みたままつり雜感

16日、靖國神社みたままつりに行ってきた。今年もたいへん盛況でした。

靖国神社奉賛派の人々は、『いわゆるA級戦犯』(ISBN:4344011910)が昭和殉難者であって、靖國に祀られるべきであって、もう合祀しちゃったんだから分祀なんて出来ない、と突っぱねつつ、政府に靖国公式参拝や国家護持を求めている。これが「わがまま」の域を出ないことは、『靖国問題の原点』ISBN:4535584532)で三土修平氏が詳説しているとおりだ。国家護持云々は別として、靖国神社が対立を乗り越えた普遍的な祈りの場として永続しようとするのであれば、「鎮霊社」に祀られている朝敵や世界中の戦没者も合祀すべきではないのか? 合祀すればもはや、世界の戦没者はひとつの「みたま」である。そのことに何の不都合があろうか? それまでの戦争被害の概念を越える未曾有の災難を受けた東京大空襲や沖縄戦や広島・長崎原爆の被害者が、「いわゆるA級戦犯」とひきくらべて、「昭和殉難者」の資格に欠けると言える人は一人もいないだろう。すでに大東亜戦争の敗戦から60年以上を経た今、日本が立ち返るべき、誇るべき霊的伝統はやはり仏教の「怨親平等」ではなかろうか。ことさらに敵・味方を分かつことで内外の緊張を保とうという下心を捨て、「問題を解決しよう」という意図を持つならば、「怨親平等」の祈りに立ち返るしか、「解決策」はないだろう。本当の「問題」は、靖国問題によって利益を得ている人々が左右を問わず数多くいることかもしれない。人間は対立すること、差別することが大好きなのだ。

〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜