災難と仏教徒 スマナサーラ長老のことば

仏教新聞『中外日報』(中外日報社)3月24日掲載のスマナサーラ長老の署名記事をご紹介します。

災難と仏教徒 冷静適切に対応を 〜スマトラ沖大地震 津波被害に思う〜
日本テーラワーダ仏教協会長老 アルボムッレ・スマナサーラ

 災害が起きた時に、なぜこんな不幸になったのか、神も仏もいないのか、なんで私だけが、などといって嘆き悲しむことはみっともないのです。自分の不幸を怒りと憎しみで他人の所為にしようとしているのです。そういう思考なら、何年経ってもこころは苦しみで蝕まれるだけで、起きた災害よりも酷い不幸を作って、一生過ごすことになるのです。「今の不幸は過去世の悪業の結果かもしれません。今さらどうすることもできない。自分が犯した罪だから、人に文句を言って新たな悪業を作ってはいけません。これからどうするべきか、この不幸をどのように乗り越えるか、という事が何よりも大事です。」のように考えるのが、上座仏教徒です。迷信ではないかと思われるかもしれませんが、怨み辛みなく、早くも正気に戻ることができます。
 人に智慧があるか否かは、災難に遭遇したとき分かります。他人が親しい人か悪友かということも、自分が不幸になったとき分かります。それが仏陀の言葉です。人はどんな不幸に遭遇するか、知れたものではありません。何が起きてもその時冷静を保ち、適切な対応をすることが、仏教徒のなすべき生き方です。人が不幸になったら助ける人こそが、まことの善友なのです。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜