テイヤール・ド・シャルダン

現象としての人間

現象としての人間

異端的な傾向を持ったカトリック神父で、フィールド系の自然科学者で、北京原人まで発見しちゃったフランス人のおっさん、テイヤール・ド・シャルダン『現象としての人間』読了。amazonの書評でカトリックの人がムキになって批判していたので、ちょっと興味を持った。グノーシス主義の現代的な焼き直しっていうか、まぁ、あれですな、ニューサイエンス系にありがちな生物進化論にアナロジーで「霊的進化論」をくっつけたモノイイの元ネタです。それもカウンターカルチャーとしてのそれではなくて、キリスト教優越主義、西欧文明至上主義を正統化する指向性で書かれているので、かなり気色悪い。あんたら、そんなに「世界の中心かつ先端がオレ!オレ!オレ!オレ様の素晴らしさを世界に分けてあげるのら!」と叫びたいのね。おなじオカルトのヨタ話でも、反キリスト教むきだしだったブラヴァッキーおばちゃん(神智学協会の創設者)のようなパンク魂は皆無なので、全然さわやかじゃない。創造説にしがみついて世に遅れるばかりだったキリスト教と自然科学の進化論をこじつけた、という発想のそこそこユニークなとこ(まぁ、それだって似たようなのはヘーゲルが歴史哲学なんたらでさんざんやってるし、シュタイナーなんか丸かぶり)を除けば「思想」としては二流、三流のしろものでしかない。でも、オカルトや疑似科学を論破したい人は、「元ネタ」のひとつとしてチェックしておいてもいいかも。知的誠実を装いつつ、科学と宗教を混濁させるレトリックもだいたいひととおり出てくるので、その点ではチェック用に使える。ちなみに、シャルダンが盛んに唱えてたヌースフィア(精神界)とゆー概念は、地球物理学の松井孝典氏が提唱する「人間圏」の発想にもちょっと通じる気がしたな。とりあえず、キリスト教ってのはどこをひっくり返しても、人間の根源的な無知に根ざした宗教体系なのだな、としみじみ思った。

※メンテ中なので掲載されてないと思ってましたが、推敲前のものが載ってしまいました。後からちょい加筆しましたがご勘弁を。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜