南方熊楠と「ハチドリのひとしずく」


南アメリカの先住民に伝わるハチドリの物語

あるとき森が燃えていました

森の生きものたちは
われ先にと逃げていきました

でもクリキンディという名のハチドリだけは
いったりきたり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます

動物たちがそれを見て
「そんなことをしていったい何になるんだ」
といって笑います

クリキンディはこう答えました
「私は私にできることをしているの」

ソース:ハチドリ計画

『スロー・イズ・ビューティフル』の辻信一氏監修の『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』が大きな反響を呼んでいる。環境問題をテーマにしたイベントなどでこの小さな物語が朗読され、一人ひとりの力は小さくても、諦めたり悲観したりすることなく、地球のため世界平和のために「私ができること」を続けていこうというメッセージが多くの人々の心を打っているのだ。ところで、この『ハチドリのひとしずく』に酷似した仏教説話をひいて、日本ではじめて環境保護運動に立ち上がった男がいる。


彼の名は、南方熊楠(みなかた くまぐす)である。

明治時代後期、熊楠は「神社合祀反対運動」の思想的根拠を示す宣言として上梓されたいわゆる『南方ニ書』(松村任三宛書簡)には、次の一文が引かれている。
僕自身が、この物語を印象的に思って、自らのホームページに引用していたのだ。ふとしたきっかけで再発見したのだった。

玄奘三蔵の『大唐西域記』に、むかし雉の王あり、大林に火を失せるを見、清流の水を羽にひたし幾回となく飛び行きてこれを消さんとす。天帝釈これを見て笑うていわく、汝何ぞ愚を守りいたずらに羽を労するや、大火まさに起こり、林野を焚く、あに汝、微躯のよく滅すところならんや、と。雉いわく、汝は天中の天帝たるゆえ大福力あり、しかるにこの災難を拯(すく)うに意なし、まとこに力甲斐なきことなり。多言するなかれ、われただ火を救うがために死して已まんのみ、と。」

@BODDO:大火まさに起こり林野を焚く(『神跡考 南方熊楠と南紀熊野』'98.10-12)

キジの王であった菩薩は、火事に燃える森を救おうとして清流で自らの羽に水をひたして森に注いだ。
神々の王たる帝釈天はその様子を見て、笑った。
「おまえは愚かなやつだ。すでに火事はゴウゴウ広まって森を焼いているじゃないか。お前みたいな小さな鳥にこの火事が消せるものか」と。
キジはこう答えた。
「貴方は神々の王として偉大なる力を持ちながら、この災難を黙って見ている。助ける気もないのに他人の揚げ足をとりなさんな。私はキジの王として(仲間の暮らす)森を守るために命がけで力を尽くすだけですよ」と。

出典は仏教説話ジャータカ物語である。日本における環境保護のパイオニアであり、もっとも深い思想性を備えていた巨人・南方熊楠が、「神社合祀反対運動」の宣言書にこの物語をひいたことは、熊楠の後継者たる現代のエコロジストたちが記憶しておいてもいい故事ではないか。

ちなみに南方が引いたジャータカ物語は、権力に安住して国民を守る責任を果たさない為政者たちへの痛烈な風刺である。また「あなたは自分にできることを精一杯やっているのか? 自らの責任を果たしているのか?」という現代日本人(ハチドリやキジよりむしろ彼らを嘲った帝釈天に近い位置にあるかもしれない)への鋭い問いかけにもなっていると思う。

ハチドリのひとしずく いま、私にできること

ハチドリのひとしずく いま、私にできること

 
南方熊楠アルバム

南方熊楠アルバム

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜