上座部仏教(テーラワーダ)は「品質保証済み」

サンフランシスコで「極楽スピリチュアル・ライフ」を送っている方(ヴィパッサナーも習っているそうです)のブログ『SabalaのFrisco Freak』の記事(August 18, 2006 仏教よお前もか)にコメントを寄稿した。

「大乗」といって伝統仏教をバカにするのは「肝っ玉が小さくないかい?」とゆー素朴で尤もな違和感に対して、ある人が「やっぱり大乗は大きな乗り物。上座部では女性は成仏(死人になるという日本的な解釈ではなく、文字通り仏になるという意味)できないし」とゆーコメントした人がいた。それでブログ著者が「ヴィパサナでは男女差別がないのだと教わったのですが、きっとアメリカ人の誤解なのでしょう。」と変な納得をしそうになったので、しゃしゃり出たわけ。

われながら上手に書けたと思うので、個人名は削除して転載。

こんにちは。
OOさんのご意見ですが、ちょっと誤解を招くかも。
大乗仏教では「成仏(ブッダになる)」を重視しますが、上座部仏教では四沙門果という「ブッダの教えによって悟りをひらく」ことを重視します。
でもって、悟りを得る上で男女の差別は成り立たないと、ブッダは断言しています。

「ブッダは男性の身体で生まれる」と経典にちらっと出てきますが、そもそもブッダは滅多な事で現れる存在でない(宇宙がひとつ生滅する間にやっと一人現れる)ことは初期の仏教の前提です。

大乗仏教になるとブッダになることが修行の目的、という考え方が広まって、一種の「ブッダのインフレ」が起こるので話がややこしくなります。新興勢力なので伝統派との違いも出したかったのでしょう。

でもいづれにせよ、「修行して悟りをひらくことに男女の差別はない」というのは仏教の大前提。別に上座部が狹くて大乗が広い乗り物というわけではなく、言葉の定義がすれ違っているだけ。++さんの先生が言葉も、上座部の立場からは正しいのです。

ちなみに上座部の「上座」とはThera・長老というのがもとの意味です。ブッダの教えに従って修行を積んで悟りをひらいたお坊様による教えということです。「品質保証済み」ということですね。:-)

では、お幸せでありますように。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜