なのか、という問題はさておき、私が瞑想を通じて核心として理解したこと以外について議論する資格はないと思って対談に臨みました。たとえば瞑想者と学者といった、異なる立ち位置からの意義ある対話本もたくさんありますが、私はおぼつかないながらも実践者として、あくまで一存在として、スマナサーラ長老とおずおずとでも対峙することを望みました。単なる知識ではなく、実践の実感で語ることでの対話の深まりこそ大切だと考えたのです。

本書の価値はこの言葉に尽きていると思います。珠玉の一冊です。ぜひお読みください。kindle版も出ています。(目次:対話1瞑想とディシプリン/対話2覚りに迫る認識論/対話3覚りの世界)

(日めくり)まいにち、修造!』などをきっかけに定着した「日めくり」カレンダー形式のエッセイ集です。漫画家・しりあがり寿さんのイラストとともに、読者が「今日は充実した一日でした」と言える人になるための実践的な短編書下ろし法話が31篇収録されています。「私は不完全である」「私の義務は努力することだけ」などの見出しだけ読んでも背筋が伸びます。カレンダーといっても年・月・曜日は省いてあるので、年間通じて繰り返し使えます。ぜひご自宅やオフィスの目立つ場所に常備して、ブッダの智慧を生活に染み渡らせてみてください。12月には、アプリ版も登場しました。

2014年から毎年刊行されている月めくりカレンダーです。「すべては無常であると観るとき 人は苦しみから遠ざかる」《ダンマパダ 二七七》など、筆文字で記されたダンマパダなどの偈と長老の解説文で構成された月めくりカレンダーです。上述の『日めくり ブッダの教え』と併せてお部屋やオフィスに常備して、放逸に流れがちの日常生活に「智慧の光」を輝かす一助としていただければ幸いです。

僧侶が語る死の正体

僧侶が語る死の正体

 

こちらは共著。版元のサンガが主催する講演イベント「サンガくらぶ」における連続講演を中心にまとめられた作品です。長老のほかに、ネルケ無方師(曹洞宗・安泰寺住職。ドイツ出身)、プラユキ・ナラテボー師(タイ・スカトー寺副住職。日本出身)、釈徹宗師(浄土真宗本願寺派如来寺住職。宗教学者)、南直哉師(曹洞宗・霊泉寺住職・恐山菩提寺院代)と、宗派も国籍も多様な仏教者が「死の正体」をテーマに法話をされています。やはり第五章に収録されたスマナサーラ長老「命への執着を捨て、生と死を理解する」がもっとも理路が整っておりそのものズバリという内容だと思います。他の寄稿者の法話も、文学的というかポエム的だったり、自分語り強めだったり、文化論めいていたり、それぞれのスタンスというか役回りを見事に果たしている感じで読み応えがありました。現代日本語圏における「仏法」の語り口の多様性を概観する意味でも、一読の価値はあると思います。

老いていく親が重荷ですか。: ブッダから学ぶ、正しい介護との向き合い方とは

老いていく親が重荷ですか。: ブッダから学ぶ、正しい介護との向き合い方とは

 

介護をテーマにした法話集です。第一章では「動物は介護をしないのか? 介護をするのは人間だけなのか?」という根本的な問いかけから「親を看る」意味が論じられます。第二章は介護にまつわる親族トラブル、第三章は介護される側に求められる心構え、第四章では必ず迎えなければならない「親の死」について考察されます。日本社会の喫緊の課題である介護について、初期仏教の視点でここまで踏み込んだ本はなかったでしょう。「老いも介護も、雨と同じ自然現象です。理性という傘をさして対応しましょう」などの金言に、ぜひ触れていただきたいと思います。

7,8巻に分冊されていた『ブッダの実践心理学』サマタ瞑想編とヴィパッサナー瞑想編を増刷のタイミングで一冊にまとめました。テーラワーダ仏教のさまざま冥想実践と、ヴィパッサナー実践による智慧(観智)の開発プロセスが体系的に解説されている必読の書です。

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ざっと、こんな感じです。やっぱり今年も月一冊以上のペースで本(カレンダーとか変則的な企画もありますが)を出していましたね。来年もけっこう意欲的な企画がいくつか進行中なので、楽しみにお待ちいただければ幸いです。

では、あと余力があれば、2016年に出たスマナサーラ長老の電子書籍についても記事を書きたいと思います。

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~