自殺と「いじめ」の仏教カウンセリング

スマナサーラ長老の最新刊『自殺と「いじめ」の仏教カウンセリング』(宝島新書 amazon.co.jp で予約受け受け中。発売3月10日)の見本を週末、二回読んだ。これはすごく強烈な本だ。ウソがない。ごまかしがない。ホントのことしか書いてない。ブッダに握りこぶし(隠す教え)はないのだから。強烈だけど、これが答えなのだ。仏教とは「苦を知り尽くし、楽に生きることを学ぶ」道なのだと再確認。一人でも多くの人に手にとってほしい。以下、詳細目次。

■はじめに:自殺したいのは当たり前 5
■第1章:なぜ死にたくなるのか 19
 なぜ自殺に興味があるのか
 自殺を美化する日本文化
 「二分する西洋文化」と「統一する日本文化」
 仏教は「区別」を認めて「差別」を非難する
 意味もなく生き、輪廻する
 心は絶えず形を変えて存続する
 煩悩があるから輪廻する
 渇いた状態から、欲が生まれる
 五欲は「色声香味触」の楽しみ
 存在欲は常にある
 非存在欲は破壊意欲、怒り
 「怒り」も「欲」も渇愛
 渇愛こそ「生きるエネルギー」
 さまざまな怒り
 怒りと五欲
 怒りと「自分の能力」
 怒りと「世界の対応」
 生まれたときから怒っている
 期待がはずれると怒る
 希望がないと苦しく、希望があっても苦しい
 希望・期待は危険
 気をつけないと幸せになれない
 怒りの結果は「破壊」
 欲の結果は不確実
 怒りが壊すもの
 怒りと自信
 心は「怒りの海」に棲む魚
 怒りは快感
 「私は正しい」と思うから怒る
 科学は人を不幸にする
 弱き者の勇気(自信が弱い場合)
 弱き者の勇気(自信ゼロの場合)
 自己破壊にも失敗する人が自殺する
 怒るなら、しっかり怒れ
 人は刺激で生きている
 欲と怒りの限界
 ヒトラーの怒り
 恐ろしい「後援」の威力
 凶暴なサルの群れ
 善友を求めて幸福の道へ
■第2章:自殺と罪 87
 自殺願望は異常現象?
 死を迎えると、ほとんどの人は落ち着く
 非存在欲が働くのは自然の流れ
 中年になれば五欲は控えたほうがよい
 善人・理性人の自殺
 心のみの存在を目指して無色界の禅定を得る
 理性人の自殺は善行為
 ゴーディカ大阿羅漢の自殺
 自殺に追い込まれた感情で罪が決まる
 自殺は必ず報われない
 自殺者の来世
 慈悲の実践で自殺願望は消える
■第3章:事実による教育 109
 何かのために死んだら失敗
 タコのお母さん
 「親の心、子知らず」のワケ
 「生きること」より「死ぬこと」を教える
 「自分の命は自分の勝手」の間違い
 「お互い様」で生きている
 親を敬うのは当たり前
 「生きるのは楽だ」という勘違い
 腰抜けに「腰抜けだ」と言っても大丈夫
 子供の自殺は、アラスカのオーロラ?
 動物の子供が必ずすること
 人間は不自然
 子供には刺激が必要
 愛情は自分の努力で買うもの
 「ジュースをくださいと言いなさい」
 「子供を駄目にする」という自然破壊
 大人が楽をするために管理している
 子供のことは皆の責任
 いじめられる先生
 環境の悪さは百点満点
 親から離れて子は育つ
 友達と仲良くするのも楽じゃない
 学校もつらいし、引きこもりもつらい
 森に熊がいることを知っていれば大丈夫
■第4章:いじめカウンセリング 159
 いじめられる子供の二タイプ
 いじめる子供の二タイプ
 ボクシングのリングでは殴り合え
 頭を使ってやり返せ
 生き延びるための闘い
 事例:「キモイ」「汚い」「臭い」と言われる
 事例:持ち物を汚物のように扱われる
 事例:無視される
 事例:「チビ」「デブ」と言われる
 事例:机に「死ね」という紙が入っている。
 事例:「友達が一人もいない」と笑われる
 事例:「お前なんか、仲間じゃない」と言われる
 事例:男子に背中やお腹を蹴られる
 事例:「いじめられるのは、自分のせいだ」と責める
 事例:「いじめた人を殺したい」と考える自分は最低だと思う
 仏教以前の問題
 小さなフグのように生き延びる
■おわりに:生きることを卒業する道 185

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〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜