平成から令和へ――日本におけるテーラワーダ仏教のこれから

1989年から2019年にかけての平成時代は、アルボムッレ・スマナサーラ長老(1945- )の日本における初期仏教伝道活動の期間とほぼ一致します。長老の活動を通じて、それまで小乗という侮蔑(反面としての原始仏教本流という畏怖)対象であったテーラワーダ仏教・上座仏教の教えと実践が日本に広まっていきました。

書籍やインターネット、講演や瞑想会などを入口とした伝道活動によって、多くの人々がお釈迦さまの教えと結縁(智慧の種を渡す)を果たしました。しかし、それが芽を出して涅槃という結果に至るかどうかは一人ひとりの宿題です。

新たな元号令和が「離者令和 和者随喜」という阿含経典のフレーズに(も)由来することは既に触れました。しかし、世の中の風潮としては普遍的な真理よりも小さな拠所・アイデンティティに縋りたい、仏教用語でいえば宗我に閉じ籠もりたい、という希望・願望が渦巻いているようにも見えます。

希望・願望はそれが不可能であるが故に強化されるものです。虚飾と虚偽に塗れた言説で日本の卓越性を謳い上げる政治的・文化的保守主義が、仏教界にも浸透しつつあることは身近に起きている事象を観れば分かります。しかし排外を叫ぶ声は現実否認の悲鳴に過ぎず、正念ある者たちの前途を阻めるものではありません。

日本という国・地域に法灯を点したばかりのテーラワーダ仏教は、一般向けの布教伝道という局面から一歩を踏み出し、出家比丘サンガ設立とそれを支える強力な在家仏教徒の組織化へと向かうことでしょう。

それは明治にスリランカで初のテーラワーダ比丘となった釈興然(1849-1924)の遺志を引き継ぐことでもあり、早世された西村玲先生(1972-2016)が明らかにした江戸期仏教者たちの釈尊への思慕*1を受け継ぐことでもあります。

テーラワーダ仏教伝来という未完の近代仏教プロジェクト。令和なる元号のもと、わたしたちはその最終局面に参与し、立ち会うことになるのです。

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~