スマナサーラ長老月例講演会twitterメモ

今日は2009年最後の初期仏教月例講演会。以下、twitterメモ(一部修正)です。


12月23日 (水・祝), 14:00 〜17:30 スマナサーラ長老月例講演会 『心と身体の「連携プレー」、出来ていますか?〜精神と肉体を、上手に「協調」させるために』オリンピック記念青少年総合センター http://tinyurl.com/ygojupn #jtba
posted at 22:42:29

#jtba 長老:心はリーダーなり。支配者なり。創造者なり。manomayaa こゝろにより創造される。仏教は心についていくつかの立場で語る。社会をひっくり返す革命的な言葉。宗教的世界観の背景:神と霊魂という二元論
posted at 14:39:33

#jtba 長老:神は魂と体を創造する。体が魂を汚すという思考あるが、魂が体を汚すという思考はない。体が本来汚れているのか、神が汚れた物質作ったのかは言わない。論理成り立ってない。言葉終わりまで言う前に矛盾が現れている。 魂が神を作る、というのは神への冒涜になる。
posted at 14:44:03

#jtba 長老:仏陀は巧みな論理で神を退場させた。 神を設定しないが魂と体が区別して存在すると説く宗教もある。この場合、魂は永遠のもので死後も続く。しかし魂は体により汚れると。体(物質と)魂が両方とも永遠でそれぞれ勝手に流れるという宗教も。汚れたり清まったりして勝手に転生する。
posted at 14:50:07

#jtba 長老:転生の回数券があって、それが終わると勝手に止まる。修行の必要もないということに。また、魂も体も死で壊れて終わると説く宗教もあった:インド唯物論。 魂にランクつける宗教もある。性格、生き方、知識れべる、カーストなどは魂のランクで定まると。
posted at 14:54:39

#jtba 長老:その宗教から見ると仏陀の魂は黒い色でランクが低いそうです(苦笑)。このような背景があったので、誤解されないように注意深く語った。人類の精神に爆弾を仕掛けたがまだ爆発していない。
posted at 14:59:35

#jtba 長老:魂イコールこころ、ではない。「自分がいる」という自覚がある。それは六感の機能による認識。事実は「聞こえた」「見えた」だけ。私が、という主語は成り立たない。単なる概念遊びが実体化される。
posted at 15:03:12

#jtba 認識は情報によって変わる。私、の内実はつねに変わる。「台風の実体」は何処にもない。六感の認識をひっくるめて、「こころ」と呼ぶ。他宗教は魂と呼んで実体化する。
posted at 15:06:34

#jtba 長老:魂という変わらない実体があると実証できない。実証できないから存在するというのはお笑いぐさ。永遠不滅の魂であれば、汚れることも清まることもありえない。矛盾。体が魂に影響を与えられるなら、肉体の方が偉いじゃん。全知全能の魂がちっぽけな肉体に汚される?
posted at 15:11:10

#jtba いま国立オリンピック記念青少年総合センターでのスマナサーラ長老講演をメモってます。
posted at 15:13:21

#jtba 長老:魂論ではこころとからだの相互依存関係を説明できない。魂論のヒンドゥー教がヨーガやったり菜食主義に励んだりするのは冗談みたいな話。
posted at 15:15:02

#jtba 長老:仏陀の革命論。こころにより支配されて世界は成り立つ。生きるとは環境を認識して、認識により起こる感覚を変えることです。
posted at 15:17:01

#jtba 長老:1環境を感じる。2環境を変える。人間だけではなく、あらゆる生命がやっている。感覚を変えるためには認識を変えないといけないので、入る情報を変える。入る情報を変えるとは即ち環境を変えること。
posted at 15:20:21

#jtba 長老:科学と経済の発展はこの結果です。生命は自分の都合で環境を変えている。体に触れるデータをかえている。生命はこころ(認識)だというと、一切の生命は基本的に自由な存在であり、平等で、誰の子分でも、誰に支配されて生きている訳でもない。
posted at 15:23:27

#jtba 自分は自分の主人である、という言葉は、これまで現れた・これから現れる一切の宗教の語る言葉と正反対。心が創造者なり、という言葉は究極の「反宗教論」である。
posted at 15:25:56

#jtba 長老:釈尊は問題起こさず、一切の実体論を否定して葬り去った。…では、こころが偉いのか? 創造者とまで持ち上げたが、「こころは偉くない」のです。こころは瞬時に変化する、体に依存、一定しない、制御し難い、情報を誤認する。
posted at 15:29:45

#jtba 長老:こころは(汚れた)感情に支配されている。因縁の関係:こころは自立できません。因縁により現れるもの。色形が目に触れて視覚が生まれる。音が耳に触れて聴覚が生まれる。情報によってこころが変わる。感情が起きたらそれに応じて妄想が沸き起こる。
posted at 15:35:21

#jtba 長老:体に温かい風が触れても、冷たい風が触れても、ちょっとしたことでこころが変わる。物質もこころもエネルギー。エネルギーとは限りなく変化して変わる働き。
posted at 15:37:12

#jtba 長老:情報に触れてこゝろ認識が変わるが、外の情報に触れなくても、自力で(内の情報によって)次のこゝろが生じる。核分裂反応のようにちょっとした刺激から大爆発を起こす。それも因縁によるので、自由にあらず。
posted at 15:40:49

#jtba 長老:我々が生まれる時(結生時)ある基本的な形を取る。それはその体を持つ限り引き継ぐ形。それは過去の業による。業もこころに蓄積するポテンシャル。人が死ぬまで様々な業が体の構成を変えてゆく。
posted at 15:46:18

#jtba 長老:環境によっても体が変わる。摂取する物質によっても体が変わる。認識・思考によっても体が変わる。こいつぶっ殺す、と思いながら可愛らしく笑えない。バレます。体は、4要素で変わる。業、環境、栄養、こころ(認識)。
posted at 15:50:26

#jtba 長老:こころも体をつくる。物質にはエントロピーがあるので、必然的に老と死がある。肉体を育てる:何をしても変えられない基層的なブループリントがある。それは業が作ったもの。しかしそこから善行為悪行為で体を意図的に変化させることあり得る。
posted at 15:54:00

#jtba 長老:悪感情、悪行為に耽って、悪思考専門で生きると、健康な体で生まれても短命で終わることあり。逆も然り。
posted at 15:56:10

#jtba 長老:善い・明るい思考で生きることで、長命で健康な体になることもある。それから食と環境の管理。業という青写真以外は変えられる。しかし生きる体は変化するので、体を変えるプロセスに終わりはない老いと死も避けられない。
posted at 16:00:53

#jtba 長老:その老いと死という事実を忘れると精神的ショックを受けて体が壊れる。
posted at 16:02:15

#jtba 長老:こころを育てる:仏教は絶対的な専門家。しかし臆病なこころは体に隠れている。俗世間は体のことにしか興味ない。また他人に説教することには意欲満々だが、自分をしつけようとはしない。
posted at 16:05:31

#jtba 長老:例:自分を措いておいて一切衆生を救う? 人を解脱させられない。救えない。救ってあげるというのは単純な嘘。一切衆生を救う方法すらない。実質的には極小乗でしかない。人に水をあげられるが、強引に飲ませることは出来ない。病気の人でも、水を体に取り入れるかは本人次第。
posted at 16:10:01

#jtba 長老:人に教えられるが、理解させることは不可能。怒るなかれと言えるが、怒りの悪さも教えられるが、怒らないことは本人次第。怒らないようにしてあげることは無理。
posted at 16:13:31

#jtba 長老:こころの侵害。人は他人のこころを支配したいと思っている。一人一人が主権国家だから成り立たない。できるのはマインドコントロールだけ。こころを壊すこと。
posted at 16:17:22

#jtba 長老:従って仏陀は、教える。最高の教師として。間違いなく理解できるように教える。他人の主権を侵害しない。
posted at 16:19:11

#jtba 長老:MN70より。円満に修行して解脱に達する3条件。 1)適切な住居:日常生活に必要な衣食住薬を確保する。苦行禁止。体の調整:贅沢に耽る肉体至上主義を禁止。体の管理に中道を守る。体いたわりつつ、怠けに注意する。こころが活発であれば睡眠時間であっても仕事する。
posted at 16:32:29

#jtba 出家が体を調整するための項目を解説。2500年前に体を清潔の保つこと、時々サウナにも入ることなどを教えた。薬飲んでな病気が治らなければ、医者に行け。気持ちが落ち込んだらお経を読んだり対話したり仏教を学んだり。精進する仲間と交わったりすること。
posted at 16:36:59

#jtba 決して満腹になるまで食べない。よく味わってゆっくり食べる。出家は体を維持できる程度、在家は使用す体力にあわせて。栄養バランスも大事。
posted at 16:39:32

#jtba 長老:体の面倒を見るのは大工が道具を大事のするようなもの。あくまで体は道具です。 …休憩に入ります。スマナサーラ長老初期仏教月例講演会
posted at 16:48:17

#jtba 後半の部始まります。長老:2)五感の調整。げんにびぜっしんにふれる情報によって、こころは揺れ動く。欲、嫉妬、怒りなどの煩悩おこる。人は五感からの刺激に依存する。ものを見てもこころに欲と怒りが起こらないようにしてみましょう。耳で聴いても…。猛獣を興奮させない。
posted at 17:04:00

#jtba 長老:ここまでは体の調整とも言える。こころは猛獣のように恐ろしい。食べ物が口に合わないだけで何をするかわからない。例:ジャータカ物語
posted at 17:06:02

#jtba 長老:3)善友との付き合い。こころの制御と成長の課題。こころは本来無知なので、真理を発見できるように集中力と観察力育てる。それを教えられるのは仏陀だけ。善友とは仏陀のこと。
posted at 17:13:40

#jtba 長老:無くすもの。基本的な非道徳である怒り、嫉妬、傲慢、欲などを戒律・道徳といかたちで制する。しかし中道注意。己のこころの汚れを無くす目的。戒律項目にしがみつくことも煩悩。
posted at 17:16:48

#jtba長老:育てるもの。五力・五根、八正道、七覚支など。バランスよく育てなければ。個人差がある。簡単に現れる善もあれば、なかなか起こりづらい善も人によってある。
posted at 17:21:04

#jtba 長老:自分で個人プログラムを組む人もいるけど……ダメとは言えないけど、それも仏教を勉強する人に現れる我。一概に間違いとも言えないので難しい。すべての善は均等に整えないといけない。
posted at 17:26:50

#jtba 長老:まれに生まれつき均等に育っている人もいるが、ほとんどの人は、バラバラに善が成長する。ある程度で善が成長したら均等を保つ。均等といっても中道。
posted at 17:29:18

#jtba 長老:こころは因縁なので、因縁が揃ったら完成する。解脱に達する。体の調整も中道で。体を無視するとこころの成長もない。こころの成長入ったら、悪無くすことも善に達することもバランスよく中道で。善のみに達する時も善心所も均等で最強力でないといけない。
posted at 17:33:49

#jtba 食べるとき、腹八分目でよく噛んでから飲み込む。美味しいものを追うのではなく、口の中に入ったものをキチンと味わう。それが体の調整になる。
posted at 17:36:52

#jtba 長老:ちょっと体が傾いただけで思考の流れが変わる。だから体はしっかり管理する。しかし体中心主義にならないように。体は(こころ育てるという仕事のための)道具です。講演終了。
posted at 17:44:39

#jtba スマナサーラ長老への質疑応答は省略。眼鏡忘れたのでメモがあやふや御寛恕を。今日はオリンピックセンターの200人室が満員。次回は1月10日夜、文京シビック小ホールです。350人位入るのでお誘い合わせの上どうぞ。以上、随聞居士naagitaがお届けしました。
posted at 18:54:59