傍観者の時代/君あり、故に我あり

今週末の21日(日)に江戸川区総合文化センターで開かれるスマナサーラ長老の『東京国立博物館開催 特別展「スリランカ 輝く島の美に出会う」記念講演』がらみの所要で新小岩へ。行き帰り『パーリ語佛教辞典』を眺めたり、イブン=ハルドゥーン『歴史序説』を斜め読みしたり(アラビア語の固有名詞わからなすぎて辛い……)。

マイブームはほぼ収束したのだが、9月初旬にやけに読んでいたのがピーター・ドラッカー。大著『マネジメント』はまだ未踏だが、チャーチルに絶賛された出世作『「経済人」の終わり 全体主義はなぜ生まれたか』と、彼が青春時代をすごした第一次世界大戦から第二次世界大戦までの「戦間期」に邂逅した有名・無名の人々のエピソードを通して、失われた時代の空気を描き出した『傍観者の時代』は特に面白く読めた。とりわけ『傍観者の時代』冒頭でつづられる祖母(おばあちゃん)のエピソードは、全文書写したくなるくらいの名文。まじめな話、教科書に載せたほうがいい。

ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり

ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり

ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり (ドラッカー名著集 9)P・F・ドラッカー/ダイヤモンド社

ドラッカー名著集12 傍観者の時代 (ドラッカー名著集 12)

ドラッカー名著集12 傍観者の時代 (ドラッカー名著集 12)

ドラッカー名著集12 傍観者の時代 (ドラッカー名著集 12)P・F・ドラッカー/ダイヤモンド社

ドラッカーのお婆ちゃんネタに匹敵するのは、Tさんに以前借りたサティシュ・クマールの自伝『君あり、故に我あり―依存の宣言』に描かれた母親(おかあちゃん)の話だ。敬虔なジャイナ教徒であった母が子供時代のサティシュ・クマールに語りかける一言一言は宝石のように美しくて、他者との関係すなわち生きること、という哲学に貫かれた一切衆生への感謝と畏敬の念に満ちていて、これまた教科書に載せたほうがよい名文。通して読むと、ジャイナ教の僧侶を止めて還俗したクマールが世界中を放浪して「偉い人に勝手に会いに行く」後半の展開が少々鼻につきはじめるのだが、冒頭のお母ちゃんのエピソードは、掛け値なしにいい。その次にヒンドゥー教のサドゥーが出てくると、とたんに胡散臭くなるんだな、これが。

君あり、故に我あり (講談社学術文庫)

君あり、故に我あり (講談社学術文庫)

君あり、故に我あり―依存の宣言 (講談社学術文庫)サティシュ クマール

母といえば、スマナサーラ長老の御母堂のエピソードにも、印象深いものがいくつもある。いたずら心で弟と小鳥を取る罠を仕掛けたときの一喝、障害を持った物乞いを家に迎えた時の戒め、など本で読んだことのある人も多いだろう。

〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜