仏教流「自立支援」プログラム(1)
PM6:30よりスマナサーラ長老の朝日カルチャー(新宿)公開講座『初期仏教入門』新シリーズが開講。
ブッダは「ひとりだち」を応援します
〜仏教流「自立支援」プログラム〜
今回のテーマは「自立」です。人間はいろいろなものに頼り依存して生きています。文明の進歩した現代では、その傾向はエスカレートする一方です。結果、一人一人の人間は随分「脆弱(ぜいじゃく)」になってきたのではないでしょうか。仏教は、一方的に「救済」をうたった宗教ではありません。何の助けも得られない厳しい状況下でも、あなた「自身」が道を切り拓ける智慧を、お釈迦さまは説かれました。ブッダは「ひとりだち」を応援します。(全5回)
- 4月09日:ニートや引きこもりだけが問題ではない。(依存症は「多種多様」です)
- 4月23日:「一人前」を目指して(主体性・判断力・責任感・創造性を身に付ける)
- 5月14日:死を目前にお釈迦さまが説かれた言葉(有名な「自灯明・法灯明」)
- 5月28日:孤独を恐れない人が社会に貢献する(「頼らない人」こそ「頼れる人」)
- 6月11日:真の「自立」の意味は?(お釈迦さまが奨励する「ひとりだち」とは何か?)
場 所:新宿住友ビル4階
問合先:03-3344-1945 朝日カルチャーセンターHP
今日の講義はなんだかすごくキツイ内容だった。へこむか反発するしかないような感じ。昨日の名古屋とは打って変わって、鬼スマナサーラ長老がフルスロットルっちゅう講義でした。これまで受けてきた学校での教育とか、影響受けてきた人々の思想とか、何から何までほとんど全否定だからなぁ。でも圧倒的に説得力ある分析だから困っちゃう。「がんばれオレの理性」って感じ。
うぐぐ……まいっちんぐ。以下、メモです。
■依存は多重多様です。
無視すると問題になる依存という現実
- 生きるとは依存すること
- 人間は様々なものに依存して生きている。
- 依存も二種類ある:(1)相互依存、(2)一方的な依存
- 相互依存の場合は互いに助け合っているのであまり問題にはならない。
- しかし、互いに離れることも無理。
- パラサイト人生
- 「一方的依存」はパラサイト人生になる。
- 子供が独立するまで親にパラサイト的に依存することは、普通な法則。
- パラサイト(寄生)にはとっても楽な状況。
- しかし、母体にとっては大変です。
- パラサイト人生は、壊れやすいもの。
- パラサイトのルール
- パラサイトには母体に迷惑をかける権利はない。例:体内細菌のように、お互い助け合わなければならない。
- 母体の指導に、命令に無条件に従わなくてはならない。
- 自分の権利・自由は成り立たないと覚悟しなくてはならない。
- パラサイトは囚人なのだ。
- 大人になってもパラサイト:日本だけの現象ではないか?他の国でも経済状況が悪いために親と一緒に住んで依存している場合があるが、精神的にはパラサイトではない。何とか自分で稼ぎたいという意欲はある。
- パラサイトの道徳
- パラサイトの人生にも道徳が成り立つ。
- その道徳を守れば、パラサイトの人権が蘇ってくる。
- 道徳とは……一方的依存を相互依存に変えるようにすること。
- 子供のときだけ、パラサイトとして生きる権利がある。
- 従って、無条件で子供を守る、養う義務・責任が大人社会にある。
- しかし子供であっても、子供なりに親・社会に何かを貢献するような生き方をすると、生きることはより幸福になる。
- 日本は「子供にも義務がある」ということを教えない社会なので、問題が溢れている。
- パラサイトは「生きる価値がない」状況に(自ら)陥っている。例えば、引きこもりだったら家の掃除くらいすればいい。しかしそれもさせない親って何?一緒に地獄に堕ちている。
- 母体が狂う
- 精神的に大人になってない親が感情的に子供に依存する。
- 「自分の生き甲斐は子供」ということになる。
- パラサイトはどちらかと分らなくなる。
- これは、あべこべの関係になる。
- 小さな子供が親を脅すようになる。
- もしも子供が「親の生きがい」になったら、その子供の将来は終わり。核家族で遮断された環境で子育てしてるから、周りにも直すことができない。
- 子供はパラサイトとしてのルールも道徳も無視する。
- 親に子供を健康な人間として育てる能力がなくなる。
- 子供は、出来る限り長くパラサイト(寄生体)で生きようとする。
- 親は出来る限り長く子供を自分に依存するようにする。
- そうやって精神的に子供の成長を壊してしまう。それで「やさしい母親」のつもりでいる。
- どれほど悪影響が起きてもどうすることも出来ない、悪循環に陥ってしまう。
- そんなふうに大きくなった子供は、私にも直せない。入り込む隙間がない。
- パラサイトの悪果
- ニートや引き籠もりは出てくる。
- ニート(NEET)って言葉、意味を調べると日本の環境ではあり得ない状態。イギリスで出来た言葉だから、イギリスではあり得るけれど……。
- 今、使わないが、「アダルトチルドレン(AC)という精神的に成長が狂った人も現われる。
- 大人に、社会人になれない。
- 仕事を出来ない、したくない。
- 競争できない、忍耐はない。
- 現代の日本社会ではすぐ「勝ち組」「負け組」に分かれてしまう。社会とは競争社会である。これは変えられない。しかしいくら競争があっても、「負け組」はあり得ない。その場その場の勝ち負けはあってもどこかで自分が生き延びられるはず。
- 人生は完敗そのものだが、気分だけは負けず嫌い。
- ちょっとした批判にも耐えられない。
- 人間として何の立場もないが、傲慢だけは世界一。
- かっとなる、感情のコントロール出来ない。
- 自分の妄想の世界に閉じ込まれる。
- 結婚(したいが)出来ない。
- 結婚しても子供を作らない。
- 仕事をしても決して一人前になれない、責任のある仕事は出来ない。
- 社会の道徳、決まりを無視する、犯す。
- 犯罪組織・暴力団などの子分になる。
- これらは実際にある社会問題。しかし知識人にも解決法を出せない。原因さえもわかっていない。それなのに「豊かな社会だからこういう問題が起こっている」などと根拠もなく自慢して、信じ込んでいる。
- 頭が悪い。インスピレーションはない。
- 少々のことで、自殺を図る。
- 経済システム、社会制度がスムーズに発展しない。
- 依存症の人間は管理社会の中でしか生活は出来ないが、(依存症の人間の生き方によって)却って管理制度そのものも崩れる。
■依存に怯える人もいる
無知な人の独立主義
- 惨めは嫌です
- 親に感情的に依存されると、また、親が子に独立できるような躾をしないと、それに怯える子供が現われる。
- しかし、その子供が「大人」になれるようにアドバイスする組織はない。駆け込み寺の不在。
- 唯一できることは、暴力を振るうこと、不良になること、いじめをすることなどになる。
- なにより先に、親を嫌いになる。
- これで「生命としての法則」を破っているから、先は決して上手くいかない。でも、子供には仕方がない。
- 親を嫌う権利はないが、他にどうしようもなくなる。
- 独立しようと乱暴な態度をとっても、独立の仕方がわからない。
- 次に、会社組織も、社会組織も嫌になる。
- それも、本人にとっては、自分を束縛する、自分の自由を奪う組織として見えてしまう。
- 「フリーター」は一部の独立主義者。
- 糸の切れたタコのような独立になるので、不幸の結果になるのはオチ。
- これは現代日本が政策的に選んでやっていること。フリーターは職業訓練がないのでプロになれない。企業は若者の労働力を搾取するために、フリーターを増やして正社員にしない。それで一時的に企業は儲かるかもしれないが、次に社会システムそのものが崩れることを解っていない。
■依存は現実
独立を謳う前に現実を把握する
- 死ぬまで依存です
- 生きることは独立して成り立たない。
- 肉体は、徹底的に依存して生きている寄生体である。
- しかし、一方的な依存は良くない、正しくない。
- 呼吸するが、空気を汚してはならない、空気をキレイになる努力しなくてはならない。
- ものを食べるが、一方的に食べたり、他人の分まで横取りにしたりしてはならない。
- 自分が食べているもの(穀物など)の繁栄も考えなくてはならない。
- 農業開発などで、自然破壊をしたり、他の生命の生きる権利を奪ったりしてはならない。
- 仏典ではむやみに木を伐ること、水を汚すことなどは厳禁している。スリランカも「昔は」仏教の国だったから、自然を壊さないようにすごく気をつけていた。
- しかし、自然界のたちの悪いウィルスは人間だけ。
- 人間はウィルスのように次々と形を変える。「これはいけない」と言って抑えたとしても、またすぐ別の形で破壊行為を続ける。
- 寄生して生きている人間が「寄生する母胎」を壊すことは明らかな法則違反。
- 法則違反は非道徳。罪。生きる権利をなくすこと。
- 身体がある限り独立はできない。
- いかにして、依存を「相互依存」にするのかということが、生きている上での道徳になる。
- 相互依存の道徳を守れば、特別なことをしなくても、それで立派な仏教徒になる。
- 多重な依存
- 生きることは肉体の依存だけに限らない。
- 呼吸とご飯だけでは生きられない。
- 先ず、知識・能力が必要。
- それも、他人にから学ぶものなので、依存である。
- 仕事は完全に相互依存作業。
- 学ぶときも、習うときも、「いかにして自分が相互依存の法則を守るのか」と気づく必要がある。
- 仕事の場合は、決して我が儘が通らないことを覚えておくこと。
- 学校と職場と家庭は人が寄生するところ。崩壊させてはならない。
- そこで、相互依存の法則を守らなくてはならない。
- ジャータカ物語で「動物の菩薩」が「人間の王」に説教する。その意味は、人間は動物が守っているほどの道徳も持っていないではないか、という痛烈な批判である。
- 我々は、(一応)国に守られている。
- その国の政治制度と正しく噛み合って生きなくてはならない。
- この場合も、相互依存の法則を守ることになる。
- 仏教が伝播した先のそれぞれの文化習慣と合致して共存するのはそういうわけ。
- 役に立たない悪い文化は自然に壊れるもの。役に立っている文化・伝統は大切に守らなくてはならない。
- こころの栄養
- 喜びを感じたり、楽しんだりしないと、生きることは苦しくなる。
- 俗世間では殆ど、心に必要な幸福感、楽しみなども、外に依存して得ている。
- 従って、娯楽、友人関係、遊びなども寄生して得ているものだと理解すること。
- ここでも、相互依存の道徳を守ること。
- 何もかも寄生して生きている。
■独立は不可能です
勝手な独立宣言は危険を招く
- 何を教えるべきか?
- 「独立しなさい、自由になりなさい」は俗世間では成り立たない。
- 「一方的な寄生」では生きていられない。
- ですから、「母体にも栄養を与えるパラサイト」になるしかない。
- 例:細胞のなかのミトコンドリア
- それなら、対立なく、攻撃を受けることなく、幸せに生きられる。
- 家族に、会社に、社会に寄生している我々の命、幸福は、我々が寄生しているその母体に返す栄養によって成り立つ。
- 人間が自然界に栄養を与える存在になれば問題は起きない。
- 母胎を壊す人は母胎に壊される。
- 教えるべきなのは「あなたは自分の幸福のために、何を他人に与えているのか?」である。
- ただ言うだけでなく↑このように論理的に締まった言葉を使わなければ意味がない。伝わらない。納得しない。
- その「与える方法・技術」を教えてあげることです。
- 独立の条件
- 何も貢献しない人に、何の自由も、何の権利も成り立たなくなる。
- ウィルスのようなパラサイトなのだ。
- 自分の自由・独立は自分が与えるものと、程度によって成り立つもの。
- 依存する人に、「布施」は自由を与える。
- 社会との、他人との調和、性格的な柔軟性、思いやり、謙虚であること、他人の役に立つ生き方……などは、俗世間の中で独立するための条件。
- 独立も自由も結局は「契約」である。
- 与えるものの程度により「自由」になる。
- 出家にも自由はない
- ParapaTibaddhaa me jiivikaa’ti, pabbajitena abhinhaM paccavekkhitabbaM.
- 「私の生活は完全に他人にたよっているものだと、出家が常に観察するべし。」
- 精神的完全な独立を目指す出家も肉体は依存していることを忘れてはならない。調子に乗ってはならない。
- 出家も、肉体を支えてくれるから、相互依存ルールを守る。
- 日夜、四方八方の一切の生命に対して、慈悲喜捨の念を抱くこと、
- 罪をなくし、善の道を歩めるようにと、在家を導くことは義務になっている。
- 悟りを開く限り、出家が食べるもの、使用するものは「借食・借使用」。
- だから仏教では、「負け犬」が出家したがることを嫌がる。
- 悪性の癌・ウィルスにならんこと(ならないこと)
- 社会の道徳、決まりを無視したり、我が儘、好き勝手に行動したり、
- 知識人の、目上の人の、親の言葉に耳を傾けなかったり
- 嫌なものを攻撃したり、「正義の見方?」になったり、
- 自然の恵みを独り占めにしたり、自然・環境を破壊したり、
- 武器・核兵器を開発したり、戦争を応援したり、
- 生命に対して不親切な態度を取ったりして
- たちの悪い癌に、ウィルスにならないように。
- 寄生人は「寄生のルール」を守ることです。
- 「寄生」というのは否定的な言葉ではない。「現実」である。「どのように寄生するか」を学ばなければならない、とゆーこと。
例によって朝カル会場までは自転車で。講義中にかなり大降りしたみたいだったが、終了時間にはすっかり已んでいた。長老あんまりすごいんで、天神様もビビり泣きしたんかな? 奥ちゃんと落ち合って幡ヶ谷の喫茶店でキーマカレーグラタン食った。うまー。
〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜