法話の速記

今日はゴータミー精舎でスマナサーラ長老のヴィパッサナー瞑想と法話の会。前世紀末、ゴー宣のコミュニティに出入りしてた頃からの知人(北海道在住。新婚)がご夫婦で、あとgaikichiさんも精舎を訪ねて、法話会にも参加してくれました。たまたまノートPCでメモ取りながら聞いたので、質疑応答の模様をゴータミー精舎日記の方にアップしました。ちなみに時間押し気味だった法話会は、gaikichiさんの時宜に適った?一言で、いいタイミングでもってお開きになりました。夕方の初心者指導もたいへん盛況で、充実した一日でした。

Q:生きていることに意味がない という言葉の解釈について。

A:生きていることに意味がないことは真理です。事実。あれこれ解釈はできない。これは真理の世界の事実。これは「何のために生きているのか?」という問いへの答えなんです。
「死んでないから生きている」だけ。それ以上考えられない事実。
「無駄」というのは過去への評価。結果がなかったでしょ。生きることは無駄ではない。意味がないだけ。意味がないというところで、瞬間瞬間意味があるように人生を転換すること。妄想するとまったく違う意味の単語を同じように扱ってしまう。それが危険です。
 子供と遊ぶこと。子供の遊びに意味はない。でも無駄ですか?無駄ではない。
 何か目的があって生まれた、というストレスを感じる必要がない。
 大乗仏教には、「私たちは衆生を救うために生まれた」という思想があるそうです。でも、そんなこと信じちゃうと、とんでもないストレスを感じる。ただの人間に「衆生を救う」なんて出来るの? イエス様にもできないことなのに。やっと仕事して家族を養っている人に、どうやってできるの? ……続きはこちら

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜