被害者への「心のケア」とは?

インド洋大津波被災に関するウ・ウィッジャーナンダ大長老の法話が公開されました。「泣け」「悲しめ」「叫べ」「怒れ」「後悔せよ」と大合唱する世界にあって、仏教者らしいご発言だと思います。誰もが知りもしないで連呼する、「心のケア」の何たるものかをしっかり語っておられます。味読したいものです。

(前略)人は、死ぬ時は畳(=ベッド)の上で家族に見送られながら安楽に死にたいと願います。又、ある人は密林の象の如く誰も知らない場所で死にたい、ある人は桜の花が咲く樹の下で死にたい、ある人は死ぬ前に余裕が欲しいなどいろいろ「死に方」に希望があるようです。

しかし、災害は突然やって来ます。誰もが予知することは難しい。もし、自分にできることがあるとしたら、それは、用心を怠らないことです。心の用心を怠らないことです。五力の「念力」の修習(p504、「念」)が、災害時の心の支えとなってくれます。

具体的な話が第174詩句の因縁物語「機織りの少女」(p218)や第212詩句の因縁物語「仏陀、死について語る」(p254)などにあります。どうぞ、参考にしてください。

傷ついた痛ましい遺体に家族の人たちは嘆き悲しみます。誠に、気の毒なことであります。善人の方々が悲惨な最後を遂げた話が『ダンマパダ』の中にも紹介されております。

例えば、大金持ちの息子マッタクンダリは若くして病死、死後三十三天界へ輪廻する(第2詩句、p2)。預流果を得た牛飼いのナンダが矢を射られて死ぬ(第42詩句、p54)。修行中に重い病に倒れて死ぬ比丘ゴディカ(第57詩句、p77)。ライ病患者のスッパブッダは、預流果の悟りを得た後に牛の角に突かれて死ぬ(第66詩句、p91)。死刑執行人タムバダーティカは随順智を得た後、牛の角に突かれて死ぬ(第100詩句、p131)。バーヒヤは阿羅漢果を得た後に牛の角に突かれて死ぬ(第101詩句、p133)。ティッサ長老が信者の男に棒で叩かれた傷が原因で死ぬ(第126詩句、p160)。マハーモッガラーナ長老は複数の人間に殴り殺される(第137〜140詩句、p174)。アングリマーラ長老は飛んできた石が頭に当たりそれが原因で死ぬ(第173詩句、p215)など。

仏陀も、旅の途中、クシナーラの地で「野垂れ死」の最後でありました。『ダンマパダ』アップグレード版の中のこれらの因縁物語を読まれた読者の方々は、すでにお気ずきでしょう。人が幸福な人生を過ごしたか、不幸な人生を過ごしたかを判断するのにその人の「死に方」などは基準にならないことを。「生き方」によって決まるものであると理解されておられることでしょう。被災者のご家族の方々には、もうこれ以上嘆き悲しむことがないようにお祈り申し上げます。

この大津波で生き残った人たちも、又いずれ死ぬ時がおとずれます。病院で手術によりて病が回復した人にも、いずれ死がおとずれます。戦争で生き残った兵隊にもやがて死がやってきます。

そうです、仏陀は、「人生は如何に生きるべきか」「人間は如何に生きるべきか」「今日一日を、如何に生きるべきか」について説いておられるのであります。(後略)


今日の写経は、上記の法話にも引用されていた有名な『無常偈』です。
訳文はいろいろ見たけど、ここは中村元博士のものを。