人間とトラの違い、そしてブッダの獅子吼

http://assets.worldwildlife.org/photos/2090/images/hero_full/Sumatran-Tiger-Hero.jpg?1345559303

FBの仏教アカウントから「人類と虎(の違い)。虎は自分と同じ種族を獲物にしない。」という意味の写真短文が流れてきた。

人間の愚かさを表すために、食傷するほどよく言われる教訓だ。でもこれって、なぜなんだろうか?

動物も極限に飢えれば共食いするケースはある。しかし、人類は食うに困らなくても常に「共食い」をしている珍しい種族だ。

つまり人類は、物質的に必要を満したとしても、精神的には常に、共食いせずにいられないくらいの「飢餓状態」にいるってことではなかろうか。

人類はその知力を用いれば、労少なくして生きるのに必要な資具を揃えることができる。しかしそれとは無関係に、種としての利点である知力は、人類に際限のない激しい「精神的飢餓状態」を生じさせてしまうのだ。

精神的飢餓に駆られた人類は、凄惨な「共食い」を繰り返してながら数を増やし、生存圏を拡げた。その過程では、自分たちの生存基盤である自然環境を破壊し、文明をまるごと消滅させるカタストロフィを何度も繰り返してきた。

この人類のジレンマ、種としての深刻な病に気づき、その根本的な克服に挑戦したのが、釈尊(ブッダ)だったのだと思う。

ブッダの教えは、直訳すると「超人法(uttari manussa dhamma)」である。ブッダは精神的飢餓による共食いと文明崩壊を繰り返す人類に、「種としての限界を超えよ」「超人たれ」と呼びかけたのだ。

釈尊は、極度の精神的飢餓(渇愛)という人類固有の病の原因を発見した。病を克服する処方箋(八正道・四念処等)を示した。「超人」の集い(聖サンガ)を率いて、人類に範を垂れたのだ。

釈尊は2500年以上昔の人だけど、現代の私たちもまた、2500年前の寸分たがわぬ人類だ。実際に他者を殺さなかったとしても、私たち一人一人が、激しい精神的飢渇の嵐に苛まれている。人間だもの。

人類が人類である限り、種の病からは逃れられない。であるならば、ブッダの超人法は何があっても古びることはない。つねに「現代的」な響きを伴いながら、人類に「超人たれ」と獅子吼し続けるのだ。

(虎ではじまり獅子で終わった。^^;)

※3年前のFB投稿をサルベージした。

トラやライオンたち (100の知識 第3期)

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