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仏教マンガとしてのジョージ秋山『アシュラ』

ジョージ秋山アシュラ』小学校の時に床屋で読んで衝撃受けて以来の再読。下巻に出てくるこの和尚さんのセリフ、原始脳(ケモノの脳)の克服を説く最近のスマナサーラ長老に通じるものがあるなぁ。

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飢餓に苦しむ荒廃した中世社会を舞台に、人肉を食らいながら生きてきた孤児アシュラが人間と獣のあいだを行き来しながら慟哭する陰鬱な堂々巡りが前後編とおして続くんですけど、番外の「完結編」では、あっさり出家して終わるんですね。これ、中世的な説教節なんかの文脈では正しい終わり方。それまでどんな俗世の不条理劇が繰り広げられても、最終的には出家して俗世を離れ、救済されるというね。アシュラは人肉食や殺人を繰り返しても、五逆罪は犯していない(父母や聖者は殺していない)ので、その資格があるんです。ちなみにアシュラの父親は、散所大夫(山椒大夫)です。

でも、そういう中世~近世的な物語コードでカタルシスを得られないほどにはジョージ秋山は近代人なので、完結篇は物語の外に添えるしかなかった。作家本人としても、迷走を続けているようです。完結篇のあとのおまけマンガ「アシュラくん」は、《神は死んでもアシュラは生きる》という現代的なメッセージがなかなか秀逸だと思いましたけど。

玄奘三蔵がなぜか有髪で長安の街をうろうろしてる話とか、最澄がマザコンで女の衣をスーハ―してるとか、最近はそんな「仏教マンガ」ばっか読んでた(それはそれで面白いです)ので、『アシュラ』のガチっぷりには感動しました。

おのれの獣性とたたかえ!という『アシュラ』の和尚さんのメッセージは、近世の戦国時代をかいくぐって仏法を説いた鈴木正三の二王禅(仁王禅)にも通じるものがあると思いました。正三は、仏像とくに憤怒像の面魂を自らに写し取ることで、おのれの獣性や餓鬼性を克服するという方便を説いた(んだと思います)。

日本仏教でよく言われる一切衆生悉有仏性というのは、すべての生命は「この世は糞!生きるの繰り返すなんて愚の骨頂、厭離穢土!なににも執着しないで脱出しようぜ!」と得心できる可能性を持っているはずだ、というねじくれた楽観主義なので、あるがままで全てがキラキラ、みたいな話とは違います。

「みんな捨てたもんじゃないんだよ」と説得するためには、主人公が出家する前のエピソードは酷ければ酷いほど、不条理ならば不条理であるほどいいとも言えるので、その意味でも『アシュラ』はすぐれて中世的な仏教文学の骨格を保っているのです。繰り返しますが、そういう結末に現代の作者や読者が満足できるかどうかは別の話です。僕はこういうの好物なので、是としました。

そういえば、映画版『アシュラ』観てないな。どんな出来だったんだろか?観る機会があったら、またレビューします。 

アシュラ (下) (幻冬舎文庫 (し-20-3))

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物語としてはここで尻切れトンボで、打ち切りマンガらしい終わりかた。

アシュラ 完結編

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完結編、なげやりのようでいて、仏教説話文学の王道を行く終わりかたです。

鈴木正三著作集? (中公クラシックス)

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鈴木正三著作集? (中公クラシックス)

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 鈴木正三の著作が現代語訳で読めます。テンションあがる仏教書です。  

心を整える8つの脳開発プログラム

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スマナサーラ長老が、脳開発という視点から八正道を解説した本です。おススメ。

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~