upakkilesa-sutta

PM6:30〜スマナサーラ長老のパーリ経典解説。増支部(AN)5集収録の「錆経(upakkilesa-sutta)」。
仏道修行における五蓋の問題を説いた経典。先週、講義があった中部第7(MN7)「布経(vattha-sutta,vatthuupama-sutta)」と重なるところが多い。

「この経典は、人間の認識次元をやぶって超越次元にアクセスするための教え。五つの錆(汚れ 五蓋)を人間に粘りついた性格として見てほしい。五蓋の第一「愛欲kaamaccanda」とは我々が肉体至上主義を捨てること、細胞に依存した認識を破るということ。それは容易なことではない。釈尊が苦行を否定したのは、肉体を痛めつける苦行が肉体への依存であるゆえ。……ブッダの瞑想では、「理解」が悟りのポイント。目の前をありのままのデータが流れていく。それを瞬間に発見しないと解脱には達せない。だから理解力の欠如たる「疑Vicikiccha」は致命的。この「疑」も性格的なハンディだからたちが悪い。みんなにあるものだけど、瞑想でジワジワ減っていく。大変人気のある『般若心経』では「疑Vicikiccha」を神様扱いして崇拝している。「理解したくない」という人間の弱み・無知に取り入っている。経典が仏説か否かを見分ける教理学的なポイントは、その経典に我々を解脱に向けて「しつけ」る教えが含まれているかどうか、である。解脱への「しつけ」のない話は無駄話であると釈尊が仰っている。」云々。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜