真理とは?(婆羅門真諦経)

こころの解毒も兼ねて経を読む。

あるとき世尊は王舎城のギッジャクータ山に住しておられた。そのとき、数多くの名高き遍歴行者たちがサッピニ河岸にある遍歴者の園に住していた。アンナバーラ、ヴァラダラ、サクルダーイー遍歴行者、およびその他の名高き遍歴行者であった。
時に世尊は夕刻時に独坐より起ち、サッピニ河岸にある遍歴行者の園に参られた。またそのとき集まり坐している彼ら外道の遍歴行者のあいだに、「これもバラモンの真理である、これもバラモンの真理である」という談話が交わされていた。
時に世尊は遍歴行者の処に参られた。参られて設けられた席に座られた。座られた世尊は彼ら遍歴行者たちに告げられた、「遍歴行者たちよ、どんな談話のために集まり坐しているのですか。また、中断したあなた方の対話は何ですか」と。
「ゴータマ君、ここに集まり坐している我々は、このような対話をした。曰く、『これもバラモンの真理である、これもバラモンの真理である』」と。
「遍歴行者たちよ、私はこれら四つのバラモンの真理を自ら証知して、実証して(さとり)、説いている。何が四つ(の真理)か。
(1)遍歴行者たちよ、バラモンはこのように説く。曰く、『すべて生きものは殺してはならない』と、このように語るバラモンは真理を語る、(その言葉は)虚偽ではない。
 彼はこれ(言葉)により沙門であると思わず、バラモンであると思わず、自分は優れていると思わず、自分は等しいと思わず、自分は劣っていると思わない。また、即ちそこに真理を証知し、すべての生きものへの同情、哀れみのために修行を完成する。
(2)また次に遍歴行者たちよ、バラモンはこのように説く。曰く、『すべて欲望は無常である、苦である、変易の法である』と、このように語るバラモンは真理を語る、(その言葉は)虚偽ではない。
 彼はこれ(言葉)により沙門であると思わず、バラモンであると思わず、自分は優れていると思わず、自分は等しいと思わず、自分は劣っていると思わない。また、即ちそこに真理を証知し、もろもろの欲望の厭離のため、離貪のため、滅尽のために修行を完成する。
(3)また次に遍歴行者たちよ、バラモンはこのように説く。曰く、『すべて生存は無常である、苦である、変易の法である』と、このように語るバラモンは真理を語る、(その言葉は)虚偽ではない。
 彼はこれ(言葉)により沙門であると思わず、バラモンであると思わず、自分は優れていると思わず、自分は等しいと思わず、自分は劣っていると思わない。また、即ちそこに真理を証知し、もろもろの生存の厭離のため、離貪のため、滅尽のために修行を完成する。
(4)また次に遍歴行者たちよ、バラモンはこのように説く。曰く、『私は、どこの誰でも、なにものでもない。また、私のものは、どこにも何も、あるものではない』と、このように語るバラモンは真理を語る、(その言葉は)虚偽ではない。
 彼はこれ(言葉)により沙門であると思わず、バラモンであると思わず、自分は優れていると思わず、自分は等しいと思わず、自分は劣っていると思わない。また、即ちそこに真理を証知し、『無所有』の行道の修行を完成する。
 遍歴行者たちよ、私はこれら四つのバラモンの真理を自ら証知して、実証して(さとり)、説いている」と。
(パーリ増支部四集185婆羅門真諦経)拙訳*1

文章を噛めば噛むほど耳が痛い。訳文ちょいちょい直した。
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〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

*1:南伝大蔵経18巻308-310頁の訳文(荻原雲来)を参考に私訳。原文は[http://www.tipitaka.org/:title=CSCD tipiTaka]を使用した。