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マハーゴータミー長老尼のアパダーナ


今日は諸般の事情で原稿作成の待ち時間が長かったので、久々に写経してみた。マハ―・パジャーパティー・ゴータミー比丘尼(摩訶瞿曇彌。釈尊の養母)のアパダーナ(譬喩)。世尊に先立って般涅槃することを決意した仏母が、息子たる釈迦牟尼に別れを告げる物語。結集後、かなり後世にまとめられた仏伝文学なので神話的潤色は濃厚だが、一編の戯曲のようなドラマチックな内容です。


底本は南伝大蔵経27巻382p-404p。山崎良順師の和訳をもとに一部語句を修正しました。摩訶瞿曇彌のことばは色を変えてみました。美文調の文語訳だし、釈尊の別称が鬼のように出てくるので読みにくいと思いますが、ハートで読んでください。

マハ―ゴータミー比丘尼のアパダーナ


摩訶瞿曇彌と五百比丘尼、般涅槃の決意

1 ある時世間光、人御者はヴェーサーリ大林の重閣講堂に住し給えり。
2 その時勝者の母の妹マハーゴータミー(摩訶瞿曇彌)比丘尼は、其の楽しき城の比丘尼住所に解脱せる五百の比丘尼達とともに住めり。
3 静処に去りて彼女の心に是の如き思念生じたり、「仏の般涅槃も一双の最上弟子や、またラーフラ・アーナンダ・ナンダの[涅槃をも]我見ること能わじ(※耐えられない)。
4 寿行を破却し捨てて寂滅に我行かんかな、世主、大仙の許得て」
5 その如き思いは五百の比丘尼達にもありき、ケーマー等にもこれと同じ思いありき。
6 その時地震あり、天鼓鳴らされ、(比丘尼)住処に住める諸天は憂いに迫られ、同情して泣きつつ、その処に涙を垂れたり。
7 一切の比丘尼達は諸天とともにゴータミーのもとに詣り、頭面もて足に伏礼してかく述べたり。
8 「聖尼よ、我等静処に去りて(禅思して)ありしに、その処に水滴濯がれ、山もろともに大地動き、天鼓鳴らされ、痛哭は聞かれたり、さて何の義なるや、ゴータミーよ」。
9 その時彼女(ゴータミー)は思いしままに語れり、彼女達もまた皆思いしままに述べたり。
10 「聖尼よ、おんみ若し涅槃、最上安穏を喜び給わば(我等も)すべて善務者のもとに於て仏に許されて涅槃すべし。
11 我等は相共に家よりもまた有よりも出でたり、ともに涅槃、最上城に行くべし」。
12 「涅槃に向って進むものに何をか言わん」と彼女は言えり、皆とともにその時比丘尼住所より出で行けり。
13 「(比丘尼)住処に住せる彼の諸天は我を許せよ、こは我が比丘尼住所を見ること最後なるべし。
14 老、死や非所愛と遭うことなく、所愛と別離することなき処、彼の無為(涅槃界)に(我は)おもむかん」
15 いまだ離貪せざる善逝の愛子達はその語を聞きて、憂いに苦しみて痛哭せり、「嗚呼、我等いは福少きかな」。
16 彼女達なくて此の比丘尼住所は空虚となれり、朝の星の如くに勝者の愛子達は見られず。


在家信者の懇願

17 ゴータミーは五百(の比丘尼)とともに涅槃におもむく、あたかもガンガーが五百の河とともに海へ(去る)如くに」。
18 路を進むを見て進行せる優婆夷者は家より出でて足下に平伏してかく述べたり。
19 「大受容を歓べよ、我等孤独者を捨て去りて涅槃せんこと御身に相応しからず」といいて彼らは苦悩して泣けり。
20 彼女らの憂を断除せんがために微妙の語を述べたり、「泣くことを止めよ、子等よ、今日は汝等の笑うべき時なり。
21 我は苦を知りつくし、苦因を除去し、我は滅を作證し、また道をよく修したり。
22 我は大師に奉事し、仏の教を行い、すでに重荷を棄て去り、有に導[煩悩]を完全に除けり。
23 我が家より非家に出家せるその義(目的)たる一切結をつくすことを得たり。
24 仏及びその正法が欠くることなく住するうちが我が涅槃すべき時なり、娘らよ、我を憂うるなかれ。
25 コンダンニャ、アーナンダ、ナンダ、ラーフラ、勝者は住し、サンガは安楽にして利益あり、外道達は傲慢を去れり。
26 魔を粉砕する甘蔗種の誉(仏)は高められたり、我が涅槃のための好時期にあらずや、娘らよ。
27 久しき[前より]以来、我が所願なりしことは今日遂げたり、こは歓鼓の時なり、汝娘ら何を涙もて[泣くや]。
28 もし我に対して同情あり、もし恩を知るあらば、[汝等は]皆正法[久]住のために堅固精進を作せ。
29 等覚者は我に請われて女人に出家を許し給えり、それ故に我が歓ぶ如くに彼[仏]に従うべし。


釈尊への挨拶と懺悔

30 彼女[ゴータミー]は是の如くに教えおわりて、比丘尼達を従えて仏のもとに至り、礼して、かく述べたり。
31 「善逝よ、我は卿の母なり、しこうして賢者よ、卿は我が父なり、正法の楽を施す所依なり、ゴータマよ、我は卿によりて生まれたり。
32 善逝よ、卿のこの色身は我によりて育てられたり、我が欠くる無き法身は卿によりて育てられたり。
33 しばし渇愛の籠れる乳を我は卿に飲ませ、卿は我に寂静なる辺しなき法乳を飲ませ給えり。
34 我が育護において卿は無債なり、大牟尼よ、子を索むる女らまずこの如き聞を得たればなり。
35 曼陀多等の人王の母達は、彼女等は[全て]有海に沈没せり、[しかるに]我は、子よ、卿によりて有海を度れり。
36 王母や皇后の名は女にとりては善利なり、仏母というその名は最も得がたし。
37 勇者よ、そを我は得たり、我が願は卿によりて、小なるも大なるもそは全て卿によりて満されたり。
38 この身を捨て去りて般涅槃せんと欲す、勇者よ、苦の辺際(おわり)を作る者よ、導師よ、我に[そを]許し給え。
39 輪・鉤・幢もて飾られたる蓮華の如き[軟き]み足を伸し給え、息子よ、卿に親愛もて敬礼せん。
40 金塊の如き御身を示現し給え、卿の身をよく見おわりて、導師よ、[我は]寂滅におもむかん」
41 三十二相を具えたる妙光もて荘厳されたる身を、朝雲より[出でし]旭の如くに勝者は叔母に示現し給えり。
42 それより真盛の日王の如く旭の如き輪相ある足蹠に彼女は頭面もて伏礼せり。
43 「我が最後の死にあたりて、人日、日種幢に敬礼す、我は再び卿を見ざるべし。
44 女なるものは、世間最上者よ、凡ゆる過失を作す者と思われたり、もし我に何かの過失あらば、悲愍作者よ、忍許し給え。
45 また我は女人の出家をしばしば懇請せり、もしその処に我が過失あらば、人牛王よ、忍許し給え。
46 勇者よ、卿の許によりて我は比丘尼達に教えたり、もしその処に指導宜しからざるあらば、忍主よ、忍許したまえ。


釈尊が般涅槃を許す

47 「無欠にして徳の荘厳ある有において何ぞ忍許すべきあらんや、正に般涅槃におもむかんとする御身に更に何をか言わんや。
48 我が清浄なる無欠の比丘サンガにおいては、この世間より出ずることを善しとす、黎明時に捕捉者(夜叉)の消え失せる[如く]、見るや[間もなく]弦月の去り行く[が如くに]」。
49 その他の比丘尼達は最上勝者をあたかも月に従う諸の星の須弥[山]を[廻る]如くに右繞し、足もとに伏礼しおわりて、その顔見つつ立ち居れり。
50 「眼は卿を見ることにより、耳は卿の所言によりて[我に]かつてなき満足あり、我が心は全く同一なれども、法味によりてその満足を得て。
51 衆中にて[獅子]吼する打論慢者なる卿の顔を見るものは誰にても幸なり、人最勝子よ。
52 指長く、爪赤く、美わしく、踵の長きみ足に敬礼するものは誰にても幸なり、人最勝子よ。
53 [仏の]微妙にして、喜ばしく、瞋を破する、利益ある語を聞くものは誰にても幸いなり、最上人よ。
54 我は幸いなり大勇者よ、卿の足供養に専心し、吉祥ある正法によりてすでに輪廻の曠野を度(わた)れり」


ラーフラ(養孫)アーナンダ(甥)ナンダ(実子)への別れ

55 それより礼儀正しき彼女は比丘サンガの中にて[挨拶を]述べてラーフラ・アーナンダ・ナンダに礼してかく述べたり。
56 「蛇の棲息所に等しく、病の住所なる苦の集合所なる老死の行境なる身体において厭患せり。
57 種々の汚泥に満てる、他に依存せる、無活動なる[老の身]に[厭患せり]、それ故に涅槃せんと欲す、息子らよ、許されよ」。
58 ナンダとラーフラ賢者はすでに憂を去り、漏無く、不動堅固に立てる賢人なりしかば法性を思考せり。
59 「厭わしきかな、[凡そ]有為の世間は芭蕉の如く不堅実にして、幻・陽炎の如く果なく持続せず。
60 この勝者の母妹、仏養母なるゴータミーは死におもむかんとす、一切有為は無常なるかな」。


アーナンダへの慰め

61 またその時は仏の愛し給えるアーナンダは[未だ]有学なりしかば、憂いに悩みて其処に涙を垂れつつ彼は悲泣せり。
62 「輝くゴータミーは去り行く、仏も久しからずして寂滅に帰し給うにあらずや、薪なき火の如くに」。
63 このごとくに泣くそのアーナンダにゴータミーは言えり、「所聞深海の如き者よ、仏の給侍に熱心なる者よ、
64 喜笑する時きたれるに憂うるはあたらず、息子よ、この我は帰依処なる涅槃性に到達せり。
65 息子よ、[仏は]卿に請われて我等の出家を認め給えり、息子よ、悲歎するなかれ、汝の労苦は空しからざりき。
66 往昔の外道阿闍梨達も未だ見ざりし道を七歳の善童女達[これを]知れり。
67 仏教守護者よ、[こは]汝を見る最後なり、息子よ、其処に往ける者ならば[再び]見られざる処(涅槃界)に我は往くなり。


仏陀へのまことの敬礼

68 何時にても世間導師の説法しつつ咳したまいしその時には、我は親切に希望の言葉を述べたり。
69 「大勇者よ、長生し給え、大牟尼よ、[一]劫の間住し給え、一切世間の利益のために[卿に]老死なからんことを」。
70 その如く言うその我に彼仏はかく言えり、「諸仏はゴータミーが敬礼するが如くに敬礼せらるべきにあらず」。
71 「然らば、一切知者よ、如来は如何に敬礼さるべきや、諸仏は如何に敬礼さるべからざるや、問われてそを我に語り給え」。
72 「発勤精進し、身命を惜しまず、常に堅固勇猛にして有道なる声聞を見よ、これぞ諸仏に対する敬礼なり」。
73 それより(比丘尼)住所に行きて、我独り思惟せり、「三有の辺際(おわり)に到り給える尊は有道なる衆を喜び給えり。
74 いでや我般涅槃せん、その不祥を見じ」、我はかく思いて第七仙を見奉りて、
75 我が般涅槃の時を化導者に告げたりそれより仏は「ゴータミーよ、時を知れよ」と認許し給えり。
76 我が諸の煩悩は焼きつくされ、有は全て断除せられ、あたかも龍象の如くに繋縛を断ちて、無漏者として住すなり。
77 実に我、善く来たるかな、我が仏の許にて三明は逮得せられ、仏陀の教は行われ、
78 四無礙とまたこれら八解脱と、六通を作證して、仏陀の教を行えり」


神通の示現

79 (釈尊)「凡そ愚者にて、法現観において昏沈、猶予に堕する、彼等の見を断せんがために、ゴータミーよ、神通を現せよ」。
80 その時等覚者に伏礼して空に上り、仏陀の認許によりてゴータミーは種々の神通を現ぜり。
81 一人が多勢になり、また同様に多勢が一人になり、顕れ、隠れ、壁を過ぎ、雲を過ぎ、
82 無礙にして行けり、地中にも没し、水上を行くにあたかも大地の如くに[水面]破れざりき。
83 あたかも鳥の如くにその時虚空を結跏趺坐して行けり、いまし梵世に至るまでも身もて自在に転ぜり。
84 須弥を杖と作し、大地を傘と作し、[樹を]根もろともに転がして[これを]持ちつつ空中を歩めり。
85 清浄なる日の出ずる時の如くにまた世間を薫ぜり、劫末の嵐における如くに彼女は世間を網鬘もて混雑ならしめたり。
86 ムチャーリンダ[池]、大いなる岩、須弥・曼荼羅・達陀羅山を、芥子の如くに全て一拳もて握れり。
87 指頭もて日月を覆い、千の日月を花冠の如くに持てり。
88 四海の水を一飲もて持ち、劫末の嵐の雲の如くに大雨を降らせり。
89 彼女は転輪[王]を衆とともに天空に作り、金翅鳥、象、師子の咆哮するを現せり。
90 一人が無量の比丘尼衆を化作して、再び消え失せて一人が牟尼に言えり。
91 「卿の母妹は、大勇者よ、汝の教に従い己利を逮得せり、み足に礼し奉る、具眼者よ」
92 諸種の神通を現して、天宮より下りて、世間光に礼して彼女は一面に坐せり。
93 「その我生れて百二十歳なり、大牟尼よ、これだけにて十分なり、勇者よ、[我は]涅槃せん、導師よ」


過去世の因縁を語る

94 その時驚愕せる彼の衆は皆合掌して言えり、「聖尼よ、云何にして無比の神通勇猛あるや」。
95 「パドゥムッタラと名づくる勝者、一切法における具眼者、導師は今より十万劫[の昔]に生れ給えり。
96 その時我はハンザヴァティーの、一切便益を具備し、富み、栄え、大財ある大臣の家に生れ居れり。
97 ある時父とともに婢群を従え大眷属を伴いてその人牛王のもとに詣れり。
98 帝釈の如くに雨降らす無漏法雲、秋の日の如き複雑なる光輝ある勝者を、
99 見奉りて信心し、彼の善言を聞きて、母、妹の比丘尼を第一に置き給う人導師を、
100 聞きて我は七日の間大施をかくの如き彼の最上人と[その]サンガとに施して、また多くの必需品を[施して]
101 足下に伏礼してその[仏母妹尼の]地位を願求せり、それより第七仙は大衆の中にて言えり。
102 「七日の間世間導師とサンガとに飲食せしめたるものを我は称賛せん、我が説くを聞け。
103 今より十万劫[の後]に甘蔗族の生れにて名づけてゴータマという大師世に在すべし。
104 [この者は]彼の法中にて法により造られたる後継の子にして名づけてゴータミーという大師の弟子尼となるべし。
105 この者はその仏の母妹にして[仏の]生命保育者たり、耆宿の比丘尼の中第一位を得べし」。
106 そを聞きて我は喜び、その時生涯勝者に諸の必要品もて給侍して、それより我は死せり。
107 一切の所欲を遂ぐる三十三天に生れ、十支によりて我は他の者に勝れたり。
108 諸の色、声、香、味及び所触、また寿命、容色、楽及びまた名声によりて、
109 同様に支配によりて勝れて我は光り、天主の皇后として彼処にて愛せられたり。
110 われ業風に駆られて生死に輪廻するうちに、カーシー王の領土内の奴隷村に生れたり。
111 凡らくは五百の奴隷はその時その中に住せり、我はその処の一切の者の長たるものの妻となれり。
112 五百の自存者等は乞食に村へ入れり、彼等を見て我は喜び、一切の親戚のものとともに、
113 全て団体となりて四箇月の間給侍し、三衣を施して有夫者として輪廻せり。


近い因縁を語る

114 それより死して有夫者として我等は三十三天に往き、また今や最後生にてはデーヴァダハ城に生れたり。
115 我が父は釈種アンジャナにして我が母はスラッカナーなり、それよりカピラ城の浄飯[王]の家に嫁げり。
116 釈迦族に生れてその同じ[種族の]家に嫁げり、我は皆より抜んでられて勝者の保育者となれり。
117 我が子は家を出でて仏、化導者となり、我は後に五百人とともに出家して、
118 釈種の[女]勇者達とともに寂静楽を体得せり、彼の時前生において我等の夫なりしものは、
119 善逝に哀愍せられて、ともに福[業]の作者、大宗奉行者として阿羅漢位を体得せり」


五百比丘尼も神通を示現する

120 その他の比丘尼達は天上に上り、星の集まれる如くに大神通者達は照せり。
121 あたかもよく学べる金工が加工に堪ゆる黄金の種々の飾物を[現す]如くに、諸種の神通を現せり。
122 多くの不思議なる神変を現してその時最勝論者なる牟尼と衆とを喜ばしめて、
123 空より下りて第七仙に敬礼して最上人に許されて各自の座に坐せり。
124 「嗚呼、勇者よ、ゴータミーは我等全ての哀愍者にして彼女の[宿]福に薫ぜられて我等は漏盡を逮得せり。
125 我が諸の煩悩は焼きつくされ……
126 実に我、善く来たるかな……
127 四無礙とまたこれら八解脱……
128 [我等は]神通と天耳界において自在にして他心智において自在なり、大牟尼よ。
129 天眼清浄にして宿住を知り、一切の漏盡き果てて今や後有あることなし。
130 義と法と詞と辯とにおいて[無礙解]あり、我等の智は、大勇者よ、卿の許にて生じたり。
131 導師よ、[卿は]これら慈心あるものによりて奉事され給えり、大牟尼よ、皆のものの涅槃を認め給え」。
132 「涅槃せんと、是の如くに言うものに[我]何をか言わん、されば今、そのための汝等の時を知るべし」と勝者は言えり。


告別の時

133 ゴータミーを始め彼の比丘尼達はその時勝者に敬礼して、その座より起ちて彼女等は去れり。
134 世間導師彼の賢者は、大いなる人群とともに門口まで母妹を送り給えり。
135 その時ゴータミーは世間親の足下に平伏して、他の一切[の比丘尼達]とともに最後の敬礼を[作せり]。
136 「こは我等が世間導師を見奉る最後なり、再び甘露作者を、卿のみ顔を見ざるべし。
137 勇者よ、卿の妙蓮華の如きみ足に我が敬礼は[再び]触れざるべし、世間最上者よ、今日我は寂滅に帰す」
138 「かくの如き現世におけるこの色[身]は御身に何かせん、こは全て有為にして、安息ならず、短時のものなり」。
139 ゴータミーは比丘尼達とともに己が比丘尼住所に行きて半跏趺を結びて最上の座に坐せり。
140 その時その処なる仏陀の教をあいする優婆夷達は彼女の事情を聞きて足礼者達は来れり、
141 手もて胸を打ちて根を断たれたる蔓草の如くに[萎れ]、憂いに悩みて地上に倒れ、悲しき泣き声を號べり。
142 「帰依処を与うる我等が尊を捨てて寂滅に帰するなかれ、我等全て頭面もて伏礼して請い奉る」。
143 彼女等の信慧ある優婆夷達は[今やその]勤むべき所に闇黒となれり、[ゴータミーは]その[優婆夷の]頭を撫でつつかく述べたり。
144 「子らよ魔の羂索に従いて落膽するなかれ、一切の有為は無常にして、辺際なく、動揺常なし」


禅定から般涅槃

145 それより彼女らは最上の初禅を捨てて、第二第三[禅も捨てて]第四[禅]に入定せり。
146 空無辺処と及び識無辺処、同様に無所有[処]。非想[非非想処]に順次に入定せり。
147 ゴータミーは初禅に至るまで逆に諸禅に入定せり、それより[また]第四[禅]に[入定し]、
148 それより出でてあたかも燈焔の如くに漏無く般涅槃せり、大地震あり、空よりは落雷せり。
149 [天]鼓は打鳴され・諸天は悲しめり、華の雨は空より地に降れり。
150 須弥[山]王も舞台上の俳優の如くに動き、憂によりて[大風]吹き、また海には哀れなる響ありき。
151 天、龍、阿修羅、梵は感動してその時言えり、「嗚呼、諸行は無常なるか、この[ゴータミーの]如きが壊滅に帰せり。
152 またこを囲繞せし、大師の教えの奉行者なりし彼女等も燈焔の如くに取無く涅槃せり。
153 嗚呼、合会は終に離る、嗚呼、一切の有為は無常なり、嗚呼、生命は終に亡ぶ」とかく悲泣せり。
154 それより天も梵も第七仙のもとに詣りて時機に適わしく世間の習慣に順じて振舞えり。


アーナンダ、釈尊の命で仏母の入滅を報ず

155 その時大師は所聞海の如きアーナンダを招きて、「行け、アーナンダよ、比丘達の母の寂滅を報ずべし」。
156 その時アーナンダは喜無く(アーナンダ)涙を眼に満して、唸り声もて言えり、「比丘達よ、集れ、
157 東西南北に住む比丘、善逝子らは我が述ぶる所を聞け。
158 牟尼の最後身を守り育てたる彼のゴータミー[尼]は、あたかも日の出の星の如くに寂滅に帰せり。
159 仏母という名を捨てて楽う所に去れり、五眼者、導師は其処に在さずともすでい去れるを見給う。
160 善逝に信ある者、あるいは大牟尼の弟子たるもの、善逝の子たるものは仏母に恭敬せよ」。


諸天の供養

161 極遠[の地方]に住する比丘達もそを聞きて速に還れり、ある者は仏の威神力により、ある者は神通に練達なれば。
162 [かつて]ゴータミーが眠りし勝れたる、恍惚たる、純金の、美わしき重閣の中に牀を移せり。
163 かの四護世は肩を以て平等ににない、余の帝釈等の諸天は重閣において攝受せり。
164 全て五百の重閣ありき、秋の日の色をなしヴィッサカンマ(毘首羯磨)[天]の作れる所なり。
165 一切の比丘尼達は牀上に横わり居り、諸天の肩に乗りて順々に出で行けり。
166 全て天蓋によりて蒼天は覆われ、黄金作りの日・月及び星は印せられたり。
167 数多の旗は掲げられ、華の覆蓋美わしく、薫烟は空より下り、花は地上に[咲き]出でたり。
168 日月見られ、また星は輝き、日は中天に到るも熱せざること月の如く。
169 諸天は馥郁たる天の香及び鬘、音楽や舞踊や歌唱もて供養せり。
170 龍・阿修羅及び梵天は[各々]能力に応じて寂滅せる仏母の運ばるるを供養せり。
171 寂滅せる[他の]善逝子等は全て前に運ばれ、仏の保育者なるゴータミーは後に供養せられて運ばれたり。
172 前には天人及び龍・阿修羅・梵天など、後より仏は弟子達とともに母を供養せんがために行けり。


荼毘に付す
173 仏の般涅槃もゴータミーの般涅槃の極めて希奇なりし如くにはあらざりき。
174 仏の涅槃にありては仏[及びサーリプッタ等の]比丘は見られず、ゴータミーの涅槃においては仏並びにサーリプッタ等[見られたればなり]。
175 彼等は一切香より成れる葬堆を作りて、香・抹香等は撒かれ、その中にて彼女等を荼毘に附したり。
176 骨を残し余の分は悉く焼きつくせり、しこうしてアーナンダはその感激を生ずる言を述べたり。
177 「ゴータミーは死に去り、しこうしてその身は焼かれたり、仏の涅槃も久しからざるべしと我は懸念す」。
178 それよりゴータミーの遺骨は彼女の鉢におさめられ、仏に促されて[そを]彼アーナンダは尊に捧げたり。


仏母を讃える釈尊の言葉

179 そを手もて捧げて第七千は言えり、「髄ある大いなる立樹の、
180 その大いなる幹の無常性より崩るるが如く、その如く比丘尼サンガのゴータミーは般涅槃せり。
181 嗚呼、涅槃し給いて唯舎利のみ残りある我が母に対しても憂悲なきは希奇なり。
182 母は他人にとりて哀れならず、すでに輪廻の海を度り、苦悩を遍く除き、清涼となり、善く涅槃せり。
183 母は智者にして大慧者、同様にまた広慧者、比丘尼達の中の耆宿なりき、比丘達よ、是の如くに知れ。
184 神通及び天耳界に自在なりきまたゴータミーは他心智に自在なりき。
185 宿住を知り、天眼は清浄なりき、一切の漏を遍く盡し、今や後有あることなし。
186 義・法・詞、同様にまた弁[無礙解]において、智は清浄なりき、それ故に母は哀れまるべきものにあらず。
187 燃ゆる火の鉄棒にて打たれて次第に消え失せし、[その]行方の知られざる如くに、
188 是の如く正しく解脱し、欲縛の暴流を度り、不動の楽を逮得せるものには趣を示すべきなし。
189 それ故に汝等自らを洲とし、念処を行境とせよ、七覚支を修習して苦の辺際(おわり)を作るべし」。


摩訶瞿曇彌は、釈迦族出身の比丘たちすべての、そして釈尊教団全体の「母」だったのだなと、職場であるゴータミー精舎にその名を冠する偉大なる聖尼への敬慕の念が弥増しました。

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