釋興然略伝(「住職のひとりごと」より)
『アビダンマ』3巻「心所の分析」原稿作成がようやく終わった。引き続き他の仕事をされているスマナサーラ長老に心で礼。アビダンマッタサンガハ心所(cetasika)編解説を面と向かってびっちり口述筆記。これ以上ない贅沢な時間ではあったけど、いつまでも続けるわけにもいかない。正直ホッとした。これで何とか3月中の刊行なるか?
さて、備後國分寺住職を務める全雄師が、日本初のテーラワーダ仏教僧侶、釈興然(しゃくこうねん)の略伝を中外日報「『近代の肖像』危機を拓く」に寄稿された。ご自身のブログ「住職のひとりごと」に転載されている。興然については拙著『大アジア思想活劇 仏教が結んだもうひとつの仏教史』でも詳しく紹介したが、師であり叔父でもある釈雲照とともに、日本仏教史において特別な意味を持つ人物のひとりである。
- 釋興然(1) 略伝 中外日報3月6日付『近代の肖像』危機を拓く第106回
釋興然師(一八四九-一九二四)は、混迷する仏教界から一人セイロンに渡航し、日本人として初めて南方上座仏教の比丘となった人である。
(中略)
興然は、セイロン南部の港町ゴール近郊カタルーワ村のランウエルレー・ヴィハーラで南方仏教の沙弥としてパーリ語の学習と仏道修行を開始。一年余り後にはコロンボのシャム派最大の寺院ウィドヨーダヤ・ピリウエナ・ヴィハーラのヒッカドゥエ・スマンガラ大長老のもとに修学の場を移した。そして、渡航五年目の明治二十三年六月、遂に興然は、キャンディのシャム派総本山マルワトゥ・ヴィハーラでスマンガラ大長老より具足戒(パーリ律二二七戒)を授けられた。興然グラナタナ比丘四十一歳。ここに日本人で初めて、南方上座仏教の比丘が誕生した。
(後略)
釈興然の伝記については、拙稿「釈興然 〜日本に上座部仏教を伝えた留学僧」(1),(2)も併せてご覧いただきたい。ちなみに、僕も99,100回で野口復堂を紹介させてもらった中外日報『近代の肖像』(総目次はこちら)続く101,102回では吉永進一先生が平井金三を取り上げているんである。そんで、このシリーズ32回までを担当されたのは、東洋大時代の恩師のひとり、田村晃祐先生なんである。こんなところで田村先生のお仕事の末席に連なれるとは……。ちょっと感激だなぁ。
〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜