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人は感受依存症

17日、パティパダー8月号を発送。14時からスマナサーラ長老をお迎えしてK社のインタビューとD社文庫本の原稿読み合わせ。


16日18:30から、スマナサーラ長老の朝日カルチャー公開講座 初期仏教入門を聴講。「感覚」は、ブッダの「生命論」のキーワード〜人間の「感受性」を知り尽したお釈迦さま〜第一回(2回シリーズ)。以下、ウィルコムAdvanced/W-ZERO3 esで取ったメモです。


人は皆「感受」依存症です〜「刺激」と「反応」のメカニズムを解明する

  • 命とはどういう意味?
    • Life 命、生きるとは何かと、まだ定義はできてない。
    • 現代の知識では、死とは体の機能停止。
    • 心臓か脳の機能停止を死だと決めている。
    • 死の定義は持っているが生の定義を持っていない。
  • 臓器の機能
    • 各臓器は自分の機能を持つ
    • しかし他臓器が正常に機能しないと自分も機能できない。
    • 各臓器は他の臓器のために仕事をしているのか?心臓や肺は誰のために仕事している?
    • 臓器はみな下請けだが、親会社(親臓器)はあるのか?
    • 臓器は脳のために働いているわけではない。何でも脳がやっているというのは偏見。脳味噌がない動物の方が巧みに生きているのでは?
    • 結局、脳も下請けです。会社のSEみたいなもの。
    • 偉いのはどの臓器? 現代の脳信仰は非科学的。
  • 細胞が主人?
    • 細胞も何かの仕事して支え合って生きている。
    • 全体的にも命の主人はないし、細胞も主人と言えない。
    • 貴方は山田一郎でしょ?これが山田一郎という細胞です、とは言えない。
    • 細胞は独立した命とすると、命とは複合体になってしまう。一個の体で多数の細胞(60兆?)。
    • 命は複合体か、一体か、現代の知識で結論が出ていない。
    • 最近は遺伝子だと言っている。いまのところ最終結論のよう。体は遺伝子の乗り物?
    • 必死で川を遡上する鮭。命がけで子育てする蛸。ただ、死に物狂いで同じサイクルを繰り返しているだけ。極限な無知なことをやって、乗せられている。それは遺伝子の所為だと。科学的知見からも生きることのバカバカしさを言えないわけではない。
  • 遺伝子
    • 遺伝子は体全体に同じもの。骨でも皮膚でも臓器でも、遺伝子は同じ。生命の親分は隠れている遺伝子ではないかと科学者は考えた。
    • しかしアミノ酸の合成である遺伝子に、生きたいという気持ち、思考、感情などはあるのか?そうとは言いづらい。遺伝子は非常に壊れやすいもの。
    • 科学は、機能とモノの間で往復している。命とは何かとモノで探して4つのアミノ酸で行き止まり。それで聖書の話に戻るのだからおもしろいのだが。
    • (科学者は)機能をモノで説明しようとしている。しかし、機能とモノを分けるのは勘違い。モノで探すと犯人探しはうまくいかない。さっぱり進まない。
    • 仏教の答え:モノがあるというのは勘違い。あるのは機能だけ。モノとはいくつかの機能をまとめたものの名称に過ぎない。「キュウリの漬け物」も様々な機能をひっくるめた名称でしかない。
    • 西洋宗教、インドでは魂を探していた。あれもモノ思考の産物。
    • 「よくわからない」という結論。
  • 命:仏教的分析
    • 〜「モノ」ではなく「機能」で分析する〜
  • 生きることは動くこと
    • 生きているという場合は、細胞一個一個も動いていること。
    • 仏教ではここから、モノで説明するのは止める。(地・水・火・風で終了)
    • 動きとは、細胞が何かを「知る、感じる」こと。
    • 生命は24時間生きている。知ること感じることをしない瞬間はない。知る機能感じる機能は無停止。動く=知る=感じる機能。別の機能だが不離。
    • 細胞は周りを感じる、自分を感じるという二つのことができる。
  • 命とは感覚のこと
    • 物体に感覚機能(感じること)があれば、その物体は生きている。命がある。
    • 細胞一個が何を感じているか分からないが、たくさん集まったところで感覚が分かるようになる。
    • 無数の細胞組織の中で感覚が一貫して動くので、細胞の数に関わらず一個の生命になる。億単位で細胞があっても命はひとつ。お互い感覚というひとつで、すべての細胞が繋がっている。
    • (臓器というモノではなくて)感覚という機能が親分である。
  • 必死で生きる
    • 外の物質を取り入れたり、物質を取り出したり、壊れると修復したり、死ぬ前に新しい細胞を作ったりしている。
    • 生きる機能を止めたい、休んだりしない。
    • 自分の維持管理のために、他の細胞組織を支えている。(我々だって、会社のためではなく、自分のために仕事しているでしょ?)
    • 感覚が自分の命なんです。
  • 命の主人
    • 何かの細胞組織ではない。脳という答えも間違い。
    • 同一感覚で細胞が管理される。
    • 細胞が感じたい。
    • 各細胞、組織に、体全体にわたる感覚が、細胞を生かしている。
    • 命の主人は感覚である。臓器は感覚の下請け
  • 感覚の目的
    • 感覚は誰のために働くのかと知りたくはなりますね。
    • 感覚は、感覚のために、感じるという働きをしている。それだけ。
    • 何をしたところで、それはただ感動したかっただけ。楽しくなりたかっただけ。感じたかっただけ。それだけで人生が終わる。生きることにはいかに意味がないか、バカバカらしいことか。
    • これで、命の楕円形の両端が繋がる。
    • これだからこれがある、という人生のシークエンスを調べていくと、プロセスを観察すると、すべて感覚が感覚のためにやっていることと気づく。
    • 感覚が感覚のために働くから、命は楕円形になっている。一歩も前進していない。しかし瞬間たりとも止まっていない。だから楕円形。これが「輪廻」ということなのです。
    • 命は感覚が感覚のためにやっていることだから、終わりがない。命のエネルギーは終わりなく続いていくことになる。
    • 感覚があるから「食べる」、「食べる」から感覚が起こる。
  • 感覚の本質
    • 当然、様々な原因で起こる。
    • 瞬間的に起きては消える、起きては消える。
    • それは停止なし、休憩なし、生き続けることという。
    • 俗世間の若返り願望を仏教的に見れば、すでに捨てた死体に戻りたいと思うこと。仏教を知っている人はそういう気持ち悪いことはしません。
    • 感覚は無停止だが、感覚には新たに起こる感覚について、好み、期待、要求 preference がある。ひとつの感覚が終われば、心配しなくても次の感覚が生じるのに。この音ではなく、この音をちょうだい、という好みが生じる。
  • ポイントにする
    • 生きるとは感覚のこと
    • 感覚が感覚のためにはたらく
    • 感覚は生滅変化してたえず続く
    • しかし感覚には次に起こる感覚に対して、注文--orderがある(生命はすべて、遺伝子のからくりだという現代科学の立場と全く違うスタンス。)
  • なぜ感覚を要求する?
    • いままでの感覚の流れがよいものならば、次の感覚に対して特別な注文はいらない。
    • 次の感覚がわかっていれば、変えることが不可能なら、注文する気持ちも起こらない。
    • では、今の瞬間の感覚に何か問題があるでしょう。だからorderを出す。
  • 感覚の問題
    • ひとつの感覚を意図的に続けると発見できる。
    • たとえば2分ほど息を止めてみるなど。好きな味を食べ続ける、好きな音を聴き続けるなどもよい。
    • 結果は、激痛が起こる、また嫌になる。
    • それくらい、感覚は本来、苦なのです。
  • 感覚が「苦」
    • おなじ感覚が続くことはまずいという結果になる。
    • 楽しい感覚でもつまらない、退屈という結果になる。
    • 苦痛などは耐えられる範囲を越えると細胞が壊れて、死になる。
    • 空しい、無意味、頼れないという意味で、感覚が苦と言える。
  • 要求(渇愛
    • いまの感覚は不安・不満・苦なので、よりよい感覚を期待せざるをえない
    • それに向かって、細胞が、組織が、臓器が働かなくてはならない。
    • 感覚のために体を使用することで、よりよい感覚を期待することで肉体は疲労する。
  • 渇愛の悪循環
    • 物質に依存して感覚が感覚を得る。
    • その感覚が不安・不満なのでさらに感覚を要求する。
    • その感覚も不安・不満なのでさらに強い要求になる。
    • 渇愛」という一語も、(上記のような)生命のあり方を知り尽くしたうえで語られた言葉なのです。

(次回に続く)


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