マハムニ母子寮の危機

毎日新聞11月30日号から5回シリーズで、バングラデシュの仏教徒村にあるマハムニ母子寮の現状を紹介する記事が掲載された。

バングラデシュはパキスタンとの独立戦争の末、71年に建国したが、その際に多くの遺児が生まれた。母子寮はそうした人々を救うため、76年、日本人僧侶・渡辺天城氏の手で作られた。渡辺氏が02年に死去すると、僧侶・福井宗芳氏が2代目代表となり、日本での寄付金集めに奔走した。だが、その福井氏も昨年10月に死去。自転車操業だった資金繰りは破綻(はたん)した。現在、日本人支援者が管理する運営基金から毎月約20万円が支給され、不足分を特定の支援者による臨時の寄付でつないでいるが、基金はあと2、3年で底をつく。

2存続危機のマハムニ母子寮

予想以上に厳しい現状が報告されている。福井和尚にはパティパダー誌への寄稿をお願いしたり、2006年6月の帰国時にはゴータミー精舎で講演してもらったりしたご縁がある。個人的にも「マハムニ母子寮」支援のため、毎月少額だがお布施をさせていただいている。来月からは金額を増やさなければと思った。しかし、

日本人僧侶の福井宗芳氏が亡くなり、存続の危機に立たされたバングラデシュのマハムニ母子寮。33年間にわたり貧困家庭の子どもたち2000人以上を救ってきた。専門学校などに進学し立派な社会人となった卒寮生も多い。だが、寮の運営を支援する卒寮生がほとんどいないのも実情だ。
(中略)
 実は象徴的な出来事があった。母子寮のマネジャー、ノトゥ・ムツドイさん(39)に、できるだけたくさんの卒寮生に集まってもらうよう呼びかけてもらった。「20人は集まる」と予想していたが、実際にはわずか2人だけだった。1人は約30年前、毎日新聞のキャンペーン報道で「鉛筆の少年」として登場したルーパヨン・ボルワさん(39)。もう1人は日本滞在経験があり、現在は薬局を経営するチョンドン・ボルワさん(39)。チョンドンさんが寂しそうに語った。「みんな、寮に来たら寄付をしなくちゃいけないことが分かっている。だから寄りつけないんですよ」

4「寄付しなくちゃ」心の負担に

という現実は寂しく、厳しい。

バングラデシュを知るための60章 エリア・スタディーズ

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