お布施ってなに?
- 作者: 藤本晃
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 2007/01
- メディア: 単行本
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藤本晃(慈照)師の新刊『お布施ってなに?』が好調のようだ。パーリ聖典にもとづき、「お布施」についてのお釈迦様の教えを紹介している。仏教との関わりにおいて不可欠だが、とかくトラブルのもとになってきた「お布施」の意味がこの一冊ではっきりわかる。六波羅蜜にも「布施波羅蜜」はあるが、初期仏典の説明に沿った藤本師の説明ははるかに具体的で明快だ。
お布施の動機や心理について目次にリスト化してある。詳しい内容は本書に譲るが、これだけ眺めても、思い当たるところはあるだろう。
●布施の動機は八種類
- 近くにおられたからお布施します
- 恐れてお布施します
- お布施されたからお布施します
- お布施を期待してお布施します
- お布施は善行為だからお布施します
- 「自分は生活費を稼いでいる。彼ら(出家修行者)には生活の糧がない。糧を持つ者が持たないものにお布施しないのは善くない」とお布施します
- 「お布施をしたらわたしによい名声が上がるだろう」と考えてお布施します
- 心の荘厳、心の資助のためにお布施します
●布施するときの心の状態も八種
- 欲でお布施します
- 怒りでお布施します
- 無知でお布施します
- 恐れてお布施します
- 「父母や祖父たちによってこれまでお布施がきちんとおこなわれていた。先祖伝来の家の伝統を絶やすのはよくない」とお布施します
- 「このお布施をすれば、死後、善趣・天界に生まれるでしょう」と考えてお布施します
- 「このお布施をすれば、わたしの心は清らかになり、満足して喜びが生まれるでしょう」とお布施します
- 心の荘厳、心の資助のためにお布施します
それから、お布施の対象にも厳密にランクがあるそうだ。
●布施を受ける人々のランク
- 阿羅漢であり正覚者である如来
- 独覚
- 如来の弟子である阿羅漢
- 阿羅漢果を現に悟るために修行している人(阿羅漢向)
- 不還者
- 不還向
- 一来者
- 一来向
- 預流者
- 預流向
- 外教者のなかで欲(の世界)を離れている人
- 凡夫の持戒者
- 凡夫の破戒者
- 畜生
※「お釈迦さまは、とくにお坊さまたちにたいして、病気になった人の看護をすることは、お釈迦さまのお世話をするのと同じほど功徳の大きい行為だと、随所におっしゃっています。」(『お布施ってなに?』p106)
個人よりもサンガへの布施が大切、というのも強調されている。
●お布施を受ける人々のランク(団体の部)
- ブッダを上首とする(比丘と比丘尼の)両サンガ
- 如来が般涅槃されたあとの両サンガ
- 比丘サンガ
- 比丘尼サンガ
- 「これだけの(人数の)比丘と比丘尼をわたしのためにサンガから指定してください」と人数を限定するお布施
- 「これだけの(人数の)比丘をわたしのためにサンガから指定してください」と人数を限定するお布施
- 「これだけの(人数の)比丘尼をわたしのためにサンガから指定してください」と人数を限定するお布施
ランクの番外として、「首に袈裟の布切れを掛けた、名ばかりの、破戒の悪法者たちからなる破戒者のサンガを指定してお布施がなされてもサンガに帰属するお布施の功徳は無数、無量」という釈尊の言葉が紹介されている。これは藤本師の以下の説明を聞いてみよう。
なんと恐るべき、お釈迦さまの洞察力でしょう。将来にからなず現れる、袈裟片を首に掛ける名ばかりの破戒の悪法者とは、まさに現代日本のお坊さまがたのことでしょう。「輪袈裟(わげさ)」という名の、首に掛けるだけでよい袈裟をちゃんと身につけています。というか、それさえも法要儀式のときに掛けるだけで普段は平服ですから、お釈迦さまの予言よりもっと悪い状況になっています。そして、破戒していますから、お釈迦さまはもう、比丘サンガと比丘尼サンガのように厳密に分けてもおられません。いっしょくたにして、仏滅後の「破戒者のサンガ」です。
「破戒者のサンガ」をになう現代日本の個々のお坊さま一人ひとりについては、お釈迦さまがおっしゃった布施の功徳のランクの個人の部にあてはめれば、きっと悲慘な状況でしょう。それを見越したうえで、お釈迦さまが平気でおっしゃるには、そのようなお坊さまたちの集まり、サンガにたいするお布施であっても、個人にたいするお布施より遥かに大きな果報をもたらすのです。
つまり、お釈迦さまご本人にたいするお布施よりも、現代日本の仏教教団にたいするお布施のほうが、功徳が遥かに大きいと、お釈迦さまが認めておられるのです。
ちょっと信じられないようなお話しですが、それほど、法灯を守り伝えることはたいせつなことなのです。お釈迦さまご本人は二五〇〇年前に涅槃に入られました。お布施したくても、どうにもなりません。(中略)
サンガが、教えを守り、戒律を守り、悟りを守り、悟りにいたる道を守り、在家信者がお布施をして功徳を積む対象として、現代まで変わらずにありつづけているのです。
(『お布施ってなに?』118-120p)
藤本師自身が浄土真宗のお寺の住職だから、ってことでは勿論なくて、教えによれば、これが釈尊の大御心なのです。宗派がどうのとちっちゃなこと言ってないで、大きなこころで仏教を守り伝えていきましょう。そのためには「布施」という行為への正しい理解が欠かせません。ということで『お布施ってなに?』を日本語を読める全仏教徒必読の書、として薦めましょう。
〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜