正山寺カティナ衣法要/パティパダー発送/彼岸寺仏教講座
- 11月17日〜18日にかけて、八王子の正山寺にてカティナ衣法要が執り行われました。禅東院さんが詳しいレポートを載せてくれているのでぜひご覧下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/kiko1129jp/52048803.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kiko1129jp/52076039.html
- 本日19日、パティパダー12月号を発送いたしました。平日にもかかわらず、ボランティアの方もいつも以上に集まってくださいました。感謝。
- 12月8日の成道会に開催される超宗派仏教徒によるインターネット寺院「虚空山 彼岸寺」主宰の「仏になるための仏教講座Vol.1」にて、スマナサーラ長老が講師をされます。もちろんストリーミング放送のみ……なんていうとんがりすぎた企画ではなく、神谷町の梅上山光明寺での法話会です。詳しくはリンク先まで。
- 今日のおススメ記事……「ブッダの法は人類の奇跡である」マニカナエムさんこと石飛道子先生のお言葉です。初期経典(アーガマ)への力強い賛歌です。全文を読み終えて、涙が出そうなほど感動しました。このように仏法を語れる人物は希有でしょう。随喜しつつ、私もブッダのロゴスに向かって励みましょう。
(前略)
ブッダの言ったとおりの表現や言葉づかいが
知られなければ
ブッダの法は知られない
のであれば、
ブッダの法というのは、
その内容よりも
表現や言葉づかいの巧みさ美しさに
重要性があったことになる。人に心地よい言葉を与えるだけなら
別に、ブッダでなくてもできるだろう。
その人に合わせて説いたという法が
その人にしか感銘を与えないものであれば
ブッダの法は、あまり普遍性をもっていたとは言えないだろう。しかし、ブッダは法を、人にあわせて説いたのだけれど
その言葉は、聞いたその人ばかりではなく
その場にいる多くの人々に真理であると実感させ
納得させたのである。ここには、たんなる表現上の巧みさ以外のものがある。
そこにあるのは、言葉と言葉をつなぐ必然的な関係である。
確実に人を納得させる論理がある。
それは、必然的な心のあり方である。これを理解した者は、ブッダの法を自分の理解したとおりに
あやまたずに伝えられるだろう。表現や言葉づかいの問題ではなく
真理をとらえたその心のあり方が、伝えられるのである。
言葉というロゴス(論理)によってである。
(以下略)
〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜