初期大乗仏教を支えた「他方仏土」の実在感

に対して、id:ragarajaさんが速攻でエントリを挙げている。私の大乗経典の読み方は間違っているというのだ。はて?どういうことだろう。

それのどこが観世音菩薩が法の化身という方便でしかないということを否定するのですか?
「他方の仏土」というのはこの世ならぬ仏の世界って意味ですよ?
人間でなく法の化身としてあると書いてるに他なりません。
阿弥陀仏が西方にあると信じられた死後の世界、すなわち極楽浄土を司ると考えられたようなもんです。
ほんとうに読解力が無い。
『大智度論』なんて和訳もネットでいくらでも見れるでしょう。みなさんもぜひ読んでみてくださいな。
単に彼が大乗否定のバイアスで曲解してるだけですよ。
「仏土より来る」という意味くらい分かってから大乗語ってください。
仏土というのも民俗的なものとしてあった信仰ですが、結局のところ、この世とは違った仏の世界があって、そこを憧憬する思想です。
仏法の化身として観自在があるという意味に他なりません。
これを読んで観自在が通常の人間のようなものとして考えられていると捉えるというのは、あまりにもどうかしてるでしょう。

果たしてそうだろうか?『大智度論』の国訳・現代語訳は、一部分だが以下のサイトで読める。

同サイトで大智度初品中佛土願釋論第十三を読んでみよう。ページの下方「(6)菩薩の名を明かす。」が該当箇所だ。現代語訳の部分だけ抜いてみる。(改行は適宜、削除した。

その名を跋陀婆羅(ばつだばら)菩薩(善守と訳す)、剌那伽羅(らながら)菩薩(宝積と訳す)、導師(どうし)菩薩、那羅達(ならだつ)菩薩、星得(しょうとく)菩薩、水天(すいてん)菩薩、主天(しゅてん)菩薩、大意(だいい)菩薩、益意(やくい)菩薩、増意(ぞうい)菩薩、不虚見(ふこけん)菩薩、善進(ぜんしん)菩薩、勢勝(せいしょう)菩薩、常勤(じょうごん)菩薩、不捨精進(ふしゃしょうじん)菩薩、日蔵(にちぞう)菩薩、不欠(ふけつ)菩薩、観世音(かんぜおん)菩薩、文殊師利(もんじゅしり)菩薩(妙徳と訳す)、執宝印(しゅほういん)菩薩、常挙手(じょうこしゅ)菩薩、弥勒(みろく)菩薩という。

このような、無量千万億那由他(なゆた、十億)の諸の菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ、大菩薩)は、皆補処(ふしょ、仏の空位を補う、次に仏と成る菩薩)であり、仏の位を受け継ぐ者である。

このような諸の菩薩が、仏と共に、王舎城(おうしゃじょう、国名)の耆闍崛山(ぎじゃくっせん、山名)の中に住(とど)まられていました。

問い、このような菩薩衆は、もっと多くいたはずです。何故、ただ二十二菩薩の名のみを、説くのですか?

答え、諸の菩薩は、無量千万億です。説いて尽くすことはできません。もし、都(すべ)てを説こうとしても、文字で表すことの、できないことなのです。

また次に、この中には二種の菩薩がいます。居家(こけ、在家)と出家です。 善守(ぜんしゅ)菩薩等の、十六名は居家の菩薩です。跋陀婆羅(ばつばだら)居士(こじ、在家の仏弟子)菩薩は、王舎城の旧家の人です。宝積(ほうしゃく)王子菩薩は、毘耶離国(びやりこく、国名)の人です。星得(しょうとく)長者子(ちょうじゃし、長者の子)菩薩は、瞻婆国(せんばこく、国名)の人です。導師(どうし)居士菩薩は、舎婆提国(しゃばだいこく、国名)の人です。那羅達(ならばつ)婆羅門菩薩は、弥梯羅国(みていらこく、国名)の人です。

水天(すいてん)優婆塞(うばそく、在俗の奉仕者)菩薩と慈氏(じし、弥勒菩薩)と妙徳(みょうとく、文殊)菩薩等は、出家の菩薩です。

観世音菩薩等は、他方の仏土より、来た菩薩です。

居家を説くことは、一切の居家の菩薩を摂します。
出家と、他方についても、同じです。

問い、善守菩薩には、何か殊勝(しゅしょう、勝れた)のことが有るので、最も前に、説くのですか?
もし、最も偉大な者を、前とするならば、遍吉(へんきち、普賢)、観世音、得大勢(とくだいせい、勢至)菩薩等を説かなくてはなりません。
もし、最も卑小な者が、前とするならば、肉身の、初発意(しょほつい、初めて菩提心を発すこと)の菩薩等を説かなくてはなりません。

答え、大でも小でもありません。 善守菩薩は王舎城の旧家の人で、白衣(びゃくえ、俗人)の菩薩の中で、最も偉大です。

仏は、王舎城で、般若波羅蜜を、説こうとされているので、最も前に、在ります。また次に、この善守菩薩は、無量の種々の功徳(くどく、善を行う力)が有り、般舟三昧(はんじゅうさんまい、仏を目前に見る三昧)に入ると、仏は、自ら前に現れて、その功徳を讃えられます。

問い、弥勒菩薩が、補処(ふしょ、位を紹ぐこと)の菩薩です。諸余の菩薩を、何故尊位を紹ぐ者と言うのですか?

答え、この諸の菩薩は、十方の仏土に於いて、皆、仏の位を紹ぎます。

というわけで、菩薩の出身地を解説する文脈で、観世音菩薩以下の菩薩が紹介されていることは明らかだ。「他方」はそれだけで「他方の仏国」を指す用例もある。「他方」を象徴的に理解するのは、経典の合理主義的な再解釈としてはあり得ても、もともとの経典の文脈からは成り立たない。「観世音菩薩が法の化身という方便でしかない」というid:ragarajaさんの見解は残念ながら否定されなければならない。

以下、少し私見も述べておこう。

『大智度論』著者は、「他方の仏土」から飛来する超人的な能力を持つ菩薩が実在すると信じていた、と仮定しても、それはちっともおかしなことではない。人並はずれた菩薩の超能力もまた、何劫にもわたる厳しい波羅蜜修行の賜物である。救済者であり信仰の対象であるところの諸菩薩は、固い誓願をもって途方もない輪廻を波羅蜜修行に捧げ、それによって超人的な能力を手に入れた大乗菩薩道の修行者・実践者なのである。それはアジアの大乗仏教文化圏において、長年にわたって共有されてきた常識である。

決して、『大智度論』の著者が迷信深かったということではないのだ。初期仏教のテキストにおいても、いわゆる超能力に類した「神通」が瞑想修行の副産物として現れることは明記されていた。釈尊自身も布教の最初期にはカッサパ三兄弟との神通合戦を行っている(パーリ律蔵大品)。経典では五道(後の六道)輪廻の境涯の一つとして天界が設定されており、経典には釈尊と帝釈天や梵天との対話も頻繁に現れている。餓鬼という名のいわゆる「霊の世界」も設けられていて、教学的な位置づけをもっていた。実際にそれらの存在と接触した比丘は少なかったにせよ、釈尊の言い伝えたる阿含・ニカーヤや律蔵のエピソードを通じて、霊的存在や神々を含む生命観、いわゆる超能力の実在は、仏教徒にとっては何の不思議もない常識の類であった。

部派仏教の教学が複雑化すると、「一世界一仏」の原則を崩す「多世界多仏」という思想が顔をのぞかせるようになる。これはある教義体系が社会に浸透していく過程で、時空認識が拡張してゆく自然な流れということもできよう。その思想はのちに「十方に遍満する仏」という具合に変質し、「この世」との緊張感を喪失した汎神論に回収されてしまいがちになる。しかし、他の世界のブッダたちとの接触は、大乗仏教黎明期に、一部の修行者の間で真剣に試みられていたのである(後述)。

このような前提を踏まえれば、「観世音菩薩等は、他方の仏土より来れり。」という言説がもっぱら象徴的な解釈をされるようになるのは、大乗仏教が中国に根を下ろし、その世界認識が世俗主義的な方向に変質していく過程の話であろう。*1龍樹とされる般若経典群の創作者たちも、『大智度論』作者も、現代人と同じような唯物的世界観を共有していたわけでは決してない。仏教は合理主義的な思想であるが、「理」のフレームは現代人と違ったのである。

以下、「他方の仏土」というキーワードについてもう少し踏み込んだ研究を紹介したい。「仏土」なる述語の概念の発生と展開に関して、インターネット上で公開されている宮下晴輝氏(大谷大学)の研究論文ページ、2003.10 「大乗経典における般涅槃の概念の展開」 、2005.2 「仏土に生まれる」 (ともにPDFファイル)がたいへん参考になる。

 仏教の新たな課題の展開を「大乗」と宣言したのは<般若経>である。したがって、それ以前に成立した大乗経典というものは、厳密には存在しないことになる。<般若経>以前の『大阿弥陀経』などをも含めたいわゆる「大乗経典」は、「大乗」という以外に、それらをどのように特徴づけることができるのか。
 まずは外在的な特徴として、阿含経典ではないということである。というのは、阿含経典は、どのような部派に伝承されたものであるにせよ、必ず結集伝承のもとに成立しているものといわなければならない。結集伝承とは、どこまでが仏陀釈尊の教説であるのかを確認するものである。仏陀釈尊によって説かれた教説であり制定された戒律であると伝承されたものではないものが、その伝承の中のものであると主張されるならば、再び結集がなされねばならないはずである。それは第二結集といわれるものであった。それ以降には、道理として、結集が成立しようがない。それぞれの部派内的な結集伝承によって阿含経典が伝持されてきたのであろう。そして、いわゆる「大乗経典」は、その結集伝承の外部に出現したものと考えなければならない。伝承の外部というのは、必ずしも空間的な外部を意味するのではない。阿含経典に属するものでないことを露呈したままで、いわゆる「大乗経典」が創出されたと考えなければならない。
 そうであるならば、この新たな経典は、「仏陀の言葉」を説き伝えるものであることをどうして保証することができたのであろうか。もちろんこの問いは、先に見たような阿含経典の一部に対しても向けられねばならないものである。しかし、阿含経典の個々の教説の成立の経緯がいかなるものであったにせよ、それらはすべて結集伝承の内部にあるものである。
 結集伝承の外部に「仏陀の教説」としての経典が新たに成立するということが、いったいどうして可能となるのか。経典とは、仏陀に出会ったものが聞き取った仏陀の教説である。したがって、経典の成立を可能にするものは「仏陀との出会い」なのである。とするならば、そのような「仏陀との出会い」を意味する事態が、結集伝承の外部に新たに起こったのでなければならない。
仏土に生まれる ―大乗経典端緒の文脈― 宮下晴輝

仏教とジャイナ教―長崎法潤博士古稀記念論集

仏教とジャイナ教―長崎法潤博士古稀記念論集

↑こちらに収録。

「他方の仏土」とは、釈迦牟尼世尊が誕生したこの「仏土」の外にある、他のブッダが出現している他の世界のことだ。それはただの想像の産物でも「寓話」でのなく、苦行を伴う激しい瞑想修行(『般舟三昧経』などに説かれる)で感得された、実在感を備えた信仰対象であった。「他方仏土」から救済の手を差し伸べようとする諸仏諸菩薩は、部派仏教が作りだした精緻な体系を食い破り、一部の仏教徒を「阿含・ニカーヤの外」へと誘い出してしまうほどの強い実在感を備えていたのである。それはまさに新しい「仏陀との出会い」と呼ぶに相応しいものだったろう。実際にブッダと出会えた人々は極少数だったとしても、「他方の仏土」の存在は経典の流布という形で広まっていった。その結果、「阿含・ニカーヤの外」に新しい仏教が誕生したのである。

伝統仏教の立場から見れば、それは実在した「正等覚者の教え」からの愚かしい逸脱に他ならなかったにせよ。

宗教運動の勃興期に、強烈な実在感(それが瞑想によって感得されたビジョンであれ)を持っていた信仰対象が、信仰を支える諸条件の変化とともに象徴的な存在へと棚上げされてしまうことは、宗教史を紐解けばいくらでも事例を挙げることができる。そのような実在感の喪失を埋める形而上学の発達も、大乗仏教ほどではないにせよ世界の宗教に普遍的に見られる現象だ。

id:ragarajaさんの「他方の仏土」解釈は、大乗仏教が誕生した、まさにその原初の衝動(サンカーラ)を等閑視しているのではないか。

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〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

*1:ただ実際は観音菩薩は東アジアで無敵にスーパーヒーローになって現在に至るわけでもちっと丁寧な説明が必要だと我ながら思う。