「ニコニコ仏教講座」が面白い!
先週末はスマナサーラ長老の札幌講演&冥想会に同行。マニカナ・エムさんこと石飛道子先生と長老様の会見の場に同席させていただき至福のひとときを堪能させていただいた。石飛先生の司会進行による朝日カルチャー講義は、関係者の皆様のご好意で近日、Dhammacast公開の予定。乞うご期待!
- 作者: 石飛道子
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さて、今日はニコニコ動画でちょっぴり話題になっているらしい仏教動画シリーズ「ニコニコ仏教講座」をご紹介。作者は仏教系人気ブログ「坊主めくり」の蝉丸Pこと仁鐵師。
仏教と「自殺」について。素晴らしい対機説法だ。
よく分かる仏教史概説。やけに「納得力」がある。
無常の見方 「聖なる真理」と「私」の幸福 お釈迦さまが教えたこと1
- 作者: アルボムッレスマナサーラ,Alubomulle Sumanasara
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〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜
Global vipassana Pagoda
昨晩、スマナサーラ長老と雑談中に聞いたのだが、去る2月8日(日)、インドのムンバイ近郊にS.N.ゴエンカ師らのグループによる巨大な仏塔型瞑想道場Global vipassana Pagoda(グローバル・ヴィパッサナー・パゴダ)のオープニングセレモニーが開催された。インド共和国のPratibha Devisingh Patil大統領はじめ各界のVIPも出席して、盛大な式となったようだ。
インドの現大統領Pratibha Devisingh Patil女史。ご自身もヴィパッサナー瞑想を実践されているとか。なんかそういう雰囲気はあるね。
グーグルニュースによれば、インドではけっこう大きく報道された模様。
Global vipassana Pagodaは高さ100メートル(325フィート)。柱を一切使わずに建てられたものとしては世界最大の大きさを誇り、8000人以上が一度に瞑想をすることができる。
youtubeに関連動画も上がっている。
こちらは建設を伝えるニュース(広報?)番組
オープニングセレモニーの様子。壇上のインド人女性にやたらカメラが向くのはなぜ?
↑こちらの公式サイトでも、オープニングセレモニーの動画が観られる。
↑建設中の画面だが、グーグルマップにも大きく映っている。
ゴエンカ師は宗教色を出さずにヴィパッサナー瞑想を普及させている人物だが、このニュースはインドにおける「仏教復興・復権」の一つの現われとして捉えて差し支えないだろう。ヒンドゥーとイスラムの宗教対立の意匠をまとった悲惨なテロ事件の記憶も生々しいムンバイに、一切生命への無量の慈しみを掲げるブッダのモニュメントが、しかも単なる礼拝対象のみならず、瞑想実践の道場として建てられたことの意義は大きい。ムンバイに行く機会があれば、ぜひGlobal vipassana Pagodaを参詣してみたいと思う。
〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜
五戒を守る僧侶の会(不飲酒戒を考える)
法友の木下全雄師(高野山真言宗)が代表となって、「五戒を守る僧侶の会」が発足した。
一. 私は故意に生き物を殺しません(不殺生戒)
二. 私はどのようなものも盗みません(不偸盗戒)
三. 私は夫婦以外の性的関係を持ちません(不邪淫戒)
四. 私はいつわりを語りません(不妄語戒)
五. 私は酒や麻薬などを摂取しません(不飲酒戒)
言うまでもなく、五戒とは……在家仏教徒の戒である。日本仏教の僧侶は事実上「無戒」であるという現状認識をもって、まず仏教徒の基本的な戒(学処)である五戒を守るところから、日本仏教再生を果たしていこうという集いである。全雄師は次のように述べる。
仏祖のお釈迦様は「人間らしい生き方」の道標として、「五戒を守る生き方」を示して下さいました。
(中略)
本来はこの「五戒を守る生き方」は、個々人が自慢する事なく、ひそかに、自分の生き方の指針として「自発的に、しかも徹底的に守るもの」でしょう。しかし「人間らしい生き方」を見失った大人が増えているこの日本では、「五戒を守る生き方実践」の大切さを社会に向けて発信する事は、私達日本の大乗仏教僧侶の役目であると思うのです。さらに、様々な宗派に分かれている日本の大乗仏教ですが、その生みの親は「お釈迦様」です。そういう意味で、このお釈迦様のお教えの下に集まる事は、日本の全仏教徒の力を一つにする事にもなります。
それはこの日本の未来を、明るく変えて行く力があるはずなのです。
この志は尊いものだと思う。はなむけではないが、スッタニパータに説かれたお釈迦様の「五戒のススメ」を引用したい。(正田大観訳)
- 作者: 中村元
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394 〔第一に〕生き物を殺さないように。そして、殺させないように。また、〔生き物を〕殺している他者たちを認めないように。世における、動かないものたち、そして、動くものたち、〔すなわち〕一切の生類にたいし、棒(武器)を置いて〔害さずにいるように〕(不殺生戒)。
395 それから、〔第二に〕目覚めている弟子は、どこにあっても、何であれ、与えられていないものを遍く避けるように。〔他者をして他者から〕奪わせないように。奪っている者を認めないように。一切の与えられていないものを遍く避けるように(不偸盗戒)。
396 〔第三に〕識者は、燃える火坑を〔避ける〕ようにして、梵行ならざること(淫欲の行為)を遍く避けるように。また、梵行をできずにいる者は、他者の妻を犯さないように(不邪淫戒)。
397 〔第四に〕あるいは、集会に出たとして、あるいは、衆のなかに入ったとして、独りでいて、ただの一者[ひとり]にたいしても、虚偽を語らないように。〔他者をして虚偽を〕語らせないように。〔虚偽を〕語っている者を認めないように。一切の事実ならざることを遍く避けるように(不妄語戒)。
398 また、〔第五に〕酔う飲み物(酒)を嗜まないように。この〔不飲酒の〕法(教え)を喜ぶ在家の者は、それ(飲酒)について、『狂気という終極あるもの』と知って、〔他者に酒を〕飲ませないように。〔酒を〕飲んでいる者を認めないように。
399 なぜなら、愚者たちは、〔酒による〕驕りから、諸々の悪を為し、さらにまた、他の人たちをして、諸々の怠りある〔行為〕を為さしめるからです。愚者たちに欲せられ、〔世の人々を〕狂気と迷妄ならしむ、この、善ならざる場所(処:領域・範囲)を避けるように(不飲酒戒)。(スッタニパータ,第二章 小なるもの,第十四経 ダンミカ 訳:正田大観*1)
正田先生の日本語訳は逐語訳なので決して読みやすいものではないが、このいくつかの偈に「五戒」の要点が見事に説かれていると思う。
五戒とは決して、個人的かつ消極的な訓戒にとどまらない。「生き物を殺さないように。そして、殺させないように。また、〔生き物を〕殺している他者たちを認めないように」というブッダの言葉に明らかなように、「五戒」の教えは人間社会を道徳的に進歩させようという積極性・社会性を備えていたのである。
「五戒を守る生き方実践の大切さを社会に向けて発信する」という全雄師の志は、まこと釈尊の教えの真意に適っているのだ。
日本で理解されにくい「不飲酒戒」の意味については、上に引いたスッタニパータ399偈で懇々と説明されているが、スマナサーラ長老の次の説明も参考になるだろう。
五戒を「戒論」的に分析すると、二つに分かれる。
- 生命との関係を定めた戒:不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語
- 自己破壊を防ぐ戒:不飲酒
1と2は土台と屋根のような関係である。家を建てる時は土台から建てなければならない。その意味では不殺生〜不妄語までの四戒が先にある。
しかし、屋根が無ければ家とは言えない。飲酒によって自己破壊すれば、生命との関係もすべて崩れてしまう。よって、五戒はひとつのセットとして実践することが勧められている。云々。*2
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仏教の「戒論」において、飲酒はそれ自体が「衆生を悩ます」わけではないから、「実罪」ではないとされる。ただ自己破壊に陥るのみである。しかし飲酒は「罪の因」となる。
若し人が酒を飲まば則ち不善の門を開く、是の故に若し人をして酒を飲ましむれば則ち罪分を得、能く定等の諸もろの善法を障うるを以ての故なり。
(成実論 五戒品第一百九*4)
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もし人が酒を飲めば「不善の門」を開く。(理性を鈍らせる酒は)禅定などの諸々の善法を妨げてしまう。ゆえに、他人に酒を飲ませることは(他人の向上をスポイルする)罪である。
酒を飲む飲まないは自己責任だとしても、他人に酒を飲ませる行為(飲酒を強要したり、勧めたりすること)は、相手の尊厳をふみにじる、明確な「罪」なのである。自身は五戒を受けないにしても、せめて他人に酒を勧めるという「罪」だけは犯してはならないことを、仏教徒ならば(否、他者を尊重する人間であるならば誰でも)肝に銘じるべきであろう。
そういえば、全雄師の属する日本真言宗の祖師、弘法大師空海は雨乞いの願分のなかで、次のような経文を引いている。
国十善を行ひ、人五戒を修すれば、五穀豊登し万民安楽なり。*5
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実際に五戒を受けてみたい方は、こちらのパーリ原文・音声ファイル・日本語訳を活用してほしい。在家の場合、僧侶や適当な師がいないときに自分一人で持戒を誓うことも、立派な「受戒」として認められるのである。*6
〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜
*1:[http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/sho20070317.html:title=スッタニパータ和訳 正田大観]
*2:[http://d.hatena.ne.jp/ajita/20081214:title=ひじる日々 2008-12-14 五戒について/村上真完博士]
*3:『ブッダの幸福論』(ちくまプリマー新書)幸福に生きるための処方箋として「五戒」についてやさしい言葉で説明されている。
*4:[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1646_,32,0300:title=大正蔵検索の結果ページ]
*5:性霊集巻第六
*6:Upāsakajanālaṅkāra
夏目房之介の「で?」
見慣れないブログからのお客さんが増えてるなぁと思ったら……
「大法輪」編集部より、仏教マンガについてのエッセイが大変反響があったので、また書いてほしいとの依頼。で、反響の例にあげられたのが以下のURL。
でも、前期の講義中なので、やるかどうか・・・・躊躇。
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上記記事で、も彼岸寺などと並んで、当ひじる日々の
へのリンクが張られていた。夏目先生「仏教マンガの面白さ」好企画でした。続編もぜひお願いします!
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原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究
森章司先生(東洋大学元教授,中央学術研究所)のグループによる釈尊伝研究プロジェクト「原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究」の膨大な成果が、オンラインで公開された。
これは原始仏教聖典を主な資料として、後世の注釈書文献などを参照しながら、釈尊の生涯(仏伝)と釈尊教団の形成史を明らかにしようとする研究で、宗教法人立正佼成会の一機関である中央学術研究所の事業の一端(委託研究)として行われているものです。
平成4年に始められ、その成果は「『中央学術研究所紀要』モノグラフ篇」として、現在までに13冊が刊行されており、今後も継続して行われますが、このたびこれを電子版として公開することになりました。ただし「資料集」の一部は未だ未完成で、さらに整備する必要がありますのでその公開を見合わせました。いずれはこれらも公開する予定です。研究代表者 森 章司(2009.02.05)
1997年7月から10年以上にわたって刊行されてきた「中央学術研究所紀要」モノグラフ篇『原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究』第1号から13号まで*1の主要部分が、PDFファイルでダウンロードできる。これは初期仏教を学ぶ全ての人々にとって、かけがえのない財産だ。これだけの資料が日本語で読むことができる喜びをかみ締めるとともに、森章司先生の学恩に少しでも報じるために、精進しなくてはと思う。
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〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜
*1:刷り部数が少ないため、一部は古書店で高値をつけていた。
オバマ就任演説の「仏教パッシング」について再び(追記あり)
昨日書いた、アメリカ下院の仏教徒議員(オバマ就任演説における「仏教スルー」を嘆く)に関して、けっこう反響をいただいた。……というより、id:antonianさんとid:Brittyさんの以下の記事のおかげでアクセスが伸びたようである。
両エントリへのブックマーク・コメントも、件のオバマ発言に関するさまざまな受け取り方を垣間見られて面白い。
他のブロガーの記事でも昨日の記事が言及されている。
こういう扱いになっているのは、アメリカで仏教徒の数が少ないというのもあるけど、アメリカ人にとって仏教はここで挙げられている一神教や多神教の宗教とは違い、哲学に近いものとして受けとめられているからではないだろうか。
実際、ドーキンスは神は妄想である―宗教との決別の中でそう書いている(だから仏教は彼の攻撃の対象にはなっていない)。
そもそも初期の仏教では
- (人間社会に介入する)神など存在しない
- ものごとには必ず(神以外の)原因があり、それは人間の行動により変えることができる
と教えていたはずなので、その点で仏教は無神論の一種とみなすことができる。
つまり、このオバマの演説では仏教徒は"non-believers"の中に含まれていると考えられる。ちなみにこれを「無信仰者」と訳すのは不適切で、これは「神の存在を信じない人達」とすべきだろう。
- 作者: リチャード・ドーキンス,垂水雄二
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スピーチの内容を改めて見てみると、スルーじゃなくて、「まとめ」られたと見なすべきだと思ったので。
non-believers に仏教徒を含めたのではないかというのが私の見方。
なるほど、とちょっと納得しかける。もちろん、厳密には仏教で否定しているのは因縁説に反する創造神,絶対神である。生命の次元としての天・梵天は初期経典から認めている。ただ、人が「神を」礼拝するのではなく、「神が」目覚めた人(ブッダ)を礼拝するのだ。
- 作者: アルボムッレスマナサーラ,Alubomulle Sumanasara
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まぁ、それは細かい話だとしても、やはり腑に落ちないところが残る。
私が書いた昨日のエントリのタイトルは、「アメリカ下院の仏教徒議員」である。オバマ云々は副題に留めた。
繰り返しになるが、ハワイ選出メイジー・ヒロノ議員(浄土真宗)とジョージア州選出ハンク・ジョンソン議員(創価学会インターナショナル)は、ともに2006年末の連邦議会選挙で初当選した「民主党」の下院議員だ。二人の当選は、同じ選挙で当選したミネソタ州選出ケイス・エリソン(Keith Ellison)が初のイスラム教徒議員となったことと並んで、アメリカ社会の宗教的多元性が進んだことの象徴として報じられた。
その報道は、当時、上院議員であったオバマ大統領も当然、知っていただろう。であるならばやはり、MuslimとBuddhistというキーワードは、オバマ氏が就任演説で訴えた「我々の多彩な出自は、強みであって弱みではない」というメッセージのなかに、並んで用いられるべきだったのではないかと思うのだ。
うかつなことに昨日の記事を書いてから気づいたのだが、オバマ就任演説での「仏教パッシング」については、1月26日付けで産経新聞のHPに以下のコラムが掲載されていた。
佐藤優氏のラジオ番組での発言に触れたくだり。
その佐藤氏が先日、ラジオ(ニッポン放送「上柳昌彦のお早うGoodDay!」)で、オバマ大統領の就任演説では、次の一節に注意すべきだと語っていた。
「われわれはキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、そして無神論者の国だ」
なんの変哲もない個所だが、「ヒンズー教徒」をさりげなく盛り込み、インドの顔を立てたというのだ。アフガニスタン作戦を成功させるには、インドの協力が不可欠だからで、「オバマは本気だ」と佐藤氏は言う。
佐藤流をまねれば、このくだりで注目すべき点がもうひとつある。「仏教徒」がまったく無視されていることだ。
まさか、聡明(そうめい)な大統領が、ヒンズー教と仏教は同じと認識しているわけではあるまい。それだけ米国では、仏教が控えめな存在なのだろうが、通夜や葬式で念仏を唱える程度の「仏教徒」の私でさえイヤな感じがしたほどだから、米国で布教に力を入れている仏教関係者のショックはいかばかりだろう(世俗のことだから気にしないのかもしれないが)。
ここから先は、筆者の邪推であるが、米国内の仏教徒に目が向いていないように、仏教徒の多い日本にも大統領はあまり関心がないのではないか。
大統領選中のスピーチでも、丈夫な枕になりそうな分厚い著書でも日本については、ほとんど触れていない。
拙著『大アジア思想活劇』でも紹介したが、仏教はアメリカ合衆国において、実に19世紀末から100年以上の伝道布教の歴史がある。なかでも日本仏教のアメリカ布教(当初は日系移民を主な対象として行われた)は、質量ともに群を抜いていた。
- 作者: 佐藤哲朗
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アメリカ連邦議会の下院に、二人の仏教徒議員が誕生したことも、「大東亜戦争」期の中断をはさんだ、長年にわたる日本仏教徒の地道な布教伝道の賜物と言えるのだ。乾氏は「邪推」をあれこれする前に、そういう歴史を踏まえ、ファクトに基づいてオバマ就任演説の瑕疵を論じて欲しかったと思う。
また、拙ブログの記事の以前にも、以下のページでオバマ就任演説と仏教スルーについて言及されていた。
あと、アメリカの宗教系サイトでも多少は話題になっているようだ。
オバマ就任演説と仏教スルーの件、もうすぐヒラリーさんが来日するみたいなので、誰か質問してみてくれないかしら。
追記:この問題については、アメリカ現地で取材を続けている菅谷洋司氏写真の広場−グローバルフォトエクスチェンジ情報室の記事にも注目したい。
やはり、単に忘れたとかアジア軽視とかいうよりは、中国を意識したチベット問題への配慮の線が濃いのではないか、という推測になっている。続報まだ〜?
オバマ自身がまだ演説そのものについて言及していないので、少年探偵団のように数少ない事実から推理していくしかない。
メインストリームメディアが早く、記者会見で正してほしいと思う。
もっともだ。まさかヒロノ議員とジョンソン議員が念仏と法華の宗論はじめて収集がつかなくなった、なんてことはないだろうしね(笑)。
※あらためて詳しく検索してみたら「仏教(サタン)」呼ばわりしているゆんゆんクリスチャンのページなど引っかかって、どっと疲れた……。そういう類と一緒にされるくらいなら、無信仰の人たち(non-believers)でいいですよ、私も、はい。
あ、Yahoo!知恵袋にも……
追記:長くなりすぎたので、エントリを分けた。こちらもどうぞ。
〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜