マハシ道場で修行したサイバラと鴨ちゃん(とゲッツ)

20日に亡くなった鴨ちゃんこと鴨志田穣さんはテーラワーダ仏教とも因縁浅からぬ人だ。戦場カメラマンだった彼は師匠の橋田信介氏(2004年イラク取材中に殺害される)らとともにタイを拠点に活動していた。鴨ちゃんはそのタイで妻となる西原理恵子サイバラ)さんと出会う直前、ミャンマーで二ヶ月間、一時出家をしている。

 妻はマンガ家だった。
 彼女と初めて出会ったのはタイのバンコクであった。
(中略)
 タイの隣国、ミャンマー国内が何やらうごめき始め、アウン・サン・スーチーの自宅軟禁が国際問題化し、軍事政権が尖鋭的に軍事行動を起こすのではないかと騒ぎ出されてきた頃。時期を狙い定め、いつでも出発する準備が整いつつあるその頃に、彼女が取材でやってくるという知らせを受けた。
 師匠は情報をより鋭く研ぎにかかっていて、相方はただひたすら得られる情報をかたっぱしから寄せ集めている中で、妻たちの取材陣の手伝いは自分が担当することに決まった。
 取材陣に入っていた同行する記者は以前から懇意にしてもらっていた人物で、取材プランは彼によって練られていた。タイの正月に当たる“水かけ祭り”を中心にパタヤ、バンコクを歩くというものだった。
 その年でタイ生活は四年目になっていた。
 “水かけ祭り”は一年目に経験しただけで、もう充分であった。見ず知らずの他人からざぶざぶと水を浴びせかけられて愉快な訳がない。それにその時はバンコクに二カ月ぶりに帰ってきてまだ三日が過ぎたばかりだった。
 ミャンマーに二カ月滞在していたのだ。
 彼の国は国内で何か起こるとすぐに外国人ジャーナリストを入国させなくしてしまう。何かが起こってからでは遅い。ビザが取得できる平時のうちに、その足でミャンマーに入っていようと数カ月前から計画を練っていたのだった。
 こちらは大新聞のように軍資金がたんまりとある訳ではない。二カ月近く滞在するとなるといくら安ホテルに泊まっていようと、何事もなければただホテルにいて宿泊代だけはきっちりと払わされるのだ。それは最初からできない相談だった。
 ならば、どうするか。
 強風が吹き抜けたようにザアッとひらめいた。
「坊主になります」
 その言葉に師匠と相方は手をたたいて賛成した。

寿郎社>コラム&日記>鴨志田穣【小説】「旅のつづき」〈第十三回〉邂逅(1)(2007年3月13日更新)

サイバラのマンガエッセイ『鳥頭紀行』にはじめて登場した鴨ちゃんが僧行に描かれていたのはそのためだ。

鳥頭紀行ぜんぶ (朝日文庫)

鳥頭紀行ぜんぶ (朝日文庫)

鴨ちゃんとサイバラ、そして盟友のゲッツ板谷は、『鳥頭紀行』シリーズで国内外各地を取材する過程で、ふたたびミャンマーに向かう。

三人は取材への規制が厳しいミャンマーに入るため、なんと、あのマハーシ瞑想センター(Mahasi Sasana Yeiktha Meditation Centre マハシ・セヤドー創立のヴィパッサナー瞑想道場)で一時出家したのだ。サイバラが剃髪するところから道場で彼らが煮え煮えになっていくまでの様子は『どこへ行っても三歩で忘れる鳥頭紀行 くりくり編』にマンガ(サイバラ)、写真(鴨ちゃん)、文章(ゲッツ)で絶妙に面白おかしく記録されている。もちろん、物見遊山的なほんの短期間の修行であるし、真剣な修行者からすれば迷惑な話(口実としての出家は結局ミャンマー政府の猜疑心をあおり、まじめな修行者が滞在しにくくなることに繋がる)だろう。

しかしサイバラの観察力と描写力と詩心を通して描かれたマハシ道場の様子、そして指導僧や修行者たちの姿はとても魅力的だ。また、サイバラもゲッツも修行のポイントをしっかりつかんでいたことが分かる。何年瞑想をしていても、基本的なポイントをまったく理解していない無知な人もいる。また、修行のポイントを一瞬で理解して、しかしまったく実践しない人もいる。理解力とやる気とはまた別のものなのだ。だからどんなにだらしなく見える人の言葉でも、役に立たないということはない(無知タイプの人のそれには気をつけるべきだが)。というわけで、仏教についても鴨ちゃんのご縁で教えてもらうことがあった。いろいろひっくるめて、他人とは思えない。合掌。

どこへ行っても三歩で忘れる鳥頭紀行 くりくり編 (角川文庫)

どこへ行っても三歩で忘れる鳥頭紀行 くりくり編 (角川文庫)

スマナサーラ長老の文章に、西原理恵子さんの挿絵をつけて本を出すのがちょっとした夢です。宝島社からは無理だろうけど(笑)。

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〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜