朝カル「ブッダの自己観察」備忘録

トコトンハテナ」観た人など来客と電話が多かった。夕刻からスマナサーラ長老と新刊の原稿作成。途中、長老と長い付き合いのよろず編集者Iさんが遊びに来て、仏教や瞑想について四方山話。以下は昨日(26日)の朝日カルチャー備忘録。


朝日カルチャー(新宿)初期仏教入門「ブッダが推奨する「クリーン」な生き方」
講師:アルボムッレ・スマナサーラ長老
第4回あなたの「クリーン度」をチェックする(ブッダの「自己観察」入門)

  • 自己観察
    • ブッダの説く道は自己観察。
    • 他人が自分を救うことはあり得ず。
    • 絶対神を立てる一神教でも、神に救うことが出来る人と、どうして救われない人がいる。
    • 「救われる条件」は結局、人間が作らなくてはならない。
    • 神にはその条件が揃った人を救わずにおくことは出来ない。
    • 逆に、条件が揃わない人を救うことも出来ないし、しない。
    • 従って、一神教であっても、本来は「救済論」は矛盾である。
    • 「キレイ」に生きたいと思うなら、「自己観察」をすることになる。
    • 一切は因果法則に現われる現象なので、自己観察することで、悪の原因を取り除ける。

  • 分別能力
    • 感情で、主観で生きているから、人間にほとんど「分別能力」がない。
    • 我々の1:行為、2:言葉、3:思考をi.善、ii.悪、iii.普通、に分ける能力を身につけないといけない。
    • 「好き嫌い」にいくら理屈をつけてもそれは「分別能力」ではない(世の中でやっている「分別」は「好き嫌い」に理屈をつけることに過ぎない)。
    • 悪行為を制御することで生き方がキレイになる。
    • これが最初のステップ。いろいろな「行」はその工夫のための道具に過ぎない。
  • 善と悪:理論的な立場
    • 自分の思考が汚れているので、主観的な善悪区別は信頼できない。(オウムのポア思想を見よ)
    • 他人の意見、宗教、文化、習慣などに基づいた善悪判断も疑問視せざるを得ない。
    • 時代と社会の変動によっても変わらない、共通性のある、普遍的な判断でなくてはならない。
    • 釈尊のより説かれた「善と悪」は以上のような立場の教えである。
    • 心理的に観ると:貪瞋痴は悪の根源。不貪、不瞋、不痴は一切の善の根源。
    • 貪瞋痴の衝動で生きること、貪瞋痴の行為・言葉・思考は悪、「キタナイ」生き方になる。
    • 不貪、不瞋、不痴の衝動で生きること、不貪不瞋不痴の行為・言葉・思考は善、「キレイ」な生き方になる。
  • 善と悪:Pragmatic standpoint(実用的立場)
    • 生命の基本的な希望は「苦を避けて、楽・幸福を得ること」である。
    • 従って苦になる生き方は悪。幸福になる生き方は善。
    • 同時に、他人に苦を与える生き方は悪に、他人に幸福を与える生き方は善になる。
    • このように、ブッダによって善悪の理論はコンパクトに完成する。
  • 律・道徳
    • しかし理論的な説明だけでは人間に理解して、実行し難いことも確か。
    • 以上の理論に基づいて、語られた道徳・戒律がある。
    • また、十善と十悪がある。
    • 個人の理解能力によって、戒律を選んでも、十善を選んでも「キレイ」な生き方には差はつかない(同じ善い結果に至る)。
  • 感情との戦い
    • 道徳的に生きることも容易ではない。
    • 自分の思考・自分の感情が、悪の道・キタナイ道を歩めよと誘惑している。
    • 誘惑する悪に勝ち続けることで、人格は向上する。
    • 自信・勇気・落ち着き・安らぎ・こころの統一が生れてくる。
    • 理性がある人に、シンプルな道徳を完成することで智慧が現われるならば、それでキレイな生き方が完了する。しかし、そのようなケースは稀。問題は我々に「理性がない」ことだから。そこで次のステップがある。
  • 思考の整理
    • 思考自体も行為だが、全ての行為は思考から始まる。
    • 思考を整理して管理するのです。
    • 悪思考を早いうちに断ち切るのです。
    • 善思考で生きることに挑戦するのです。
    • このような生き方は必ず理性を育ちます。
    • キレイな生き方を保証します。
  • 思考の二分化
    • 中部経典No.20 vitakka saNThaana sutta (思考を定める)の概略。
    • 超越したこころを期待する比丘は時によって五つの事柄を観察する。
    • 何かを考える時、悪の思考になってしまう。思考が欲、好みに偏る(chanduupanisaM)。怒りに、落ち込みに偏る(dosuupanisaM)。無知に妄想に偏る(mohuupanisaM)。
  • (1)思考を入れ替える
    • その比丘は善になる別な題・対象に思考を入れ替える。
    • 結果として貪瞋痴が消え、こころは落ちく。統一する。サマーディが現われる。
    • 要するに:こころを観察して早いうちに悪思考の話題を善思考の話題に変えること。
  • (2)デメリットを観る
    • (1)では成功しないほど悪思考のたちが悪い場合、その思考・妄想のデメリット(aadiinava)を観察する。
    • この思考は罪である、間違っている。この思考は不幸・苦しみを招く。
    • 具体的に大胆にデメリットを考えるとその悪思考が消える。恐怖で打ち消すこと。
  • (3)無視する
    • (2)で悪思考が消えない場合、その思考を無視する。考えないことにする。より楽な、高度な方法を選ぶ。
    • 例えば、眼が見える人は何かを見たくないと思うならば、眼をそらす。眼を閉じる。(瞑想中、妄想がひどい場合、あえてひとつの対象に集中して確認することもこれにあたる)
    • 悪思考を止めたいと思う比丘はその悪思考をそのように、無視する。
  • (4)衝動を沈める
    • 悪思考は(3)でも無くならない場合、悪思考を引き起こす衝動を抑える、沈める、消すことにする。
    • 注:例えば、欲の思考がある場合、その思考に興味を持たず、「欲が現われているのだ」と欲の衝動を観察する。その感情がなくなるようにする。
    • 例えば、焦って走る人がこのように考える。「何故走るのか?もっと落ち着こう」と。彼は速く歩くことにする。それも嫌になってゆっくり歩く。歩く気持ちも控えて止まる。それから座る。それも止めてより楽な姿勢(横たわる) をとる。
    • 比丘はこのように、悪の思考の衝動を観察して控える。沈める。
  • (5)痛めつける
    • (4)でも成功しない場合は、歯をかみ締めて、舌を口蓋に押し付け、その悪思考をこころで非難する、苛める、痛めつける、苦しませる。
    • 例えば、体力のある人が弱い人を捕まえて、苛める、苦しめる、抑えるように。そのように強い思考によって、悪思考を苦しめる。
  • キタナイ思考の止め方は以上の五つ。
  • キレイを嫌う誘惑五つ
    • こころが超越出来ないように、キレイにならないように、うろついている誘惑(迷惑)が五つある。
    • (1)性欲に飽きてない。未練がある。
    • (2)身体に飽きてない。未練がある。
    • (3)美しいもの(ruupa)に飽きてない。未練がある。
    • (4)食いしん坊。お腹いっぱい食べて、楽に横たわること、寝ることに耽っている。
    • (5). 死後天界に生きたくて修行する。(M.I,100 )
    • このリストは現代的ではないだろうか?
    • 世界のほとんどの宗教は死後の幸福のために頑張っている。リストの(5)は、欲の妄想が肥大化したものなのだ。
  • こころの超越した境地
    • 俗世間的な思考ではこころはキレイにならず。
    • 俗世間の次元を乗り越えた境地にこころを育て上げなくてはならない。
    • 真理をありのままに、観られるこころでなくてはならない。
    • 普通のこころは幻覚のままで、さまよっている。
    • こころが向上すると、真の幸福に至る。
  • 自覚の問題
    • こころの状態を自覚してない人に心を清らかにすることも、成長させることも、超越することも不可能。
    • majjhima nikaaya, No.5, anaNgana sutta によれば、四種類の人がいる。
    • 1.こころは汚れているのに、その自覚はない。
    • 2.こころは汚れているが、それはありのままに自覚している。
    • 3.こころは汚れていないがその自覚はない。
    • 4.こころは汚れていない、また、ありのままにそれを知っている。自覚はある。
    • 自覚はある二人(2,4)は優れている。自覚はない二人(1,3)は卑しい。
    • こころが汚れてその自覚はない人はキレイになる意欲がない、努力しない。
    • こころは汚れてないが、その自覚もない場合、気楽に生きる。こころを管理しない。妄想を放っておく。やがてこころに汚れが現われる。貪瞋痴で汚れたこころで、死ぬことになる。
    • 汚れてると自覚がある人は努力してキレイなこころを作ってから亡くなる。
    • 汚れてないことに自覚がある人はこころを守り続けてキレイなこころで亡くなる。
  • クリーン度のチェック
    • なによりも先に診断を受けるべき
  • 自己診断方法
    • 我々の生き方で診断できる。
    • たとえ子供であっても、性格の発見できる。
    • 人は、自分の好み、好き嫌いは何かとチェックする。
  • リスト
    • 悪人と、悪い仲間と一緒にいると落ち着く。
    • 悪いことをすると、刺激的で止められない。
    • 人を騙して成功した時、ばれないように嘘つくことが出来たとき、「自分は賢い」と思う。
    • 人情を表現している映画、小説などは面白くない。
    • 性的、暴力的映画、小説などは好き。
    • いつでも皆の前に出ていないと落ち着かない(でしゃばり)。
    • いつでも後ろに下がって隠れていたい。
    • 他人の欠点、失敗を聴くと楽しくなる。
    • 他人の優れたところ、成功の話しを聴くと落ち込む、腹が立つ、攻撃したくなる。
    • 優しい人は「バカ」だと思う。
    • 自分と似てない人間は変人だと思う。
    • 自分の意見を直されたり、批判されたりすると、気持ち悪くなる。怒る。落ち込む。
    • 隠し事が多い。
    • 何か利益が無ければ、動かない。
    • 他人のことは信頼できない。
    • 飽きっぽい。
    • 難しいこと、挑戦すること、自分を試すことは嫌だ。
    • 皆がやっていることをやっておけば、真似をすれば安全だ。
    • 言われたこと以外なにもやらない。
    • 責任は持ちたくない。
  • あくまで自己観察
    • 以上のリストは不完全だが、自己診断のアンケートサンプル。
    • 本格的なリスト作りはたいへん。貪・瞋・痴・不貪・不瞋・不痴のそれぞれに項目が沢山ある。
    • このチェックでこころのクリーン度が分かる。
    • 省略すると、1「あなたの生きる衝動は貪瞋痴だけか?」、2どの程度で「不貪、不瞋、不痴が起こるのか?」
    • これは他人には診断できない。あくまで自己観察でなければいけない。
    • だから、これに追加するならば、「あなたは人の評価を気にする、人の評価で左右される人か?」という項目を入れてもいいだろう。
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〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜