誰かを食いものにしていないか
JMM No.340 Monday Edition 2005年9月12日
====質問:村上龍============================================================
Q:627
総選挙の争点である郵政民営化は、「アメリカ政府の要望」でもあり、民営化されたら「郵貯・簡保の国民の資産がハゲタカファンドに代表される外資系金融機関に食いものにされる」というようなことを言う人がいます。事実なのでしょうか。(中略)
■ 北野一 :三菱証券 エクィティリサーチ部チーフストラテジスト
「外国人に食いものにされる」といった懸念を口にされる方は確かに多いですね。ただ、逆に、「我々が外資として、外国人を食いものにしているのではないか」という話はあまり聞きません。
因みに、過去1年間の日本の対内外直接投資をみると、対外直接投資が3兆8269億円、対内直接投資は7820億円ですから、日本人の外国買いは、外国人の日本買いの約5倍にのぼっております。単純に考えると、「食いものにされる」の5倍近く「食いものにしている」という話があっても不思議ではありません。
日本の一部メディアは、過去の侵略戦争に対しては加害者意識を持っているようですが、現在進行形の話に関しては、「強者としての加害者意識」よりも、「弱者としての被害者意識」を強く押し出してくるように思われます。これが、どういう心理の反映なのかよく分かりません。
ひょっとすると、我々自身、自覚のないままに、「強者として弱者を日々食いものにしている」ことが、いずれは「自分も弱者として強者から食いものにされる」という強迫観念の格好で表れているのかもしれません。「被害妄想」というのは、実は「加害実績」の裏返しではないか、ということです。
日本には「旅の恥は掻き捨て」という言葉があるように、特に、他所の土地で、あるいはよそ者に対して、恥知らずな行動に出る危険性が高いのかもしれません。そういう自分の残虐性に深いところで気付いているから、いずれ仕返しされるといつも恐れ慄いているのではないでしょうか。
実際、日本の金融商品の中には、「お前、それ自分の親に売れるのか?」というものも結構ありますし、「食いものにしている」ということなら、多くのお年寄りがリフォーム詐欺の食いものにされました。郵便貯金だって、これまで日本人の手によって食いものにされてきたといえるかもしれません。外国人に食いものにされるまでもなく、日本人が、他の日本人を食いものにしていることなんていくらでもあります。おそらく、日本人が外国人を食いものにしていることだってあるでしょう。
私は、外国で、どの程度、「食いものにされる」という議論が行われているのか知りませんから比較は出来ませんが、「誰かに食いものにされる」という話が多く出る社会というのは、逆に、「誰かを食いものにしている」ことの多い社会なのではないか、という気がします。「食いものにされる」と騒ぐ前に、「誰かを食いものにしている」かもしれない自分を顧みる必要があるように思います。
三菱証券 エクィティリサーチ部チーフストラテジスト:北野一
選挙については何度か書いたけど、郵政改革については特に触れてきませんでした。
郵政民営化の是非はともかく、政権交代しないとダメだろ、という立場でしたので。
先ほど届いたメルマガにあった、上の記事は秀逸でした(基本的に他のすべての論者も「外資陰謀論」を退けていますが…)。北野さんが仰っているように、他を疑いの目で見るよりもまず、自分の姿を顧みること。これは間違いありません。こういう仏教的アプローチを本気でやるならば、日本はすごい国になると思います。…かといって僕は「(いまの法案のまま)郵政民営化すべし」という意見ではありません。にわかに情報を集めてみたら、「いまのまま進めることには慎重になった方がいいんじゃないか」という印象を受けた、という程度です。世間話はきりがないので、このへんで。
開票速報オフ
11日は天候も不安定でしたが早々に投票を済ませて、夜は友人と開票速報にかこつけて一席設けました。居間では午後8時から自民圧勝とのアナウンスが流れ、新聞各紙による事前の世論調査で報道された(誘導された?)以上の結果となりました。
僕は選挙区も比例も民主党に入れたんだけど、東京では小選挙区は菅直人以外は全敗。幡ヶ谷エリアの選挙区の民主党現職も辛うじて比例で復活という次第でした。しかし得票数ではさほど差がないのに議席にこれだけ差が出てしまうというのは、小選挙区制の恐ろしさですね。
僕のまわりでも、これまで民主支持だったけれど「このままでは何一つ改革が進まないから」ということで、今回は自民に一票を投じたという人がいました。その人はテレビを主な情報源にしていて、小泉自民党のYES/NO戦略に乗ったようでした。「改革を止めるな」なるスローガンは単純なYES/NOに還元されて、言葉の内実を問おうとする人間の理性・批判精神を奪ってしまう。きっと、「尊皇攘夷」や「廃仏毀釈」近くは「聖戦完遂」のときもこんな感じだったのでしょう。
そいえば民主党は「政権とったら比例定数を80削減する」とか息巻いていましたが、そんなことをしたら、小泉首相のようなポピュリズム的な政治手法によって、現在よりさらに息苦しい、大政翼賛会的な状況が容易に現出してしまうでしょう。いきなり中選挙区に戻すのは難しいにせよ、重複立候補に一定の歯止めをかけたうえで、小選挙区300比例200くらいのバランスを維持しておかないと、本当にマズイのではないかと思いました。
選挙中、リベラル系の人気ブログ「世に倦む日々」で「共産党は小選挙区票を民主党に流せ−社民と共産は合同せよ」という論説が出されて話題になっていました。また、民主党を支援する官公労関係者による「きょうも歩く」の選挙後雑感でも、「民主+共産の半分の票があるだけで相当の選挙区で逆転できた。自民党を退治することができた。」と指摘されています。しかし、これは民主党が純粋な二大政党制にこだわって少数政党を目の敵にする政策を主張する限り難しいのではないかと思います(それにしても供託金没収にも関わらず復活当選したことで散々言われた社民党の保坂展人が、こんどは自民党比例票の「おこぼれ」で当選したのには微笑を禁じえませんでした。なんだか知らんけどそういう業なのでしょうね)。
これは日本の外交にも言えることですが、自分から譲ることで大人の貫禄を見せる、という姿勢を今後の民主党には求めたいものです。若き共産党活動家のともえさんが訴えているように、高偏差値集団で根強い支持層のある共産党が、分相応の発言力を確保できるようなシステムを、民主党が「強者の余裕」として担保してあげないと、けっきょくみんな我を出して野党というパイの食い合いに終始してしまうでしょう。議席では惨敗したにせよ、小泉「改革」への異議申し立ては決して取るに足らない少数派ではなかったわけで、日本が新自由主義の跋扈する下品な国家に成り下がらないため、叡智を結集していくべきだと思います。
とりあえず、個人献金でもするかな。
ここからはホントに雑談。後出しで考えたことだけど、国民新党と新党日本がそれぞれ「郵政新党」「新党改革」とでも名づけていれば、小泉首相も演説で「改革」とか「郵政」とか連呼できなくなって、その分政策論争できたんじゃないでしょうか。後からは何とでもいえますが…。あと選挙特番ではテレビ東京(TX系)の政局再現ドラマは、なかなか熱が入っていて面白かったです。
〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜