小乗仏教というモノイイについて

昨日はたまたま、『ブッダの智慧で答えます 生き方編』を紹介してくれた宮崎哲弥氏のテキストに性格の悪いインネンをつけた訳ですが、仏教ブームとゆー風潮のなかで、惰性のような形で使われている小乗仏教というモノイイについて、俗論とはちょっと違った説明をしたいと思います。僕がテーラワーダ仏教上座部仏教)の団体の職員であるという書き手の立場をふまえた上でお読みください。

スマナサーラ長老と養老孟司氏の対談『希望のしくみ』では、テーラワーダ仏教上座部仏教)を小乗仏教と呼ぶモノイイについてこう苦言を呈しています。

そもそも小乗仏教と言われていた宗派(説一切有部 せついっさいうぶ)は、お釈迦さまが入滅して二〇〇年くらいして私たちのテーラワーダから別れて成立したものですが、いまはもうなくなってしまったんです。その宗派を非難して大乗仏教が形成されたという経緯があります。だからテーラワーダ小乗仏教と呼ぶのは、まったくナンセンスなんです。(18ページ)

もうちっと詳しく説明します。一般的に小乗仏教という言葉が使われる場合、以下の三つの概念がかぶさっています。

これらはどのような理由で「小乗仏教」と呼ばれているのでしょうか。

説一切有部小乗仏教

釈尊(ブッダ)の入滅後100年頃、仏教サンガ(僧団)が戒律をめぐって、伝統を重んじる上座部(じょうざぶ)と戒律修正派の大衆部(だいしゅぶ)とに根本分裂しました。その後、仏教サンガは枝葉分裂を繰り返し、上座部から更に別れた説一切有部という部派(学派)が大きな勢力を誇るようになりました。仏滅後500年頃になると、一部の仏教僧侶たちによって、般若経法華経華厳経・無量寿経などの経典(いわゆる大乗経典)がブッダの名の下に「創作」されるようになります。

このような経典の「創作」自体、サンガ全体の結集(けつじゅう)という経典の確認作業を通して厳密に仏説を守ってきた上座部を初めとする部派仏教の立場からすればトンでもない戒律違反でした。

大乗仏教中心の日本ではほとんど触れられない事ですが、「八万四千の法門」と呼ばれる膨大な仏教経典も、部派仏教時代までの初期仏典(完全な形で現存するのはパーリ三蔵のみ)と大乗仏典とでは出自がまったく違います。前者は仏滅直後から三回にわたる経典結集というチェック手続きを経て成立しており、少なくとも部派仏教のなかでは無秩序な加上行為などあり得なかったのです。それは、元ネタの部派がバラバラなはずの漢訳仏典の阿含部とパーリ語の三蔵とがかなりの確率で共通していること、パーリ経典・漢訳阿含ともに大乗諸経典に見られるような教義上の混乱がほとんど見られないこと(これは散文経典は信用出来ない、うんにゃ韻文経典のほうが眉唾だとか変な先入見・妄想をしないで初期経典をあるていど通読すれば、根気があればバカでも分かる)など文献学的な証拠はいくらでも出せます。

ともかくたいへんな破戒行為を犯してまでも仏典を創作してしまった一部の僧侶達は、説一切有部を主要な論敵として自分たちを悟りに至る「大きな乗り物=大乗」と称し、論敵の説一切有部を「小さな・劣った乗り物=小乗」と貶したのです。しかし大乗派の教学自体が、えてして従来の部派仏教とりわけ説一切有部アビダルマ(論理学とか煩瑣哲学とか言われるが、実際には修行マニュアルである)を利用しなければバラバラになってしまう脆弱なもの(哲学的な思考/妄想の遊びという点では壮大だが、心の成長のための実践体系としては機能しない)でした。悟りに至る「大きな乗り物=大乗」という宣伝文句を謳うために、「一切衆生を救済するまで悟らない」大乗菩薩道なるものを思いついて修行の完成(さとり)を否定し、如来による救済という概念によって修行プロセスと実証できる因果法則を否定し、自分たちの教えが成り立たなくなると「修行しなくても一切衆生は本来悟ってるんだ」とか何とか手の付けられない戯言を言い出すのですがそれは後の話。

大乗仏教勃興までの部派仏教一般が小乗仏教

時代がさらに下り、大乗派や部派の護持する経典が、シルクロードを通って大乗派の僧侶によってバラバラの状態で中国文化圏に伝えられると、「自分が偉い」がアイデンティティの大乗派を重んじる立場から部派系の経典はぜんぶひっくるめて「小乗」とされるようになりました。中国ではバラバラに伝えられた経典を自分たちの思考で本来の文脈と無関係に並び替えて中国流に分類する方法を考え出したので、実際に活動してた部派仏教とは無関係に、経典の分類項目としての「小乗仏教」が作り出されたのです。この分類がまたのちに一人歩きします。ただし、実践体系としての中国仏教は、部派仏教の戒律とアビダルマの上に大乗経典の菩薩道を実践するというインド由来の伝統がまがりなりに守られていました。中国の仏教徒はシルクロードや海路を通して、インドやスリランカなどで諸部派と大乗派が相互に批判しあいながらも、ともに仏道を実践する姿を知っていたからです。

テーラワーダ仏教上座部仏教)が小乗仏教

でもって、中国仏教をそのまま受け入れた日本では、大乗仏教が「仏教」たり得ていたエンジンともいうべき部派仏教の要素、すなわち戒律とアビダルマ(修行のマニュアル)を排除して大乗「経典」のみを崇拝するようになります。小乗として批判した説一切有部の戒律・修行マニュアルなしには実践体系としては成り立たないという弱みを抱えていた大乗仏教は、経典の言葉を文字通り真に受けて「小乗」を完全に切り捨てた日本において、一部の経典のまた一部分を抽出して、インスピレーションと祖師の人格力によって構築した「祖師仏教(祖師教)」として隆盛を極めるのです。

明治の開国後、日本の仏教徒は上座部仏教を守り続ける東南アジア・南アジアの仏教徒たちと初めて出会います。活きた伝統として現にそこにあるテーラワーダ仏教上座部仏教)についても、日本の仏教者たちは長らく固定概念のまま「小乗仏教」と呼び続けたのです。アジアでは最初に近代化を果たした日本人の自負心というか、自分たちの固定概念で理解出来ない他のアジア仏教徒を見下す意識も反映されていたでしょう。また、欧米の植民地経営の一環として研究が進んでいたテーラワーダ仏教に対して、日本の大乗仏教の優越性を誇示するという意味もありました。

インテリの皆さん、田舎くさいから「小乗」とか言うのもう止めたら?

でも最近は「そーゆ−失礼で田舎臭いのいい加減にやめたら?」という良識的な意見に押されて、歴史的・教学的な意味での「小乗仏教」と、上座部仏教テーラワーダ仏教)とは区別して扱うようになってきました。ほんとのきっかけは戦前に日本がアジア連帯と南方進出を画策していた頃、1)現地の仏教を「小乗」呼ばわりしてはよろしくないのではないかという配慮が起こった事、2)スリランカで積極的に仏教連帯を唱えていた大菩提会系のインテリから直接批判された事などで、小乗仏教というモノイイに「言ってる奴のお里が知れる」という恥ずかしさが加味されるようになったのです。

でもって戦後になってもこの風潮は続き、「小乗仏教」という言い方(ついでにチベット仏教を「ラマ教」と呼び淫祠邪教呼ばわりする河口慧海以来の悪弊)は徐々に改められてきました。でも、それも仏教マスコミという狭いコップのなかのこと。仏教ブームで一般のインテリもアクセサリのように仏教について語りたがるようになると、一般の日本語として仮眠してた「小乗仏教」という言葉がまた無批判に使われてしまう。自分の宗派の祖師さんのことしか関心のない坊さんたちも、惰性で「小乗」という。ひどいのになると、「上座部仏教といっても自分では区別がよく分かんないから」と仏教入門を書くような人が平気で言う。分かんないなら書くなっつーの。

どっちにせよ、宮崎哲弥氏のように、かっこよく現代時評とかサブカルとか語っちゃう人が、仏教者を自称する知識人が、名をただす努力もほどほどに「小乗仏教」とか使っちゃうところに昨今の仏教ブームの底の浅さが垣間見えるような気もしますね。まぁしかし、宮崎氏の記事のおかげで、『ブッダの智慧で答えます 生き方編』と出会う人がひとりでも増えるならば、それはひたすらに感謝するばかりです。

〜*〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜*〜