帰東/こころの開発・宗教・地球市民

午前中、京都国際ホテルにて山折哲雄氏とスマナサーラ長老の対談収録。山折先生の「ニーチェの言う『ルサンチマン』とは、日本語にすれば『怨念・たたり』のことだ」というお言葉になるほどと納得。

昼食を挟んで帰東。18:30より新宿常圓寺にて、開発教育協会(DEAR)とアーユス主催の連続講座「こころの開発・宗教・地球市民」スマナサーラ長老講演会。初期仏教から学ぶボランティアのあり方について。キャパ70名ほどのホールは満席。以下、メモより抜書き。



「援助」が「大きなお世話」にならないために お釈迦様が説く「慈しみ」
アルボムッレ・スマナサーラ長老

  • ボランティア精神の抱えるディレンマは、近代のボランティア運動にキリスト教の布教という動機付け(キリスト教の神を信じない地獄堕ち必定の民を援助を通じて信仰に導きいれる)があったことに起因しています。布教のためのエサとしての援助があった。その始まりから差別意識に基づいていた。信仰という病原菌によって、純粋なボランティアの気持ちが汚染されていた。
  • 仏教が推奨するボランティアは(1)「自我のないボランティア」です。ボランティアとは「人間が人間を助けること」であり、ただ助けてあげたいという気持ちがあれば充分。○○主義、宗教、考え方、などはいらないもの。余分な自我でしかない。あなたも人間、私も人間、という認識に立つことが大切。「何のために」と理由付けることはすでに汚れ。それで純粋さがなくなる。
  • (2)Self help 自助の精神。自分のことは自分で助けなければならない。親でさえ子供を救うことは出来ない。という精神のもと、テーラワーダ仏教の世界では派手なボランティアはせずに草の根で協力し合っていた。シンプルに、お互い様の気持ちでやってきた。
  • 人間は精神的に独立している自由な存在です。だから相手の立場を尊重することが大切。相手の立場で必要なものを援助しなければならない。その場合も、相手が苦労なしに得たものは身につかない。セルフヘルプ(自助)が基本だから、60%〜70%は相手の努力にゆだねて、残りの30%を協力すればいい。それで援助される人々も元気になる。
  • 仏教はお布施を強調する。一神教でも施すことを説くが、絶対神が富めるものの修行のために貧者を作ったというのは残酷で理屈が成り立っていない。仏教では支配する神はいない。生命は平等で協力し合うことでひとつのシステムをつくっている。だから「協力し合うこと」は自然法則である。布施・助け合うことは、客観的な法則・事実に基づいた行動であり、そこの神秘や宗教が入り込む余地はない。
  • 仏教の世界では老人ホームは要らない。親を敬う世界だから、育ててもらった恩があるから喜んで親の面倒を見る。
  • お布施するときは、何をあげるのか?自分の「持っているもの」をあげる。人間のため、自然、一切生命のために、自分の持っているものを与えることです。それで生命のシステムが機能する。
  • システムが機能することを邪魔するものは、エゴであり主観。これが一切の問題のタネになっている。エゴはコミュニケーションを閉ざしてしまう。自分の殻の中で考えるから、結局は失敗。大きなお世話の迷惑になる。
  • 自我なく一切生命を平等に観ることで、お互いの「共通性」が見えてくる。そこで相手の立場、「どうすればいいか?」が分かる。援助をする相手にも責任を持たせて「自助を助ける」こと。話し合って、お互いに納得して行動すること。
  • ボランティア(布施)にはすばらしい結果が返ってくる。「ただ食べて生きているだけ」の人生はむなしい。基本的に人生はつまらない。生きていた気がしない。死にきれない。他者に協力すると、生きるエネルギーが帰ってくる。たとえ苦労しても、人を助けると生きがい、充実感を得られる。自分の人生が他人の役に立ったという喜び、充実感で、断っても直行で天国に行ってしまう。
  • 財産も地位も名誉も、何一つ自分のものにはならない、捨てていくものだが、他の生命に協力することで得られる生きるエネルギーは自分のもの。持っていけるものだ。
  • インド文化では何かしてあげても、してもらっても「ありがとう」はない。人を助けることは当然の義務だから、いちいち「ありがとう」といわれると気持ちが悪くなる。その代わり、助けてもらった人は感謝の気持ちは一生持って行くべきもの。そういう文化や宗教の差もある。だから、援助を受ける側の反応は気にしなくてもいい。ただ「生きるために」協力することです。生きることは個人の責任だと理解して、それを助けてあげることがボランティアの正しいあり方です。

質疑応答

  • Q:諸行無常と仏教で言う。古き良き「あたりまえ」の美徳があっても、その「あたりまえ」もどんどん変わってしまう。そのなかで、変わってしまった現状を肯定すべき?否定すべき?
  • A:変わることは止められない。しかし道を変えることはできる。戦争に向かう道を、変えることも出来る。老いることは止められないが、美しく老いようと努力することはできる。変わっていく世の中に対するのは『慈しみ』が基本にならないといけない。人種や宗教ではなくて、人を見ること、生命を見ること。被り物を見ないで。生命は生命として見る。その被り物ではない本来の自分(生命)の立場で、社会をよい方向に変えることに挑戦することです。グローバリゼーションも貧しい国々を徹底的に搾取する差別的なシステムになっているが、世界がグローバルになっていくことは認めつつ、それを共生のシステムに変えようと努力することはできる。それが仏教の教え。
  • Q:生命としての本来の自分と、エゴと、どう違うのですか?
  • A:本来の自分のところに立てば、生命が仲間になる。無制限の仲間意識が生まれてくるから、たとえ洞窟に一人で暮らしていてもぜんぜん寂しくない。生命が寄ってくる。エゴは「私」中心という思考。それは自分を小さくする。戦争、憎しみ、引きこもり、寂しさ、どれもエゴから生じてくる。だからエゴは減らした方がいい。
  • Q:不幸な境遇の十代に聞くと、「自分は不幸だから何かやってもらって当然」という意識があある。70%の自助、30%のボランティアということで満足しない人にはどうすればいい?
  • A:真理は変えられないのです。子供に言うべきなのは、「愛情は自分で努力して買うもの」だよということ。かわいがってもらえるように努力しないといけない。ギブアンドテイクは生命の法則です。しかし、大人の義務は子供を助け育てること。子供の面倒を見るのは大人の義務です。だけど、子供も愛されるように努力しないといけない。自分も楽しく、周りも楽しくなるように努力しないと。精神的に病気の人は、病気を言い訳にして「だってしょうがない」とダメな自分を認めてほしがる。病気を言い訳にして自己破壊になってしまう。苦しんでいる人も、自分で努力しないと何も成り立たない。これは因果法則です。
  • Q:援助の問題を自分の現場である教育の問題に引き寄せて聞いていた。ただ人間が人間を助ける、ということが実践されていれば、老人ホームも要らないという話を聞いて、もしかしたら、学校もいらないのではないかと。目的を定めて学校という施設で教育を施す近代教育は、もしかすると汚れた思考の産物だったのではないか。教育というものを私たちの日常に戻して行かないといけないのではないかと思った。
  • A:すばらしい感想。スリランカも植民地になるまで学校はなかったのですが、ヨーロッパ人がびっくりするほど教育水準は高かった。現代社会では、被り物ばかりで人間教育がない。小中学校では、人間を育てるのがメインであるべき。あとは遊び感覚でゲームのように教えればうまくいくはず。教育とは「生きることを学ぶこと」です。どんな学問でも、生きることとどう関係するのかという視点がないといけない。仏教では性格悪い人に教えてはいけないと言っている。科学者も性格がわるい。だから人殺しの道具ばかり開発している。
  • Q:虐待によって必要な愛情を得られなかった子供には30%ではなく、求められる限り愛情を注ぐべきでは?
  • A:子供への愛情は大人の義務です。%で計算するものではない。しかし努力は%で計らなければならない。愛情は大人の義務だけど、子供がそれをただでもらえると勘違いするのは良くない。それを教えるのも愛情です。子供に対すて注ぐべき大人の愛情とは、「子供が心身ともに健康に育つようにすること」です。それから虐待の問題について私見:生んだからといって子供に対して権利はない。日本に生まれた子供なら、日本人の財産、みんなの子供と考えるべき。虐待したなら親の権利も法的に剥奪していい。親を罰する必要はないが、子供から引き離す。社会全体で「わが子」だと思えば、問題はなくなる。
  • Q:子供たちに世界の経済格差について知ってもらうためにトレーディングゲームを使った授業を行っている。しかし数年前から「やっぱりお金だ」「株取引のやり方を教えてほしい」という感想が返ってくる。どう考えればいいのか?
  • A:それはゲームに問題があるのでは?結局金を握ったものが勝ちだという潜在的なメッセージが入っているのでは?生産性がなければ、金には価値がない。自分が社会にした貢献の取り分であれば、その金には価値がある。他に借りを作らない正当な収入。(本来の目的は違うが)現在のマネーゲームになっている株取引は、合法的な盗み。他人のものを盗んでいるのだから、全人類にとんでもない借りを作っていること。そんな生き方はみっともないと、私だったら教えます。云々。


質疑応答の後の交流会(ふりかえり)も盛況でした。高校時代の後輩Hさんがスタッフにいて、お互いにびっくりした。

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〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜