不殺生は人の為ならず

蚊はつぶさない方が賢明? 病原体が体内に入り女性死亡
 体にとまった蚊はぴしゃりとたたくより振り払う方が賢明かも−。米アルバート・アインシュタイン医大の医師らがこのほど、足にとまった蚊をつぶした際に、蚊の病原体が体内に入って死亡した患者の例を米医学誌に報告、注意を呼び掛けた。
http://www.sankei.co.jp/news/040720/kok038.htm


ある夜、坐禅をしていると、一匹の蚊が僕を刺そうとして執拗に付きまとってきました。それなりに感覚が鋭敏になっていた所為か、単なる妄想か分かりませんが、「何としても血を吸ってやる」というその蚊の気迫が伝わってきて、小さな蚊の発する切迫した苛立ちの波動が巨大なボールのように感じられました。

瞑想中だし手ではらうのも面倒くさいので血を吸わせてあげると、その苛立ちの波動がスーーーッと安堵したような穏やかな波動に変わって、その蚊は飛び去っていきました。

ああ、なるほど一寸の虫にも五分のたましいとは古人も良く言ったもので、五分どころか心のエネルギーの大きさは物質的な「身体」から計り知れるものではないのだなぁとしみじみ感じて、以来まぁ、ゴチャゴチャ理屈こねることなく、「輪廻というのはあると考えたほうが安全だ」と思っています。

世間にはびこっている俗論とはまったく正反対に、お釈迦さまの仰った因果法則を常識としてわきまえ、ほんのちょっとでも「輪廻」ということを推測できるような経験を持つならば、殺生ということはとてつもなくヤバイ、怖ろしい行為だと分かるはずなのですが…。輪廻を分からないように人間の脳細胞に細工するのが生命の戦略ですから、その辺は無明は深しと歎ずるしかないかもしれません。

生きるというのは一寸の虫から人間にいたるまで、満たされない苛立ちと束の間の安息との空しい繰り返しで、しかし「生きていたい」という思いだけは共通しているわけで、その生きたいという思いを濫りに踏みにじることはよした方がいい、というのは多少なりとも「落ち着いた」経験のある人ならば肯ける結論ではないかと思います。

物質のレベルでも、蚊の一匹であっても怒りに任せて殺さない方が安全だよ、ということを報告した記事もありました。だからという訳ではないにせよ、「不殺生は人の為ならず」と言いたいのです。

〜*〜* よろず生きとし生けるもの 幸せであれ安穏であれ*〜*〜