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『宗教で読む戦国時代』が猛烈に面白い!

本の話題

宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ)

宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ)

宗教で読む戦国時代 神田千里 講談社選書メチエ

宣教師も驚いた戦国日本人の高度な精神性。その「ゆるやかな宗教性」のバックボーンとしての「天道」思想をキーワードに、一向一揆、キリシタン論争から島原の乱まで、日本人の心性に新たな光を投げかける。

序盤から釘付けになって読んでしまった。今年の第一四半期最大の収穫、と自信を持ってオススメできますよ、これは。以下、twitterのメモを元に目次順に内容を紹介します。


1章 宣教師の見た日本の宗教

  • イエズス会の宣教師たちは、戦国日本が単一言語(都の言葉が共通語)の国と捉えていた。日本通信では改竄されたが、元の書簡では諸大名は国王に、将軍は皇帝に、天皇はローマ教皇に比されていた。悪魔が偽装w したヨーロッパとクリソツの世界を見ていた。
  • カトリック宣教師が憎んだのは、やはり一向一揆かましていた本願寺。あいつらまるでルター派じゃん、まじ許せねぇと盛んにDisっていた。
  • 弘法大師衆道の祖とされていたのか。では来年からゲイパレードは東寺からスタートなw
  • フロイス曰く、弘法大師は「彼以前には全く知られていなかった、自然に反した憎むべき罪で日本を汚染し」た同性愛者の悪魔。戦国時代の京都では、空海が衆道の祖というのは普通に言われていたらしい。勿論、憎むべき罪を犯してるのは同性愛を差別するバテレンの方だYO!
  • カトリック宣教師は日本の仏教がキリスト教にやけに似てることに戸惑い、キリスト教に似せて悪魔の偽装した宗教とみなした。悪魔の存在はクリスチャンの信仰にとって不可欠の要素。他者を悪魔化することでしか成り立たない信仰ってなんだかなぁ。
  • 戦国時代の宣教師に論争相手として立ちふさがったのは禅僧。イエズス会の日本通信は、原資料の宣教師書簡には記されていた仏基論争中の禅僧に夜「霊魂不滅説」への論駁などを削除した。永遠の魂を否定する「虚無の信仰」は言及することさえ神への冒涜と思われたのだろう。かわりに「とりわけ禅宗の徒、すなわち獣のように生活している僧侶は」と罵倒語を付け加えられた。
  • 戦国時代の京都の市民は、識字率こそ低かったが、寺院で行われる説法などを通じて、論理的、合理的な思考法を身につけていた。口承文化としての仏教の影響が日本人の宗教リテラシーを高めていた。


2章 戦国びとの信仰

  • 戦国時代には「天道」思想を共通の枠組みとした一つの体系ある宗教が成立していた。教義も行動様式も違って見える諸宗派は実は同一の思想的枠組に収まる共存可能な教団だった。
  • 天道はキリスト教宣教師が唯一神デウスの訳語として最も相応しいと考えていた。仏教の法身仏に由来する観念。戦国武将も天道に反する行いによって罰を受けると信じた。神仏への起請を破ること、世俗道徳を破ることで、天道に見放されると恐れた。
  • 天道に親しんでいた日本人はキリスト教を違和感なく受け入れた。天道と唯一神を同一視し、しかも神の秩序を首尾一貫した体系として説くことに魅力を感じた。日本社会はある種の一神教を構築したが、それは凡ての神仏を敬うことが天道に適うという一神教。
  • 天道思想は形式的な信仰や宗教知識よりも内面を重視した。信仰を表に表すより心正直である事がクールと考えた。
  • 本願寺蓮如も天道思想を前提に布教をした。切支丹と異なり他宗攻撃を行わず、阿弥陀仏に帰依する事が諸仏諸菩薩に帰依する事になると説いた。神祇信仰者には、神の本地は阿弥陀仏なので現世利益を神に祈るだけでなく後世を阿弥陀仏に頼れよと説いた。凡て阿弥陀仏と同体なら凡ての神仏を敬えばよいのでは?という反論には「忠君は二君に仕えざれ」の例えを出し、信心は一心不乱でないとものにならぬと諭した。
  • イエズス会の宣教は天道の教えと同じものと受容されつつ、教義の統一性が歓迎された。彼らは他の修道会が日本布教に参入することで、教義の統一性が綻び「バテレンも言ってることバラバラじゃん」と信徒から失望される事を恐れた(既得権保持の口実とも言えるが)。
  • 戦国期の本願寺では法主の食事を「斎 とき」と呼び、門徒らが先祖供養の功徳行として法主本願寺の僧侶に食事を布施した。門徒以外の他宗派の在家が布施する場合もあった。本願寺法主は「福田」と見なされたのだ。この辺は初期仏教から脈々でおもろ。
  • 余談だけど、仏教用語の福田は「ふくでん」と呼ぶ。功徳(幸福)の種蒔き、苗植えをする田圃という意味。僧侶や教団は戒律を護り法を伝え広める器なので、援助する事で功徳がみるみる成長する。刈り取る功徳も最高なので、布施するならぜひ仏教の僧侶や教団に!という教え。
  • また余談。ちなみに僧侶の袈裟はお釈迦様が阿難尊者に命じて、田圃のあぜ道をイメージしたデザインにしたという伝承もある。釈迦族は農耕民族だったので田圃のメタファーは誰でも理解できた。つまり、お坊さんは歩く田んぼです。皆さんが植える幸福への願いを大切に育ててくれます。大事にしましょう。


3章 一向一揆の実像

  • この章は凄い!一向一揆について複数の著書を出してる著者の博識が炸裂。
  • 現在知られている反権力の民衆蜂起、宗教戦争としての一向一揆像は説教師が江戸時代に広めたホラ話。一向一揆の名称さえ18世紀に出来た。織田信長が本願寺の不倶戴天の敵というのも嘘。信長は本願寺の裏切りを何度も許している。
  • 織田信長が無神論とか仏教弾圧に熱心だったというのはイエズス会宣教師の捏造。実際は天道を畏れる常識的宗教観の持ち主。君臣の儀に配慮し信教の自由も守り、教団が武装蜂起しても降伏すれば許した。本願寺は足利将軍派として政治抗争に参加しただけ。
  • 一向宗の一揆は、土一揆または単に一揆と呼ばれた。寺社との結びつきが強かった時代は寺院や本山の動員で門徒や檀徒が動員される事は珍しくなかった。本願寺は加賀の領主で領土を守り拡大するために門徒を動員。高田派なども一揆を起こし本願寺と戦った。
  • 本願寺は戦争に 門徒を動員する際、一揆は仏法を守るため、敵は仏敵と叫んだが、敵の大名が念仏信仰を弾圧した事はなかった。宗教的動機ではなく諸大名との同盟関係からの政治判断で戦った。だから仏敵とも和睦すれば、何事もなかったように仲良くした。
  • 本願寺と信長の石山合戦が、伝説の戦い化したのは、本願寺の内ゲバで東西分裂してから。西本願寺東本願寺の祖である教如を中傷するために作った文書では、信長が顕如(教如の父)を追撃した「鷺森合戦」という架空の合戦まで捏造された。そんなこんなに古老たちの武勇談が加わり、天下人信長VS本願寺、宿命の対決という図式の出来上がり。


4章 戦国大名・統一政権と宗教

  • 近世になって解消されたと考えられてきた寺院のアジール性は江戸時代通じて健在だった。鎌倉新仏教の教団の多くは教団全体の合議と全員一致で自治による運営がされた。戦国大名も豊臣秀吉もそれを尊重し内部統制が利かない場合のみ介入した。
  • 著者は記してないが、合議と全員一致による自治は旧仏教たる比叡山高野山等の境内都市でも行われていた。釈尊教団以来の伝統である。それが日本の惣村自治の原型になっている。仏教寺院は日本における民主主義のルーツである。
  • 引き続き私見。釈尊教団から日本仏教に至るまで、再優先された価値は「サンガ(教団)の和合」。聖徳太子の十七条憲法でも踏襲されている。庶民は近世までほぼ唯一の識字知識層だった僧侶から自治の理念とノウハウを学んだのであろう。
  • また私見。権力者は教団の自治を尊重しつつ、談合などの調整が失敗し、全員一致の合意が不能になった場合のみ介入した。これも古くはアショーカ王に始まり、スリランカやタイなど仏教国で繰り返されてきたこと。仏教的自治の弱点か。
  • 本文に戻る。戦国大名はアジール禁止を命じたが徹底は容易ではなかった。寺院への罪人の駆け込みは絶えず、身売りされた者を街頭で保護することは僧侶の使命ともされた。刑場で斬首されんとする罪人に袈裟をかぶせて保護することもあった。
  • アジールを取り締まる戦国大名の法令は、一定の制限を設ける以上のものではなく、まして消滅させるためのものではなかったことが予想されよう。」145p この状況は近世を通じて続いた。
  • 後半はキリシタンがなぜ禁止されたのか。「天道」思想が浸透した戦国期の日本の宗教観では、諸宗派諸教団がそれぞれの神仏を戴いて共存することが即ち天道に適うとされた。外面では世俗道徳と君臣の儀を守り内面で信仰を育てる事が是とされた。
  • 戦国大名も天下人も、諸宗を優劣なく共存させる事に腐心した。宗論を停止させたのもそのため。他宗派を攻撃する事さえ止めれば、宗教は自由であるべきというのが、大部分の統治者の共通認識だった。(広い意味で仏教的態度とも言えよう)
  • これに真っ向から挑戦したのがキリシタン大名とその背後にいた宣教師だった。キリシタン大名の領国では「悪魔」の作った寺院や神社を破壊し、仏像を燃やし、僧侶を迫害し、領民を強制的にキリスト教に改宗させることが推奨された。
  • 西洋のキリスト教は日本の「天道」の教えと共通するものと受容されたが、キリスト教は日本人の宗教観と正反対の振る舞いをした。秀吉の伴天連追放令は「知恵の法にて志次第に」つまり個人の自発的意思でされるべき信仰を強制する姿勢を非難した。
  • 切支丹が邪教とされたのは、「あまり確かな根拠なしに想定されがちだったように、権力者を相対化するようなキリスト教の教義内容というよりも、日本古来の宗教との共存を拒否し、その撲滅をめざす、という行動様式である。」168p


5章 島原の乱と禁教

  • 島原の乱について単著がある著者だけに短いが説得力あるデータの積み上げでキリシタンと「日本宗」の宗教戦争としてこの戦乱を描く。そして両者に通底していた「戦国びとの宗教感情」についても。読後、深い悲しみに打たれた。


国家と宗教 むすびにかえて

  • 戦国時代の日本には、「天道」の観念のもと共存的宗教観が上下を分かたず共有されており、諸宗は「政教分離」的な原則を共有して活動していた。統一政権の成立はこの、見えない「国教」の成立と関連付けて研究されるべきではないかと。
  • 戦国時代、一種の国教(日本宗)とも言うべき共通の宗教的心性を育んでいた日本人は、史上もっとも先鋭化し排他的・攻撃的になっていたキリスト教と「不幸な出会い」をした。だがしかし、と感動的なクライマックス。メモを取りながらの読書で一日潰したが、それだけの価値のある骨太の力作だった。


というわけで、オススメです!※ちゃんとしたreview はソコツさんAmazon.co.jpに書いてます。そっちも読んでください。

宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ)

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