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『仏陀再誕』はやっぱりあり得ない(「天上天下唯我独尊」の続きとは?)


お彼岸ですね。


日本では、お釈迦さまがインドのルンビニーでお生まれになったとき、七歩あるいて「天上天下唯我独尊」*1と宣言した、というエピソードがよく知られています。


しかし、この釈尊誕生時のことばには、実は大切な続きがあることをご存知でしょうか?


『希有未曾有法経』(パーリ中部123)という古いお経があります。この世で仏陀となる菩薩が出生する際に現れる、17の奇跡的な瑞祥(希有未曾有法)を列挙した経典です。


この17項目はほとんどが神秘的な内容ですが、その一つに、

菩薩は生まれるとただちに完全な両足をもって大地にしっかりと立ち、北に向かって七歩、交互に進み、白傘がさし掛けられると、あらゆる方角を眺める。そして、<私は世界の第一人者である、私は世界の最年長者である、私は世界の最勝者である、これは最後の生まれである、もはや二度と生存はない>と堂々たる言葉を語る。*2


とあります。これが初期仏教経典における「天上天下唯我独尊」の出典なのです。*3


釈尊が生まれた直後に言葉を発したという神話的記述をどう捉えるかは別として、ここではお釈迦さまにまつわるこの伝承が何を言わんとしているのか、ということに注目したいと思います。

私は世界の第一人者である、私は世界の最年長者である、私は世界の最勝者である
aggohamasmi lokassa, jeṭṭhohamasmi lokassa, seṭṭhohamasmi lokassa(パーリ原文)


とは、漢訳仏典で「天上天下唯我独尊」とまとめられている言葉です。われ一人のみが、「輪廻からの解脱」という目標の最終地点に立っている、という宣言です。その意味において、釈尊は確かに「世界の第一人者、世界の最年長者、世界の最勝者」と述べる資格を持つ方だったのです。


そしてもっと重要なのは、日本では省略されてしまっている後半部です。*4

これは最後の生まれである、もはや二度と生存はない
Ayamantimā jāti natthi dāni punabbhavo(パーリ原文)


2009-09-09「仏陀は再誕しない」でも指摘しましたが、仏陀になったら、もう決して生まれ変わらないのです。決して「再誕」しません。


だからこそ、菩薩として最後の生を受けた直後、釈尊は「これは最後の生まれである、もはや二度と生存はない」と宣言したと伝えられているのです。


このお釈迦さまの教えが人々の間に染み込んでいる間は、『仏陀再誕』などという世迷言がはびこることがありませんでした。


2009-09-16「なぜ『仏陀再誕』という言説が成り立つのか(法身思想と日本宗教)」で触れたように、大乗仏教思想がエスカレートするとブッダはヒンドゥー教の神とほとんど同義語になってしまいます。


それでも、「これは最後の生まれである、もはや二度と生存はない」と生まれた直後にわざわざ言明した釈迦牟尼仏陀の「再誕」を自称するような宗教家が現れる余地は、最近まで日本には存在しなかったのです。


『仏陀再誕』をかたる宗教家が発生したことは、明治初年にはじまる廃仏毀釈(近代日本の仏教破壊活動)の輝かしい成果と言ってもいいかもしれません。私たちは仏教の基礎知識に関しては、ご先祖様よりはるかにバカで愚か者になっています。


そういうバカで愚か者のなかから、新しい宗教をつくろうと妄想する輩が頻出しているのが現代です。


考えてみてください。もしもお釈迦さまが「再誕」するというならば、釈尊は生まれてから死ぬまで、ずーっと虚偽をかたり続けたことになります。二千五百年の仏教の歴史は、まるごと「釈尊という詐欺師」に謀られた歴史になるのです。


二千五百年前に生まれたとたんに嘘をついた人が、また生まれ変わって何かを言ったとして、そんな嘘吐きの言葉に耳を傾ける必要はあるでしょうか? 何度も騙されるなんて、バカみたいじゃないですか?


しかし、もしお釈迦さまが二千五百年前に虚偽を語ったのではないとすれば(ほとんどの人はそう考えると思います)、嘘をついているのは『仏陀再誕』をかたる現代の宗教家だろう、という推測が成り立ちます。


これは、二つに一つです。どちらかが嘘をついている、或いは、とんでもない勘違いをしているのです。


釈尊の開かれた仏教が信用に足る教えだといえるのは、歴史上の仏陀(お釈迦さま)の言葉が正しいと信頼する場合のみです。仏陀が「再誕」するならば、釈尊は生まれてから死ぬまで嘘をつきとおしたことになります。二千五百年前に嘘をついて多くの人々を騙した御仁が、再度生まれ変わって何かを述べたとしても、信用できるとは言いがたいからです。


結論。


釈尊に始まる仏教と、『仏陀再誕』の宗教は、決して両立しません。


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*1:出典は義浄訳「根本説一切有部毘奈耶雑事」大正蔵No.1451

*2:引用は片山一良・訳『中部(マッジマニカーヤ)後分五十経篇〈1〉』大蔵出版[asin:4804312056]より

*3:他には『大本経』(パーリ長部14)にヴィパッシー仏の事跡として同じリストが出てくる

*4:根本説一切有部毘奈耶雜事では、「此即是我最後生身 天上天下唯我獨尊」と倒置した訳になっている。正確には前半部が省略されたと謂うべきか