佐々井秀嶺師が6月4日に総持寺で講演

佐々井秀嶺師の来日以来、その動向を精力的に伝えている電脳和尚のブログ「てやんDay!」に待望の首都圏での講演情報が告知された。6月4日、鶴見の総持寺にて。急ぎ、転載する。

『6.4』ヨコハマ!

関東在住者待望、佐々井師初の首都圏講演が決定した。
6月4日木曜18時30分、横浜鶴見にある曹洞宗総持寺
佐々井秀嶺師が獅子吼する。一般公開、入場無料。
人間本来の熱さや魂の光輝を忘れた日本人よ、刮目すべし!

総受付(代表) 
〒230-8686 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2−1−1
TEL 045-581-6021 FAX 045-571-8221

JR京浜東北線[鶴見駅]西口より徒歩(約7分)
京浜急行線[京急鶴見駅]より徒歩(約10分)

これは、万難を排して行かねば!


男一代菩薩道―インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺

男一代菩薩道―インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺

ソワカちゃんDVD化!

護法少女ソワカちゃん 乗の巻(4000枚限定生産版) [DVD]

護法少女ソワカちゃん 乗の巻(4000枚限定生産版) [DVD]

あの護法少女ソワカちゃんがついにDVD化!7月15日に発売される。amazon.co.jpにて、ただいま絶賛予約受付中です。作者のkihirohitoさんのブログ「心のともしび」(笑)によれば……

内容的にどこまで書いていいんだかこれも分かってないんですけど、
初期の動画とかおまけとかが入ってます。
(修正だの作り直しだのアレだのもしております)
音楽はプロがミックスしてくれたので、いい音になってます。


デザインだの何だのは全部一人でやりました。
その作業で3〜4月はほぼつぶれてしまったという。
ほんとはヒトに頼みたかったんだけど、なんと言って頼めばいいのかよくわからなかったので
(「よろしく」とか言えばいいのだろうか)


定額給付金の使い道に困ってる方はお買い求めください。*1

さっそく予約した。限定版特典も楽しみ。

そして、6月13日(土)新宿ロフトプラスワンにて第二回『電奇梵唄会』も開催される。


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〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

*1:http://blog.livedoor.jp/kihirohito/archives/50476306.html

タイの女装僧侶?(出家は形にあらず)

ピンクのバッグ、化粧で托鉢=女装僧侶に苦悩−タイ仏教界


バンコク5日時事】厳格な戒律で知られるタイの仏教界が、同性愛などの若い僧侶の振る舞いに頭を悩ませている。僧侶の象徴である黄衣を女性風に着こなし、化粧もするなど、人目をはばからぬ行動は社会問題に発展。仏教学校が年少者向けの特別講座を開設するなど対策が始まった。

タイでは、仏教を攻撃する目的でキリスト教系のメディアがこういう僧侶を揶揄する記事を流す例もあるというから、どこまで真に受けていいのかわからないが……。テーラワーダ仏教の戒律では、性別がはっきりしない人は出家できないはずだ。その点は出家儀式の際に訊かれる。あと、龍(ナーガ)が人の姿に化けて出家しようとしても、許されない(笑)。


ただ、タイでは功徳行として一時出家するケースが多いので、同性愛傾向のある人でも親孝行のために出家して、しかしどうしても「乙女心」がうずいておかしな行動をしてしまう、ということもあるだろうね。「仏教国」ならではの、仏教文化とダンマとの現代的なせめぎあい、という感じがする。まぁ、たいした問題ではなかろう。


ちなみに出家というのは出家の戒律を受けて守る存在で、だからこそ出家なわけで、事実上「無戒」状態である日本の大乗仏教の僧侶たちに向かって一般人が手を合わせないからといって、「日本には敬虔な仏教徒が少ない」わけではない。


日本の僧侶は長らく、お上から「度牒」を受けて身分をいただく公務員みたいな立場だった。江戸時代には常民たちの生活を監視する戸籍役場のような役割を幕府から与えられていた。その権威は必ずしも三宝から来ていたわけではなく、時の権力を笠に着ていたところも多分にある。だから、そういう三宝と無関係の飾り物を引き剥がされたところで、僧侶が尊敬されないと嘆くのは、バカもいいところである。お前ら、そもそも尊敬される条件をそろえてないYO!


明治以降だって、釈雲照律師村雲日榮尼のような持戒堅固の本物の出家は、広く日本国民の尊敬を集めていたのである。本物の出家がほとんど絶えている現在、一般人が出家に手を合わせなくてもいいのである。それが自然な姿だ。*1


日本にもこれから本物の出家が増えれば、出家とは尊敬に値する人々だという共通認識がよみがえって、たとえだらしない出家であっても「この人も出家者だから、あの方々のように尊敬に値する人に違いない。手を合わせよう」と、人々が手を合わせてくれる余慶にあずかれるかもしれない。


五戒も知らない無戒の僧侶が戒を受けようと思えば、五戒を守っている在家者に向かって手を合わせて、五戒を授けてもらわなくてはならない。いまの日本であれば、僧侶が在家から戒を授かる、ということも不思議ではない。出家というのは、形ではないのだ。


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〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

*1:もちろん一般常識にのっとって礼儀をもって接するべきだよ。

山際素男氏の死去 佐々井秀嶺師の来日

作家・翻訳家、山際素男氏の逝去を伝える情報を先月末からチラホラ目にしていたのだが、4月7日には訃報が配信されていた。

山際 素男さん(やまぎわ・もとお=作家、翻訳家) (04/07 13:56)
 3月19日午前11時18分、間質性肺炎のため東京都東大和市の病院で死去、79歳。三重県出身。(略)葬儀は近親者のみで行った。喪主は置かない。
 法政大卒業後、インドに留学。インドのカースト制度の実態を日本に紹介した。代表作に「不可触民 もうひとつのインド」(81年)。古代インドの大叙事詩「マハーバーラタ」(全9巻)で、98年度日本翻訳出版文化賞を受賞した。*1

ずいぶん遅くなってしまったが、山際氏のことをご存じない方もいるだろうから、当ブログでもそのお仕事の一部を紹介したい。略歴はwikipediaにもまとめられているが、色川武大との交流エピソードは、いかにも無頼派という風情で面白い。

20代のころは、小説家志望で、同人誌活動を行っており、そこで同い年の色川武大と知り合い、お互いの家に泊まりあうほど、親密になり、色川が死去するまで交際があった。色川は山際を「奇人」ととらえ、後に執筆した、奇妙な人物たちが次々と登場する色川の出世作『怪しい来客簿』に、山際を登場させたかったという。その後、色川の小説の中に、キャラクターとして登場した。また、山際には二人息子がいたが、次男が色川の少年時代にそっくりたったため、「下の息子は、俺がインドに行っている間に、色川がつくった子供じゃないか」と冗談を言っていたという。

また、1984年に、吉行和子岸田今日子から「インドに行ってみたい」と依頼され、1984年末から1985年初めにかけて彼女らを案内してインド旅行につれていき、その旅を、『脳みそカレー味 岸田今日子吉行和子とのインド旅日記』としてまとめた。*2

不可触民と現代インド (光文社新書)

不可触民と現代インド (光文社新書)

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

ブッダとそのダンマ (光文社新書)

ブッダとそのダンマ (光文社新書)

インド不可触民の実態を赤裸々に報告し、不可触民解放とカースト差別打破のために生涯をささげたアンベードカル博士の伝記を翻訳して広く日本人に知らしめたことは、山際素男氏の大きな業績である。


チベット問題 (光文社新書)

チベット問題 (光文社新書)

ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)

ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)

ダライ・ラマ 幸福になる心

ダライ・ラマ 幸福になる心

山際氏は、チベット問題にも造詣が深かった。「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」にもかかわり、ダライ・ラマ自伝など、いくつかのチベット関係の著書・翻訳書もある。


フォトジャーナリスト山本宗補氏の「山本宗補の雑記帳」に山際氏の葬儀について記されている。

 近親者のみで行われた簡素な葬儀と火葬に参列させていただいたことは光栄だった。葬儀の一連の記録写真は、ご遺族とインドの佐々井秀嶺師、光文社の編集者にお渡しした。
棺には山際先生の代表作2冊と原稿用紙に鉛筆、それと杖も遺族の手により収められた。
「不可触民 もうひとつのインド」(光文社文庫)と「破天 インド仏教徒の頂点に立つ男」(光文社新書)の二冊だ。「破天」とは佐々井秀嶺師の事実は小説よりも奇なりの自伝。二段組で600ページの新書らしくない新書だ。*3

山際氏のライフワークは、やはりインド不可触民の解放という世界史的なドラマを活写し続けることだったのだ。

不可触民―もうひとつのインド (知恵の森文庫)

不可触民―もうひとつのインド (知恵の森文庫)

破天 (光文社新書)

破天 (光文社新書)

山際氏が記した大作の伝記『破天』を通じて、多くの日本人がインド仏教指導者・佐々井秀嶺師を知ることとなった。その佐々井氏が現在、四十有余年ぶりに来日中であると知って驚いた。こちらも、山本宗補氏の「山本宗補の雑記帳」、そして電脳和尚の「てやんDay!」でも密着レポートが掲載されている。テレビクルーも同行しているようだ。


佐々井師は、なんと「アルファブロガー小飼弾氏と会見したそうだ。ブログ「404 Blog Not Found」で小飼氏が興奮気味に報告している。

小飼弾の 「仕組み」進化論

小飼弾の 「仕組み」進化論

まさか、生きてお会いできるとは。

しかも、この日本で。


あの「男一代菩薩道」の佐々井秀嶺師が、実に44年ぶりに日本にいらっしゃった。それに生きて立ち会うことが出来ただけでも信じられない良縁なのに、直に話ができるとは。機会を設けて下さったアスペクトに改めて感謝。

男一代菩薩道―インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺

男一代菩薩道―インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺


アスペクトが出版企画で動いているのか。サンガももう少しアンテナ張って動いていれば……。佐々井師は5月23日に臨済宗大本山南禅寺(京都市左京区)で一般公開の講演会を行うそうだ。新幹線に乗って駆けつけたいけど、ううう、正山寺のウェーサーカ祭の日ではないか……。


東京でも、ぜひ一般公開の講演会を開いていただければと思う。チベット問題で積極的に動いている護国寺あたり、どうなの?


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*1:http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fuhou/157588.html

*2:[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%9A%9B%E7%B4%A0%E7%94%B7:title=wikipedia:山際素男]

*3:http://homepage2.nifty.com/munesuke/za-2009-4-14.htm

「ニコニコ仏教講座」が面白い!

先週末はスマナサーラ長老の札幌講演&冥想会に同行。マニカナ・エムさんこと石飛道子先生と長老様の会見の場に同席させていただき至福のひとときを堪能させていただいた。石飛先生の司会進行による朝日カルチャー講義は、関係者の皆様のご好意で近日、Dhammacast公開の予定。乞うご期待!

ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道

ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道

さて、今日はニコニコ動画でちょっぴり話題になっているらしい仏教動画シリーズ「ニコニコ仏教講座」をご紹介。作者は仏教系人気ブログ「坊主めくり」の蝉丸Pこと仁鐵師。



仏教と「自殺」について。素晴らしい対機説法だ。



よく分かる仏教史概説。やけに「納得力」がある。

無常の見方 「聖なる真理」と「私」の幸福    お釈迦さまが教えたこと1

無常の見方 「聖なる真理」と「私」の幸福 お釈迦さまが教えたこと1

さすが、RECOMMENDでスマナサーラ長老『無常の見方』を取り上げているだけのことはある。次回作も楽しみ。


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Global vipassana Pagoda

昨晩、スマナサーラ長老と雑談中に聞いたのだが、去る2月8日(日)、インドのムンバイ近郊にS.N.ゴエンカ師らのグループによる巨大な仏塔型瞑想道場Global vipassana Pagoda(グローバル・ヴィパッサナー・パゴダ)のオープニングセレモニーが開催された。インド共和国のPratibha Devisingh Patil大統領はじめ各界のVIPも出席して、盛大な式となったようだ。


インドの現大統領Pratibha Devisingh Patil女史。ご自身もヴィパッサナー瞑想を実践されているとか。なんかそういう雰囲気はあるね。

グーグルニュースによれば、インドではけっこう大きく報道された模様。

Global vipassana Pagodaは高さ100メートル(325フィート)。柱を一切使わずに建てられたものとしては世界最大の大きさを誇り、8000人以上が一度に瞑想をすることができる。

youtubeに関連動画も上がっている。


こちらは建設を伝えるニュース(広報?)番組


オープニングセレモニーの様子。壇上のインド人女性にやたらカメラが向くのはなぜ?

↑こちらの公式サイトでも、オープニングセレモニーの動画が観られる。

↑建設中の画面だが、グーグルマップにも大きく映っている。

ゴエンカ師は宗教色を出さずにヴィパッサナー瞑想を普及させている人物だが、このニュースはインドにおける「仏教復興・復権」の一つの現われとして捉えて差し支えないだろう。ヒンドゥーとイスラムの宗教対立の意匠をまとった悲惨なテロ事件の記憶も生々しいムンバイに、一切生命への無量の慈しみを掲げるブッダのモニュメントが、しかも単なる礼拝対象のみならず、瞑想実践の道場として建てられたことの意義は大きい。ムンバイに行く機会があれば、ぜひGlobal vipassana Pagodaを参詣してみたいと思う。

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五戒を守る僧侶の会(不飲酒戒を考える)

法友の木下全雄師(高野山真言宗)が代表となって、「五戒を守る僧侶の会」が発足した。


一. 私は故意に生き物を殺しません(不殺生戒)
二. 私はどのようなものも盗みません(不偸盗戒)
三. 私は夫婦以外の性的関係を持ちません(不邪淫戒)
四. 私はいつわりを語りません(不妄語戒)
五. 私は酒や麻薬などを摂取しません(不飲酒戒)

言うまでもなく、五戒とは……在家仏教徒の戒である。日本仏教の僧侶は事実上「無戒」であるという現状認識をもって、まず仏教徒の基本的な戒(学処)である五戒を守るところから、日本仏教再生を果たしていこうという集いである。全雄師は次のように述べる。

仏祖のお釈迦様は「人間らしい生き方」の道標として、「五戒を守る生き方」を示して下さいました。
(中略)
本来はこの「五戒を守る生き方」は、個々人が自慢する事なく、ひそかに、自分の生き方の指針として「自発的に、しかも徹底的に守るもの」でしょう。しかし「人間らしい生き方」を見失った大人が増えているこの日本では、「五戒を守る生き方実践」の大切さを社会に向けて発信する事は、私達日本の大乗仏教僧侶の役目であると思うのです。

さらに、様々な宗派に分かれている日本の大乗仏教ですが、その生みの親は「お釈迦様」です。そういう意味で、このお釈迦様のお教えの下に集まる事は、日本の全仏教徒の力を一つにする事にもなります。

それはこの日本の未来を、明るく変えて行く力があるはずなのです。

この志は尊いものだと思う。はなむけではないが、スッタニパータに説かれたお釈迦様の「五戒のススメ」を引用したい。(正田大観訳)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

394  〔第一に〕生き物を殺さないように。そして、殺させないように。また、〔生き物を〕殺している他者たちを認めないように。世における、動かないものたち、そして、動くものたち、〔すなわち〕一切の生類にたいし、棒(武器)を置いて〔害さずにいるように〕(不殺生戒)。
395  それから、〔第二に〕目覚めている弟子は、どこにあっても、何であれ、与えられていないものを遍く避けるように。〔他者をして他者から〕奪わせないように。奪っている者を認めないように。一切の与えられていないものを遍く避けるように(不偸盗戒)。
396  〔第三に〕識者は、燃える火坑を〔避ける〕ようにして、梵行ならざること(淫欲の行為)を遍く避けるように。また、梵行をできずにいる者は、他者の妻を犯さないように(不邪淫戒)。
397  〔第四に〕あるいは、集会に出たとして、あるいは、衆のなかに入ったとして、独りでいて、ただの一者[ひとり]にたいしても、虚偽を語らないように。〔他者をして虚偽を〕語らせないように。〔虚偽を〕語っている者を認めないように。一切の事実ならざることを遍く避けるように(不妄語戒)。
398  また、〔第五に〕酔う飲み物(酒)を嗜まないように。この〔不飲酒の〕法(教え)を喜ぶ在家の者は、それ(飲酒)について、『狂気という終極あるもの』と知って、〔他者に酒を〕飲ませないように。〔酒を〕飲んでいる者を認めないように。
399  なぜなら、愚者たちは、〔酒による〕驕りから、諸々の悪を為し、さらにまた、他の人たちをして、諸々の怠りある〔行為〕を為さしめるからです。愚者たちに欲せられ、〔世の人々を〕狂気と迷妄ならしむ、この、善ならざる場所(処:領域・範囲)を避けるように(不飲酒戒)。

(スッタニパータ,第二章 小なるもの,第十四経 ダンミカ 訳:正田大観*1

正田先生の日本語訳は逐語訳なので決して読みやすいものではないが、このいくつかの偈に「五戒」の要点が見事に説かれていると思う。

五戒とは決して、個人的かつ消極的な訓戒にとどまらない。「生き物を殺さないように。そして、殺させないように。また、〔生き物を〕殺している他者たちを認めないように」というブッダの言葉に明らかなように、「五戒」の教えは人間社会を道徳的に進歩させようという積極性・社会性を備えていたのである。

「五戒を守る生き方実践の大切さを社会に向けて発信する」という全雄師の志は、まこと釈尊の教えの真意に適っているのだ。

日本で理解されにくい「不飲酒戒」の意味については、上に引いたスッタニパータ399偈で懇々と説明されているが、スマナサーラ長老の次の説明も参考になるだろう。

五戒を「戒論」的に分析すると、二つに分かれる。

  1. 生命との関係を定めた戒:不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語
  2. 自己破壊を防ぐ戒:不飲酒

1と2は土台と屋根のような関係である。家を建てる時は土台から建てなければならない。その意味では不殺生〜不妄語までの四戒が先にある。

しかし、屋根が無ければ家とは言えない。飲酒によって自己破壊すれば、生命との関係もすべて崩れてしまう。よって、五戒はひとつのセットとして実践することが勧められている。云々。*2

ブッダの幸福論 (ちくまプリマー新書)

ブッダの幸福論 (ちくまプリマー新書)

*3

仏教の「戒論」において、飲酒はそれ自体が「衆生を悩ます」わけではないから、「実罪」ではないとされる。ただ自己破壊に陥るのみである。しかし飲酒は「罪の因」となる。

若し人が酒を飲まば則ち不善の門を開く、是の故に若し人をして酒を飲ましむれば則ち罪分を得、能く定等の諸もろの善法を障うるを以ての故なり。
(成実論 五戒品第一百九*4

新国訳大蔵経―毘曇部〈7〉成実論(2)

新国訳大蔵経―毘曇部〈7〉成実論(2)

もし人が酒を飲めば「不善の門」を開く。(理性を鈍らせる酒は)禅定などの諸々の善法を妨げてしまう。ゆえに、他人に酒を飲ませることは(他人の向上をスポイルする)罪である。

酒を飲む飲まないは自己責任だとしても、他人に酒を飲ませる行為(飲酒を強要したり、勧めたりすること)は、相手の尊厳をふみにじる、明確な「罪」なのである。自身は五戒を受けないにしても、せめて他人に酒を勧めるという「罪」だけは犯してはならないことを、仏教徒ならば(否、他者を尊重する人間であるならば誰でも)肝に銘じるべきであろう。

そういえば、全雄師の属する日本真言宗の祖師、弘法大師空海は雨乞いの願分のなかで、次のような経文を引いている。

国十善を行ひ、人五戒を修すれば、五穀豊登し万民安楽なり。*5

実際に五戒を受けてみたい方は、こちらのパーリ原文・音声ファイル・日本語訳を活用してほしい。在家の場合、僧侶や適当な師がいないときに自分一人で持戒を誓うことも、立派な「受戒」として認められるのである。*6

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〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

*1:[http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/sho20070317.html:title=スッタニパータ和訳 正田大観]

*2:[http://d.hatena.ne.jp/ajita/20081214:title=ひじる日々 2008-12-14 五戒について/村上真完博士]

*3:『ブッダの幸福論』(ちくまプリマー新書)幸福に生きるための処方箋として「五戒」についてやさしい言葉で説明されている。

*4:[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1646_,32,0300:title=大正蔵検索の結果ページ]

*5:性霊集巻第六

*6:Upāsakajanālaṅkāra