ブッダはどのように感覚に対処するか


18:30から、スマナサーラ長老の朝日カルチャー公開講座 初期仏教入門を聴講。「感覚」は、ブッダの「生命論」のキーワード〜人間の「感受性」を知り尽したお釈迦さま〜(2)2009-07-18 人は感受依存症 の続き。以下、ウィルコムAdvanced/W-ZERO3 esで取ったメモです。


ブッダはどのように感覚に対処するのか
〜苦しみが全滅する実践法〜

  • 前回の概略
    • 遺伝子のために生命は生きているのではない。
    • 体に細胞にある感覚によって、生きるという行動をしている。
    • 体という物体は、感覚製作所である。
    • 感覚に自力で感覚を作ることができるが、外の情報を入れることで新たな感覚をし続けるのです。
    • これが「生きる」ということになる。
    • 感覚は基本的に「苦」です。
    • ですから幸福、楽、楽しい、快楽的な感覚をほしがる。期待する。そのために努力する。
      • 生命がずーっと探しているのは楽しみ(sukha)。
      • そんなに必死に探し回っているのは、それが「ない」から。
    • しかし、努力によって得る感覚も苦。
    • 我々は、今の感覚を別な感覚に変える、だけで生きている。
    • しかし変えた感覚も苦なので、新たな感覚を期待する、要求する。「渇愛」が生まれる。
      • だから誰でも必死で生きている。
      • たとえ呼吸するときでもカツアイが機能している。
    • 渇愛によって得る感覚に満足できないので、さらに感覚が起こるという悪循環が生じる。
    • 生きるとは、感覚が感覚のために感覚を作り続けること。
    • 6の感覚器官で情報を感じることは、その情報を「知る」ことにもなる。
    • 感じることと「知る」ことは同時に生じる。
  • 感覚組合
    • 感覚とは知ることであり、感じることでもある。
    • 感覚があるから知るので、「知る」ことで感覚が生じるのです。
    • 眼耳鼻舌身意という6つの場所で、6種類の感覚を作る。
    • 「知る」働きは生命にとって巨大な力なのです。
      • 生命のエネルギーとは、知るエネルギー。
    • 知る機能は「識」viJJaaNa
    • 感じること、感覚は「受」vedanaa 
    • 知った情報は、「想」saJJaa
    • 感覚が感覚を要求することは、「行」saGkhaaraa
    • この4つは不可分離で一緒に行動する。
    • この4つは命を司る巨大なエネルギーです。
    • 残りは、物体だけ「色」ruupa
    • 生命によって、受・想・行・識の働き(中身)は変わります。
      • 生命の持つ知識、概念は生きるために欠かせないもの
      • 人間はどうでもいい知識、概念をたくさん持っている。よけい苦が増える。
    • 人間の想とは知識、概念などです。
    • 感覚を中心にして、生命は生きる。
  • 感覚から汚れた想へ
    • 感覚を得るために知る行為が起こる。
    • 正しく知る必要はない。感覚の刺激になれば充分。
    • 感覚の要求を満たすと、想は欲で汚れる。
    • 要求が叶わないと怒りで汚れる。
    • どちらとも言えないときは無知が生まれる。
      • 必ず感覚から心が汚れる。
    • 嫉妬、憎しみ、恨み、落ち込み、傲慢、見解、等々の汚れも起こる。
    • 生命にはそれで「よい」のです。
    • 刺激さえあれば「よい」のです。
    • 感覚は竜巻状態であることを期待するのです。
    • 感覚が絶えず続くことで、「死なない」という錯覚の安心感を得るのです。
      • 朝から晩まで忙しいと死の恐怖感がなくなる。忘れてしまう。
  • 「それで、いいのだ」
    • 感覚に不安不満という欠点があるが、
    • しかしそれは新たな感覚を作り出すための衝動になるので、「それで、いいのだ」という調子になる。
    • その衝動で起こる新たな感覚はさらに不安不満を作るから、無限に生きるために頑張れるのです。「それで、いいのだ」と生きる。
    • 悪循環を生きるのです。
  • 生きる目的:感覚に刺激を与えること
    • 科学、政治経済、宗教、哲学。芸術、文化、習慣、争い、戦争、等々のすべて、刺激を得るため。感覚のためです。
    • よく怒り嫉妬などの汚れも刺激を与えるのでそれでいい
    • 神のため、世間のため、会社家族他人のために、自分のために生きるのではない。
    • 感覚に刺激を与えるために生きている。
  • 無知:人生のナビゲーター
    • 生きる事自体は刺激の連続なのに、そこまで無茶をやって刺激をもとめる。
    • 感覚が感覚を絶えず起こすので、自給ですが、自足ではない。
    • 世界を制覇しようとして生きることで、たいした差がないのに、
    • 気づかないのが、オチです。
  • THE FINAL PRODUCT(完成品)
    • 生きるために食べるが、我々は食べるために生きている。
    • 体に服を合わせるのではなく、
    • 生きるための仕事ではなく、
    • 人のための宗教なのに、宗教のための人に変身する。
    • 原子爆弾で人類が破滅になっても、戦争で勝利を得たことを賛嘆する。
    • 刺激要求、感覚は我々を全面的に支配し奴隷化している。
    • 結局は刺激が刺激の奴隷です。
    • ですから、誰にもこの真理を発見できない。
  • 感覚の種類
    • パンチャカンガ工匠とウダーイー長老の対話。
    • 感覚の種類について議論が起きた。
    • 長老は2つといい、工匠は2つといった。どちらも負けたくない。
    • 釈尊は、「そのときのスタンスにあわせて感覚は1つだとも、2、3、5、6、18、36、108だとも説くのです」と答える。
  • 基本:三つの感覚
    • 苦、楽、不苦不楽
    • 倫理的にたいへん便利な分け方
    • 怒り、欲、無知の潜在煩悩がこの感覚によって繁栄する。
    • 一切苦なら、人は所為に執着しない。
    • 一切楽なら生きることに対して嫌悪が起きない。
    • 刺激なく大人しくいると、不苦不楽のせいで無明が繁殖する。
  • まとめ
    • 感覚という働きは一切を支配している。
    • 生きるとは感じることなので、「なくす」とは簡単に言えない。
    • まず危険なのは、感覚によって起こる、欲、怒りなどの汚れです。
    • それによって人は、「感覚狂い」になる。


■苦しみからの脱出 感覚の制御

  • 宗教の勘違い
    • 人の現実的な生き方を見る宗教もエゴ、欲、怒り憎しみなどは良くない性格だと知っている。
    • 対処方法として、体を虐めること(実は感覚の虐め)を推薦する。
    • 感覚を虐める(苦行)ことで刺激を得ても、苦が続くだけです。
    • こころは清浄にならない。感覚狂いが治らない。
  • 感覚は境界外(OUT OF BOUNDS)
    • 眼、耳、鼻など(身体)がある限り感覚は起こる。
    • 感覚が起こる課程は生きること。
    • 仏教は、苦、楽、不苦不楽の感覚の制御は管轄外なので放っておく。
    • 感覚によって生じる、貪瞋痴をまず制御する。
  • 感覚の制御順
    • 日常生活で、欲、怒り、無知の感情で行動することを抑える。
      • 怒ったら、何もしないこと。欲の炎が燃えたら、何もしない。
    • これは、倫理、道徳、戒なのです。
    • 眼・耳・鼻・舌・身・意に情報が触れると、異常な欲と以上な怒りが怒らないように制御する。
    • 美味しいものを食べたいなど、常識範囲の貪・瞋・痴ではない。
    • それから、知る・知識・概念・考えるという機能を見極める。
    • 各生命は、自分の都合で、捏造して知る。知識には、具体性、真理性、共通性、普遍性、客観性、合理性、理性がないのです。
    • それで、思考、妄想が怒らないように感覚のみを観察する。
    • それで、貪・瞋だけではなく、痴もいったん起こらなくなります。
      • 無知のcontrolをする方法は観察だけ。
    • 心に貪・瞋・痴のかわりに、不貪・不瞋・不痴が現れる。
    • 知識の代わりに智慧が現れる。
    • 壊しがたい無知・無明・痴は壊れてゆく。
    • 現象が無常であること、因縁によって絶えず現れること、自分・自我・魂という実体は成り立たないと発見する。
    • 感情の奴隷で、感覚狂いだったと発見する。
    • なんとしてで必死に死に物狂いで生きることは苦の連続に過ぎないと発見する。
    • 生きること、命に対する執着が結果として消えていく。
    • (こころは)解放される。
    • 解脱に達する。
    • それで一切の苦しみを乗り越えたことになる。
  • おわり

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