涅槃会と猫

さて、今日は、北伝仏教では釈尊が般涅槃された日、「涅槃会」にあたる。日本でも仏教伝来の頃、聖徳太子の時代から続くたいへん古い仏教行事だ。もっとも新暦の2月15日の今日、法要をする地域ばかりではなく、旧暦2月15日の満月の日に「涅槃会」を行う地域もあり、中暦(月遅れ)の地域もあるそうだ。そういう不統一なところが仏教的でいいと言うべきか。尤も、最近元気のない花祭と比べても寺院の内輪行事という色彩が濃いのだが……。

そもそも涅槃会の2月15日というのは、インド暦の2月の満月に由来していて、つまりはウェーサーカ月の満月だという話も聞いたことがある。それが中国の暦に移されて春先の行事となった。また、日本では明治政府の都合で年中行事が強引に新暦に移されて、それに乗った人々もいれば、いまだに乗らない人もいたりするのだ……。

まぁ、仏教のお祭が多いのは悪い話ではないから、新暦・旧暦・中暦の涅槃会に春の訪れを感じつつ、満開の桜吹雪に花祭(釈尊降誕会)を迎え、月遅れや旧暦の花祭と前後して南伝仏教のウェーサーカもお祝いするっていうのも楽しからずや。

極楽にいった猫

極楽にいった猫

ところで涅槃図では、沙羅双樹下に横たわるお釈迦さまの周りを出家の弟子達、在家信者、神々とともにたくさんの動物達が取り巻いている様子が描かれる。しかし人間にとっても最も身近な動物のひとつである猫(ねこ)は伝統的に描かれなかった。猫はプライドが高かったから、お釈迦さまの涅槃も素直に悲しまなかったのだ、とゆー説明もあるが、実際はどうなんだろうか。尤も、それでは可哀相だと思う人は昔からいたらしく、お寺から涅槃図の揮毫を依頼された絵師が、制作中に彼に寄添っていた猫を慈悲で描き込んでやった、という物語もけっこう残っている。そのエピソードが外国で絵本アメリカで児童文学になって賞まで取ってる。僕がおととし拝観した護国寺所蔵の大涅槃図(綱吉公の生母、桂昌院の発願)にも、片隅にはやはり猫、絵師の友達だった猫の姿が書き込まれていた。涅槃図は痛みが激しく、ほとんど判別できないほどかすれていたけれど、釈尊とそれを取り巻く生きとし生けるものの姿を目でたどるうち、涙が止まらなくなった。同じ絵を見て、昔の人もきっと、お釈迦さまが有り難くて泣いただろう。それが庶民の娯楽だという、美しい日本もあったものだ。

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〜生きとし生けるものが幸せでありますように。