ブッダが語る奥さま論

18:30新宿朝日カルチャーにてスマナサーラ長老の「お釈迦さまの知恵の宝箱 パーリ経典解説」。予定より25分ほど送れて開講。テーマは「ブッダが語る奥さま論、増支部経典『七種の妻』」で、3月11日立川朝日カルチャーのリピートだった。今度ばかりはテーマ的にも常連方が聞いてもあまり意味ないんじゃないか……という気がしたが、会場の前の方はずらっと常連さんばっか。長い人がもちっと自然に、雰囲気作りに気を使えるようになるといいんじゃないか、と余計なことを思わないでもなかった。長老も明らかに「壁の向こう」に声を飛ばしていたし(とゆーのは、PCオペレータの役得で嫌でも前の方でデカイ顔してしまう自分を棚に上げた発言です)。

内容のポイント。「7種の妻」の上首に挙げられるdāsī-bhariyā(婢女 (はしため)妻)こそが、自分の精神の自由・尊厳を捨てない女性の選択なのだ、というところにあった。これは婢女という古い単語に引っ張られると意味が取れない。むしろ現代の株式会社における雇われ社長のような立場であって、会社を任されて自分の責任を果たすということなのだと、「CEO」とか「カルロス・ゴーン」といった現代的な単語を駆使して説明されていた。これはもう少し掘り下げてディスカッションしながらでないと、伝わりづらかったかもしれない。講義のあとで二つほど、よい質問が出た。

それから、余談的な部分では、「仏教徒は静謐を尊ぶこと」を強調されていた。釈尊の弟子(出家も在家も)はその静謐さゆえにインド社会で異教徒からも一目置かれたのだ、と。釈尊は一人と話すときにはその人にだけ聴こえるように、三人と話すときは三人にだけ聴こえるように、千人に説法するときには千人に声が届くように、自在に調整して語られたのだと。おしゃべりが関係ない他人に聴こえると言うこと自体、気づきがないことであり、はしたないことである、と。禿同しつつ自戒します。

  • 仏教ブログのランキング:にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へを1日1回クリックいただければ幸いです。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜