佐々井秀嶺師、護国寺講演まとめ2(付論:間違うから菩薩である)


前回の記事に続いて、2009年6月7日(日)午後、佐々井秀嶺師(東京)最終講演会「よみがえる仏教 インド仏教復興運動の今」の感想ブログ記事を紹介したい。

開始15分前くらいに行ったので、立ち見になった。すごい動員数である。特定宗派の行事でもなければ、テレビ的な知名度がある人の講演でもなく、これだけの人間が仏教行事に集まるのは凄い力だ。一番びっくりしたのは、若者率の高さ。通常の仏教行事の多くは、どうにも高齢化社会である。40代以下がほとんどいない。7日の護国寺はまさに老若男女だった。

主催が若手僧侶のグループ「彼岸寺|超宗派仏教徒によるインターネット寺院」だったこともあるだろうが、「若者率の高さ」には私もびっくりした。

講演の前に佐々井師に近い方が写真を併用しながら 佐々井師の主な活動を紹介してくれました。
それによると
1。インド仏教最高指導者としての活動

2。インド全土に埋まっている世界遺産級の仏教遺跡の発掘

3。ブッダが悟りを開いた地、ブッダガヤの寺院の管理、所有権をヒンズー教徒からとり戻す

という事らしい。
どれも壮大なスケールの事業ですごいエネルギーだな?。

この方は、「たまたまヨガ教室にはってあったポスターを見て」参加されたとか。彼岸寺のチラシPDF作戦が功を奏したのかも。

 語り始めるとすぐに、拡声器など要らないほど力強く、横隔膜そのもの
が震えているかのような声。丁寧な自己紹介ですら、和太鼓にも似て
語頭の強い声がビンビン響く。

「わたくしの名は佐々井秀嶺と申します!東京に程近い八王子の…」
 なるほど、インドでは自分の体から絞り出す声だけで仏の言葉を伝え
なければならないのだな、と思わせる声量。そして語られる、自らを苛
め抜いた、若き日の奔走。


 「このままでは出家した甲斐が無い!虎に食われても良いからインド
 で修行するんだ!とお願いするも、師匠は許してくれない。将来!必ず
 御恩いたします!だから!だから!今はお許し下さい!」


 大菩薩峠での自殺未遂、勝沼での修行生活、高尾山での得度。
タイへの渡航、師匠との別離、竜樹の夢に導かれるように渡った
インド・ナグプール、そしてアンべードカル博士との出会い。
時折はだける衣を直しながらも、佐々井太鼓は刻みつづける。


 「宗派を超えて一致団結し!ただ人間が生きる道というものを!
  示さねばならない!」
 「アンベードカル菩薩(博士)は大乗!小乗ということではなく!
  ブッダのオリジナリーを説いたものだ、我々は”ブッディスト”だ!」
 「インドには2つの顔がある、下層民の社会を見ないでインドはわからない!」
 「私の心は内に無い、外にある!我々は(不可触民のために)
  闘争しなければならない!」


ギリギリと、きびしい眼差しが空を裂く。
日本の誰もが、知っていても口に出せない言葉。
そのすべての語尾に「!」が付く。

ラジオNIKKEIの「おぼうさまちゃんねる」ブログより。迫真のレポートだ。

次に紹介する記事は、単なる感想というより「評論記事」としての読み応えがある。

佐々井氏はとにかく声がでかい。マイクを通すと音が割れるくらい。
それも腹式呼吸の轟くような声で、一言一言溜めをきかせてアジテーションする。
40年ぶりに帰国された人だけあって、センスがそこで止まってるってこともあるのかもしれないが、とにかく大袈裟というか、はったりも芝居っ気もたっぷりで、講演会というよりは、昔の壮士の演説会のようなノリ。
顔立ちも表情も、強烈な意志の強さを感じさせる厳しさで、現代日本人のそれじゃない。
ところが、不思議な愛嬌があって、絶妙な間で顔を綻ばせ、バカ話や冗談で場を和ませる。かつての民衆にとって、演説というのは一種の芸能であり娯楽でもあったのだろうなと、リアルに想起させられる。
僕の見てきたものの中で似てるなと思うのは、田中角栄の遊説の映像。
ただ、それに加えて彼の語りは、具体的な状況に対する怒りと使命感を強烈にはらんでいる。

10年ほど前のインド旅行中、サルナートで日月山法輪寺日蓮宗)という日本仏教寺院に逗留した。そのお寺を艱難辛苦の末に開山した佐々木住職の語り口は、昔の日本映画に出てくるような葛飾弁。タイムスリップしたような不思議な感覚にとらわれた。昔の日本映画の聞き取りにくさは、マイク感度の問題かと思っていたが、実際に発音が違っていたようなのだ。日本語の発音というのは半世紀足らずでこれほど変わってしまったのかと驚いたものだったが、今回の佐々井師の講演でも、当時と同じ感覚に襲われた。

仏教の知識に全く欠ける僕の印象でも、佐々井さんの仏教解釈にはかなり強引な所が多いんだろうと思う。
特に印象的だったのは質疑応答。
「アンベード・カル博士の著書の印象は小乗仏教的だと思ったが、佐々井氏の大乗的な解釈には矛盾があるのではないか」「インドでの修行様子が伝わって来ないが、瞑想などはしていないのか」といった問いに対して、「大乗も小乗もない。アンベード・カルの場合はまさに自己犠牲精神でやっていた。つまり、超大乗だ」「瞑想をしている信徒は中流階級以上。インドの多くの人たちにそんな余裕はない。私たちは座ってする瞑想だけをお勤めだとは考えない。立ち上がって働いている時も、虐げられた人々と共に戦っている時もすべてが瞑想でありお勤めだ。煩悩にまみれたこの世がそのまま浄土でもある。生きることが座禅であり真言」と、きっぱりと応える。
態度は決して居丈高でなく、人々の置かれた状況を物語仕立てでわかりやすく話し、最後は感情を揺さぶる高揚へと盛り上げる。専門的な話を、実感レベルの語りのギャップを、緩急自在なエモーションで、強引に束ねていく。

私はむしろ講演中の「小乗であっても活動ある時、大乗である。大乗であっても活動なき時には小乗である」という言葉が印象に残った。タイ仏教における民衆と僧侶の密接さにふれて、評価したくだりでの一言だったと思う。


質疑応答で「大乗・小乗」という無意味な教義論争の話で上書きされてしまったのはちょっと残念。出家中心主義だとかレッテル張りをされている初期仏教経典だが、実際には在家仏教徒が具体的にこの世の中でどう生きていくべきか、という指針を示したエピソードは、こけおどしの羅列のような大乗経典よりは、むしろパーリ聖典にこそ多く記録されている。


アンベードカル博士が『ブッダとそのダンマ』の執筆にあたってパーリ聖典に多く取材したのは、単に彼がスリランカの僧から仏教を学んだから、という巡りあわせにのみ帰することはできないだろう。

ブッダとそのダンマ (光文社新書)

ブッダとそのダンマ (光文社新書)

質疑応答では、以下のような「問題発言」も飛び出した。

「普通、仏教は心の問題を扱うから無力だが、私たちの仏教は闘争仏教。だから戦いも暴力も否定しない。仏教には「千人を殺せば菩薩」という教えもあるくらい」といった、ちょっとあのオウムを思い出すようなぎょっとする言葉さえ飛び出す(実際の彼の戦いは、断食やデモなど非暴力闘争。ただ、かつて民族の統一を優先してカースト温存を選んだ、ガンジーへの批判を込めた言葉でもあるようだ)。ただ、彼には明確な敵がいて、変えるべき明確な状況があり、守るべき人々に対する使命感がある。そこを自分の居場所と定めて、貧しい人々と同じ場所で寝起きし、同じ釜の飯を食い、確実に結果を勝ち取ってきた経験の厚みと自負が、語りに重く込もっている。簡単に相容れることのできない、生死をかけて争う強力な他者と向き合ったことの無い、敵も目標も曖昧な平和の中で暮らしている僕らには、どう咀嚼していいか正直戸惑うところもある。

けれども、ともかく明日を勝ち取ろうとする彼の怒りの明朗さ、心身の逞しさは、どうしようもなく眩しいし、意志と生命力の輝きに鼓舞されずにはいられない。

佐々井師が「一殺多生」的な文脈で語る「不殺生戒」の曲解、彼の師の一人である藤井日達上人も戦時中にうそぶいていた「小乗の持戒は大乗の破戒」という類の「護法のための殺人」肯定論は真に受けるべきではないだろう。「味方は全力で守るべし。敵ならば殺しても構わない」というならば、それは仏教を滅ぼしたイスラームやキリスト教などのセム系一神教や、ヒンドゥー教の教義*1と何ら変わることはなくなってしまうだろう。


人はしばしば罪を犯してしまうものだ。その事実は認めなくてはならない。実際に「仏教国」と呼ばれるスリランカにおいても、最近まで激しい内戦が続いていたことはご存知のとおり。状況に応じて人は争い、殺しあう。それは「己の利益」のために愚かな罪を積み上げる営為でしかない。


それを知っていたからこそ、仏教徒は戦いが終われば、「怨親平等」の立場から、敵味方を差別することなく弔ってきたのである。それは、たとえ自身は戒律を守って清廉潔白に生きられなかったとしても、煩悩にまみれた自分の主観で真理を汚さないという生き方、「法(ダルマ)を守る」という仏教徒のぎりぎりの生き方がそこにあった。


宗教的な理念などを持ち出して、殺生の罪を聖別し「正当化」するのは最も忌むべき行為だ。そのようなご都合主義から、宗教は普遍性を失い、道徳的な規範を蒸発させ、集団暴力を亢進させるプロパガンダマシンへと堕落してしまうのである。宗教による「殺人の聖別」「罪の正当化」は、一時期その宗教の信者数を増やすことはあったとしても、人類から向上のための「道」を奪うという意味で、もっとも恐ろしい罪に他ならない。


菩薩が殺人を犯すこともある、というのは事実である。それは何のことはない、菩薩が悟っていないただの修行者だからだ。菩薩は不殺生戒を貫徹して道徳を貫くだけの「智慧」がないから、まずいやり方で他者を害してしまうこともある。その場合、菩薩の生き方は反面教師ではあっても、決してお手本にすべき生き方にはならない。


間違えるから、失敗するから菩薩なのだ。佐々井秀嶺師といえども、アンベードカル博士であろうとも、「菩薩」である限りは迷いもするし間違いもする。それが「菩薩」というものだと知って付き合わないと、たいへんマズイことになる。菩薩の生き方を無条件で称賛してしまう大乗仏教は、テーラワーダ仏教と違って、菩薩との接し方の「いい塩梅」が解らなくなっている。そのために様々な逸脱が起きていることは否めない。

仏法の思考と実践―テーラワーダ仏教と社会

仏法の思考と実践―テーラワーダ仏教と社会

タイの高僧パユットー師の『仏法の思考と実践―テーラワーダ仏教と社会』には、テーラワーダ仏教の菩薩観が平易な言葉で説明されているので、一読してほしい。要は「菩薩は不完全な存在だから、人気はあっても、妄信しちゃダメよ」ということ。で、話を「殺生の正当化」という問題に戻す。


大東亜戦争中に、日本仏教がもろ手を挙げて戦争協力を宣言した際に打ち出したのは「聖戦への協力こそが菩薩道の実践」というロジックだった。仏教徒が二千数百年にわたって、それこそ命がけで守り抜いてきた「不殺生戒」を捻じ曲げ、貶めたことによって、日本仏教が蒙ったダメージは計り知れない。

衆生救済、絶対利他といった高邁なスローガンと裏腹に、実際に行われていたことは単なる無知と俗情への迎合、世間の「空気」への媚びへつらい、自堕落の正当化、組織暴力の奨励に過ぎなかったのではないか。太古から人々は争い、殺しあってきた。しかし、近代日本の大乗教徒たちは、殺人を正当化することで、信徒たちが抱く「殺すことへの罪の意識」さえも奪おうとした。罪を正当化する邪見の持ち主が死後赴くところは地獄か畜生であると、初期経典(パーリ相応部六処編第八聚落主相応戦士経)のなかで釈尊は明言している。「法がまずあり」と説く大乗教徒は、廃仏毀釈のトラウマと国家権力の強制という同情すべき背景はあったにせよ、壇信徒を地獄と畜生への道に突き落としかねない戦時教学を作り上げていたのである。そこで行われていたのは、オウム真理教も裸足で逃げ出す、とんだ「衆生救済」の実践ではなかったか。


それが「法がまずあり」とおごり、釈尊の教戒を軽んじた、日本大乗仏教の近代における実際であった。それは何処にでも見られる「現象としての堕落」とは質が違う。19世紀末から20世紀の前半にかけて、日本で起きたのはもっと深刻な事態だった。「大乗相応の地」において、自らが選んだ思想的帰結として、大乗仏教は戦争という大量虐殺を正当化し、奨励するに至ったのである。そのような教えがどのようにして、正等覚者の「法」と親戚関係を主張しうるのか? デーヴァダッタさえも想像もしなかった、マッカリゴーサーラさえも唱えなかった、極悪の邪教への堕落ではなかったのか? 


大乗経典とその周辺の教えは、確かに釈尊の教えの副産物である。釈尊が定めた「基準」からすれば、捨てられるべき教えではあったが、それでも仏教という大きな教えの流れに結晶した貴重な文学・思想作品には違いない。しかし、それは釈尊の教えから完全に自立しては生存し得ない、ひ弱で不完全な教えでもあった。大乗経が釈尊の教えの文脈から自立しようとはかれば、土俗宗教に取り込まれ、人々の貪瞋痴を正当化し、危険なレベルまで亢進させる邪教(いわゆる「宗教」)に変質する危険性をはらんでいた。これは大乗経がとりわけ粗悪な教えという意味ではない。貪瞋痴を肯定するもくろみで作り出される観念は、どんな教えであっても危険なのである。人間を自他の破壊に導くのである。 


そのような破滅に至る愚者の行進に連なることを、釈尊の言葉を守って拒む人々を「権威主義者」と呼ぶのであれば、私は喜んで権威主義者と呼ばれたいと思う。釈尊の教えを見下し、大乗を誇る者たちが、ほしいままに繰り出す無責任な詭弁を相手にしていたら、犯せない罪などついには無くなるのである。

以前、ある大乗仏教「趣味者」との論争中に記した一節を引用した。佐々井師の獅子奮迅の闘いには敬意を払いつつ、やはり距離を感じてしまう一点があるとすれば、大乗菩薩道の名のもとに発せられる言葉の危なっかしさだ。


菩薩が変なことを言っている場合は、きちんと釈尊の言葉に立ち返って是非を確認しなくてはならない。パーリ経典のなかで釈尊は、(殺生などの)罪を正当化する邪見の持ち主が死後赴くところは地獄か畜生である*2と明言している。ブッダの直説ではないが、大乗仏教で教学の基礎として重んじられる『倶舎論』においても、「戦争参加・戦争協力すれば、たとえ本人が直接手を下していなくても殺生の業になる」(以下の引用参照)と明言されている。

 人々が集団(軍隊)を作って、敵を殺そうとしたり、獣を撃ち取ろうとしたりした場合、実際に手を下さなくても殺生の罪になるんだろうか?誰が殺生の業を得るのか?


頌に曰く……つまり、アビダルマの公式集にこうあるぜ。


「軍隊を組織してそこに参加したら(そこで組織的な殺生が行われた場合は)、軍隊の構成員全員が直接手を下した者と同じ殺生の業を受けます。」


 論じて曰く……以下は、説明。えっとだね、軍隊のなかで誰か一人が殺人をしたとしても、それは構成員の集団的な意志で合意ずく行った殺人で、殺すに至る過程は連係プレーで相手を追い込んでいるわけだ。だから、殺した本人だけじゃなくて軍隊全員に殺生の罪があるんだ。


 例え徴兵されたりして、無理やり軍隊に入れられた場合でも(若し他の力の、逼りて此中に入ること有らんときも)、軍隊で洗脳されて「敵を殺す」という意思を共有していたら、やはり殺生の罪になるんだな。


 ただし例外もある。もし自分の命を守るためであっても絶対に人を殺さないと、固く誓いを立てている場合だ。それなら無理やり徴兵されて軍隊に入れられたとしても、殺そうという気持ちはさらさらないのだから、殺生の罪は被らない。*3

すべての仏教徒は、この事実を重く受け止めるべきだと思う。


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*1:『バガヴァッド・ギーター』は敵味方という分別に執着せず、ただ思考停止して戦士としての義務を果たして殺しまくれ、と説く。いくら形而上学的な詭弁を弄しても、道徳を否定し、殺人を礼賛する邪教には変わりがない。

*2:相応部六処編第八聚落主相応戦士経

*3:阿毘達磨倶舎論巻第十六 分別業品第四之四 意訳