仏像・仏画の捨て方

要約すると、「仏像や仏画の扱いには気をつけた方がいいとのことだが、パティパダー*1に仏像の写真が掲載されている場合、パティパダーの処分はどのようにしたら良いのか。また、仏像・仏画を特別扱いするのは、「あらゆるものに価値を入れない」という教説と矛盾するのでは?」云々という質問。あまりにも考えすぎじゃないかなぁ、という気もしたが、一応以下のようにコメントしておいた。

仏教は呪術ではありません。また、仏像や仏画は呪物ではありません。これが大前提です。

本人がブッダを貶める気持ちで捨てるのでなければ、悪業になるということは考えられません。また、「あらゆるものに価値を入れない」というのは、味噌もクソも一緒にするという教えではありません。もし家族の写真とポルノを価値を入れないで同じところに飾っていたら、家庭崩壊します。社会人として理性で価値判断して、ちゃんと物事を分別して生活するのは当たり前です。

尊敬する人の写真や像を丁寧に扱うのは、仏教以前に人として当たり前のことです。自分が尊敬するブッダの像をいい加減に扱うというのは、傍から見ても社会人として問題がある。信用できない危ない人ということになります。

ミャンマー人にとっての仏像・仏画と、日本人にとってのそれも、また違います。たとえば日本人がブッダの姿を「大仏煎餅」にして食べているからと言って、日本人が悪業を積むわけではないのです。仏像・仏画のその文化におけるコンテクスト(文脈)が異なるのですから、日本人が大仏煎餅を食べるときに生じる業と、ミャンマー人やスリランカ人が食べるときの業とは異なるのは当然です。

ただ、仏教国であるミャンマーやスリランカの人が、日本人が大仏煎餅をバリバリ食っているところを見たら、「なんと罰当たりな」と顔をしかめるでしょうし、そういうことを知っている人は、仏教国の人々の前で大仏煎餅を食べるのは遠慮したほうがいい。それは仏教徒云々以前に、文化人としてのエチケットです。

このように、論理的に考えれば簡単ですが、そこまで考えたくないは、「自分や周りの人が嫌な気分になるような処分法はしない」くらいに決めておけば安全だと思います。

幸せでありますように。

仏像の本

仏像の本

仏教と聞くと、すべてにわたって何か特殊なことをしなければならないと思い込んでしまう人が少なくないのは困りものだ。仏像・仏画にしても、「自分にとって大切な人、恩師や恩人をしのぶものをどのように扱うべきだろうか?」というふうに、人間の理性をベースにして思考すれば、おかしな宗教を信じる変な人、ではなく、真人間としての仏教徒の振る舞いが自然に導き出されると思うのだが。

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〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

*1:[http://gotami.j-theravada.net/cat34/:title=日本テーラワーダ仏教協会の月刊機関誌]