ゴータミー精舎瞑想会でのスマナサーラ長老ご法話

#jtba ゴータミー精舎での瞑想会での質疑応答スマナサーラ長老)を実況します。
posted at 14:36:07


#jtba Q:就職活動への恐れについて(、親の介護への悩み)
posted at 14:37:06

#jtba 長老:過去というのは生ごみだと思って、捨てます、関係ないのだと。自分の過去は正真正銘の生ごみだと思って下さい。生ごみはリサイクルで肥料に使えますが、肥料にも使えない生ごみだと。すべて今だけだと、いまだけを頑張るんです。
posted at 14:38:00

#jtba 長老:いつでもいまのことだけ。親の介護とかいろいろあっても、いまこの瞬間は親の介護していないでしょう。いまはここで座っている。その時間を大成功して下さい。瞑想で過去に行ったり来たりする癖をなおすのです。
posted at 14:39:08


#jtba Q:映画監督の北野武が好き。言動が仏教と似ているなと。
posted at 14:40:23

#jtba 長老:彼は芸術家だから、ものごとをよく観察していますよ。(仏教を勉強しているか判りませんが)
posted at 14:40:56


#jtba Q:仏教では輪廻転生という。しかし永遠不滅の魂がないと。もし永遠の魂がないのに生まれ変わるのか?
posted at 14:42:32

#jtba 長老:輪廻転生というのは因果法則の話。種がどこかにポンポン飛んで行くという話ではない。何でもずーっと変化して行く。いまの現象が変わって別の現象が生まれる。我々の心も変わり続ける。恐ろしい勢いで滝のように変化していく。魂、霊魂があったら、輪廻が成り立たない。
posted at 14:43:57

#jtba 長老:一般的にはよい行為にはよい結果が出る、悪い行為には悪い結果が出る、というくらいの理解で充分です。地獄があるとか、天国があるとかいうことは、いくら考えても分からない。実証出来る範囲で因縁を理解する。
posted at 14:45:20

#jtba 長老:例えば「時間が無限」ということは実証的には分からない。しかし、ありえるんじゃない、ということで話が終わるでしょう。そのように、実証できる範囲で理解するんです。
posted at 14:46:37


#jtba Q:ガン患者への対応。(親族を)介護する人の心構えを教えてください。
posted at 14:47:28

#jtba 長老:まずみなで仕事を分担してやらないといけない。元気な人はみな何らかの形で介護に参加しないといけない。家族親族だから、交代しながら分担しながら、協力しあって生活することが大事です。それでずいぶん楽しいし、そのための家族・親戚でしょう。
posted at 14:48:28

#jtba 長老:何か問題があったら協力する、なにかあったら頼めるというのが、家族親族の環境でしょう。仕事を分担して、きょうりょくしてやる。そうすれば誰のことも心配しないですむ。
posted at 14:49:14

#jtba 長老:介護というのは特別な問題ではない。いつでもあることなんです。特にこれからの日本は介護は重要な問題でしょう。社会が「自分だけいいや」という風潮になってしまって、社会そのものを壊してしまった。
posted at 14:50:09

#jtba 長老:金がかかるから子供はいらないとか、そういう思考でやってきたツケが重くのしかかる。少子化で、親の介護問題が起こると手に負えなくなる。子供作らなかったからと言って金の余裕があるわけでもない。おかしな環境です。本当は、日本は経済大国ではないんです。ぎりぎりで生きてる。
posted at 14:51:26

#jtba 長老:それはおいといて、人はガンになります。年老いたら介護必要になります。いま起きた問題ではない。昔からあったことです。皆様方は、娘の結婚式だというと大騒ぎして準備する。家族行事でしょう?介護や看病もまるっきり同じなんです。
posted at 14:52:33

#jtba 長老:おじいさんおばあさんが倒れたら、介護しないといけない。それで家族の行事が一つできただけ。結婚式の準備と同じように、楽しい出来事として、行事をやればどうでしょうか?癌になった人にどんな顔をみせればよいかとか、おかしな話です。あなたも癌になりますからね。
posted at 14:53:31

#jtba 長老:ふつうに家族として接すればよい。普通に話せないのは認知症になった時ですけど、それでも相手の話に合わせれば良いし。ふつうに、家族が引っ越しするようになったとか、結婚するとか、それと同じ気分でやれば。
posted at 14:54:57

#jtba 長老:介護という言葉も使わない方がいいんです。私は差別用語だと思います。単純な家族行事ですよ。気持ちが変われば、私が言っていることが本当だと思うでしょう。病人の面倒みることはすごく楽しいことなんです。充実感があるんです。大事なことしてるんだという気持ちが生まれる。
posted at 14:56:51

#jtba 長老:たいへんな充実感がうまれる。それが本当の楽しみなんです。ですから介護は家族行事と観ること。それから、一人がつきっきりというのは出来ない。人それぞれ仕事や義務もあるから、交代して分担して行うこと。そういう管理能力が必要な家族行事なんです。
posted at 14:58:37


#jtba Q:「生きとし生けるものが幸せでありますように」というのは、何に対して祈っている?
posted at 14:59:07

#jtba 長老:何に対しても祈ってない。「生きとし生けるものに対する自分の態度はなんなのか?」ということ。生きとし生けるものの幸福を願うことのできる偉大なる人格者になるのだ、と人格を形成するプロセスです。
posted at 15:00:24


#jtba Q:「私の嫌いな人々が、私を嫌っている人々が、幸せでありますように……」と念じるとなんか可笑しくなって吹き出してしまうんですが……。
posted at 15:01:37

#jtba 長老:まぁ、それはそれでいいんじゃないですかw でも嫌いな人も、嫌っている人も確実にいるんですから、そういう人々も幸せになって欲しいと、真剣に念じた方がいいんです。
posted at 15:02:27


#jtba Q:いまを大切にということについて。
posted at 15:03:31

#jtba 長老:仕事はいつでも楽しいわけではない。時にはきつい環境で仕事をすることにもなります。しかし失敗してはいけない。選べるならば、自分に得意なところは選ぶこと。
posted at 15:04:45


#jtba Q:親が癌に。癌になる前は怒りっぽい人だった。癌になってからは落ち込みが烈しい。どうしたら親が毎日幸せに暮らせるかと……。
posted at 15:05:45

#jtba 長老:私たちはたとえ自分の父でも、子供でも、他人に対して出来ることはリミットがある。何でもできると思わない方が良い。自分の産んだ子供でも何でもできると思ったら勘違いであって事実ではない。一人ひとりが自分でしなくてはいけないことがある。
posted at 15:06:54

#jtba 長老:それを覚えておいた。親が自分で気持ちを明るくできるように。小さい頃から怒りの思考で生きてきた人は、細胞が早く焼けてしまう。心で我々の遺伝子が変化しますから、すごく危険なことなんです。いつでも慈しみの、明るい気持ちでいないと、せっかく具わった寿命まっとうできない。
posted at 15:08:26

#jtba 長老:しかし人間は真理を理解しない。手遅れになってから何とかしてくれといっても放っておくしかない。ひとつ方法としては、親にはっきりいっては?もう病気でしょう、治るかどうかわからないでしょう。だから明るくしなさいよと。身体が痛くて苦しいのは判るけど、自分の人生は短い。
posted at 15:09:39

#jtba 長老:落ち込んで苦しんで怒り憎しみでいていいのかと。そう言えば。心配で心配で自分の仕事も手に付かないんだと。子供としてできることは、親の親としての気持ちを喚起してあげること。親はどんな状況になっても、子供がたいへんだとおもうと何とかしてあげたくなる。
posted at 15:12:05

#jtba 長老:親も、自分の暗い気持ちの所為で子供が苦しんでいるのだとわかったら、何とかしなくちゃと思うんです。
posted at 15:13:01


#jtba Q:「いまを生きる」という言葉が自分にヒットした。いいものだったら、仏教はもっと世の中に広まっているはずだと思うのですが……。
posted at 15:13:59

#jtba 長老:それは世間の問題になりますけど。仏教はあらゆる権力などを使わない。政治力、権力、武器の力は使わない。人を脅さない。キリスト教みたいにキリストの復活を信じなかったら終だとか、精神的に人を脅してマインドコントロールすることはない。その場合、ひろめるのは難しい。
posted at 15:15:09

#jtba 長老:キリスト教イスラム教は軍隊と一緒に広める。みな殺されたくはないでしょう?殺戮、略奪、強姦、そういうことと一緒に宗教を広めてきた。そういう世界で仏教が少数派になるのは仕方が無いんです。
posted at 15:16:05

#jtba 長老:平和な社会で、思想的な自由があると、それは仏教にとっていい時代。時代的には仏教にとっていい時代も、悪い時代もある。ちょっと前は世界は仏教を広めるために比較的よかったが、また迷信的な社会に陥りつつあるようです。
posted at 15:17:32

#jtba 長老:理性的な人というのは、少ないのです。みな神頼み、拝み、迷信が好き。努力よりは神頼みが好きです。すぐ諦める。また、仏教そのものは決して解り易い教えではないんです。仏教を汚すことなく壊すことなく、人々に理解できるように語るのか、というのは一つの能力。
posted at 15:19:07

#jtba 長老:仏教徒はたくさんいるが、その能力がある人は少ない。テキストは古いのだから、ただそれを開いて読み上げても、なんだこれ、となるだけ。三番目の問題は伝道する人の能力にあるんです。日本の僧侶の方々も、自分たちの教えを皆に語りたいという気持ちはある。
posted at 15:20:09

#jtba 長老:しかし、語る能力がないんです。親鸞日蓮の話、歴史の話としては語れるけど、いまの私にとっては別に(関係ない)ということになる。そこで、現代人の好みにのって、迎合して、仏教そのものを壊してしまう。
posted at 15:21:22

#jtba 長老:お寺でロックコンサート開いても、人は集まるかもしれないけど、別にみな音楽聞きに来るだけですから。できれば、日本のお坊さん、みな落語家になったらどうかなと。落語だったら、内容のある話を組み立てられますから。その場合も、すごく研究しないと。
posted at 15:22:33

#jtba 長老:みな自分の食い扶持をまず考えてしまう。そんなことしてたら食えないんじゃないかと心配。でも、仏教のためには、自分を捨てて教えを伝えないといけない。自分を捨てる。そうできる人は少ないんです。
posted at 15:24:03


#jtba Q:マインドフルネス瞑想(の医療への応用)について。
posted at 15:24:34

#jtba 長老:それは仏教からぱくってるだけでしょうw 仏教は許可なしに教えをぱくることについて、何も言わないんです。韓国でも、私の本の海賊版が出てますけど、放っておけと。科学者が瞑想のこととかいろいろつまみ食いしているが、仏教はまったくどうでもいいと思っている。
posted at 15:25:56

#jtba 長老:瞑想すれば、精神的な問題は治りますけど、それは売り物ではない。管轄外です。時々、「瞑想していたら調子よくなったから薬止めていいですか?」と言われますが、それには答えられない。管轄外です。
posted at 15:26:56

#jtba 長老:一般的に、精神病の薬は、脳の機能を抑える薬であって、向上させる薬ではない。しかし、それについて、医者ではない我々がどうこう言えない。マインドフルネスというのは、こちらでやっているヴィパッサナーのこと。いつでも自動モードで心を制御して開発していく方法です。
posted at 15:30:58

#jtba 長老:うつというのは、ほとんどの人間がかかる問題です。大げさに考えられていますが。うつを治療する医者もうつにかかるんですw 一日単位でも、嫌になっちゃった、欝になっちゃった、という時はある。脳の機能が落ち込むことある。毎日、何度もその発作を起こします。それ治すのは簡単
posted at 15:33:10


#jtba Q:ジャイナ教と仏教の生命観のちがいは?
posted at 15:33:35

#jtba 長老:短絡的に言えば、ジャイナ教は観念的な物理学なんです。生命の「形」を重視する。魂には形があって、魂の形で身体が形成されるのだと。形を壊すことで魂を毀損する。それが殺生だと。だから、出家は冷たい水に触れることも殺生だという。おのずと苦行的生き方になる。
posted at 15:35:28

#jtba 長老:仏教の生命の定義は、「感覚がある」ということです。水に感覚がないことは明白です。物理的な変化だけです。ちょっとわからないのは植物です。仏教の出家には枝を折ることも禁じていますが。在家には無理ですから、五戒以外は言っていない。
posted at 15:37:59

#jtba 長老:戒律作る前に、お坊さんも樹を倒して庵を作ったりしていた。あとから、止めた方が良いということになった。とにかく、生命とは感覚あるもの。感覚あるものは刺激にたちまち反応するのです。感覚あるもの(有情)は殺してはならない。反射的に殺しても、殺生は殺生です。
posted at 15:39:26

#jtba 長老:慈しみの気持ちがあれば、そういう問題は起こらないのです。生命はみな生命で、自分の仲間だという気持ちがあれば。その気持ちが「本気」ならば。
posted at 15:42:22

#jtba 長老:生命に対する慈しみが出てくると、害虫がどうとか、何が問題かわからなくなるんです。人は反射的に殺生してしまうというのも、結局は怒りなんです。そこで一旦停止して手を止めることが仏教の道徳なんです。これはやるべきか?と。
posted at 15:45:30

#jtba 長老:生命は自然の中で協力しあって生きているんです。微生物がいないとみな死んでしまうでしょう。それを考えて、もうちょっと協力的に生きると、特定の生命の異常発生ということは起こらなくなる。(法話終了)
posted at 15:48:02


#jtba @kuma_rin さん、皆さん、コメント&RT多謝。やはり漫然とビデオ流すよりメモとった方が勉強になりますね。
posted at 16:02:03


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