大竹晋『大乗非仏説をこえて――大乗仏教は何のためにあるのか』国書刊行会を読んで。大乗仏教という「甘えん坊の放蕩息子」論

表題の本、献本いただき拝読しました。

大乗非仏説をこえて: 大乗仏教は何のためにあるのか

大乗非仏説をこえて: 大乗仏教は何のためにあるのか

 

基本的に良著と思います。情緒に流れず、しっかりした論拠を持って、仏教に惹かれる一般人に主張を伝えようという心意気が伝わってきます(kindle版を同時に出してるのも偉い!)。

まぁ、そうだよね、と思いつつ、湧き上がる違和感も。 「大乗仏教は仏教が仏教を超えてゆくためにある」という啖呵はなかなか威勢がいいんですけど昭和初期の戦時教学、そして戦後のオウム真理教事件(あれらはまさに、大乗仏教を標榜する人々が「仏教が仏教を超え」ることを決断して、利他のための大量殺人を推奨した事例ですからね……)を経験した日本の仏教研究者が口にするのはあまりにもナイーブという気がしました。

さらに付け加えるならば、利他のためにと仏教を乗り越えて天皇崇拝を宣揚し、見事に墜落した日本の大乗仏教に手を差し伸べて、再び仏教世界に復帰させたのはスリランカをはじめ上座仏教圏を中心としたアジアの仏教者たちだったわけです。 そういう近代史には、大竹さん興味ないのかな?

大乗仏教は、歴史的釈尊という着地点があるから成り立つ曲芸飛行みたいなものなので、自立を目指しちゃうと肥溜めに真っ逆さまじゃないの? というのが部外者の感想です。 威勢のいいこと言って、困ったらすぐ実家に泣きつく「甘えん坊の放蕩息子」くらいにしといた方がいいんじゃないでしょうか?

あと細かいところですが、「新来の上座部仏教団体」という呼び名でやたら日本テーラワーダ仏教協会を意識した記述が多くて、「そこまで対抗意識燃やさんでも」と苦笑してしまいました。

加えて随所に見られる、大乗仏教は歴史的ブッダと切れてる教えだけど、それでも大乗仏教のほうが人間のありかたとして尊い!という尊い判定」が一方的すぎて、オイオイと。 主観に振り切れ過ぎでしょ。

とまぁ、いろいろ腐しましたが、それでも仏教読み物としてはかなり面白い部類に入ると思います。 大竹晋さんには今後も健筆をふるって欲しいと願っているので、初期仏教クラスタのみなさんも、ぜひ購読して驚いたり闘志を燃やしたりすることをオススメします。

大竹晋さんと言えば、大乗起信論の出自をめぐる論争に決着をつけたことで名が轟いていますけど、以下の既刊も類書のないユニークな内容でおススメです。

宗祖に訊く 日本仏教十三宗・教えの違い総わかり

宗祖に訊く 日本仏教十三宗・教えの違い総わかり

 

それから、『大乗非仏説をこえて』に出てくる日本大乗仏教の「利他のための破戒」ロジックについて、龍谷大学の大谷由香先生とTwitterでやりとりさせていただきました。この方面の研究進展も気になりますね。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~