桜井哲夫『一遍 捨聖(すてひじり)の思想』平凡社新書(2017年に読んだ仏教本より)

Twitterで書き散らしていた読書メモまとめ。その3は桜井哲夫『一遍 捨聖(すてひじり)の思想』平凡社新書です。

一遍 捨聖の思想 (平凡社新書)

一遍 捨聖の思想 (平凡社新書)

 

仏教のなかで「浄土教」という教えがどのように形成されてきたのか、インド、中国、日本へと繋がる系譜をたどりながら、その流れのなかで「一遍と時衆」の思想を再考しようという試み

第1章:浄土教のルーツを求めて 第2章:日本における浄土教の展開 第3章:一遍と時衆 第4章:「一遍上人語録」を読む、という構成。詳細目次は版元ページに載ってます。

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再来年が一遍亡き後時宗(時衆)教団を結成して二祖真教(他阿)の入寂から700年に当たるので、一遍と時宗に関する出版が増えるようです。高校時代からの一遍好きとしては嬉しい限りで、本書も楽しく拝読しました。(なんせ仏教書ベスト3に『一遍上人語録』を入れてますからね。)

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日本史の流れの中で浄土宗や真宗に概ね吸収されてしまった多様な阿弥陀信仰と「聖(ひじり)」の系譜をインドから続く2000年以上の宗教思想史に位置づけようという企図は素晴らしいと思いました。

第2章では最近の研究を踏まえ、親鸞の出自(源頼朝の親類説)や結婚歴(玉日姫論争)についてまで詳しく紹介されています。また、最近、講談社学術文庫に入った竹村牧男『親鸞と一遍 日本浄土教とは何か (講談社学術文庫)』も複数回引用されてます。僕も読みましたけど、碩学にしてはなかなかエモい浄土教論でしたね。

それに対して、一遍に直接的な影響を与えたはずの証空(證空)と西山義(西山浄土宗浄土宗西山派との関係については記述があっさりしすぎているように思います。一遍は思想的に西山義(証空の思想)を乗り越えた、という結論だけが強調されます。

しかし、第4章で一遍語録から「念仏の下地をつくる事なかれ」の言葉が引かれています、この言葉は證空の「白木念仏法語」(『法然上人絵伝』収録)と強く響きあっていると思います。

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一遍の思想に証空とその教えがどう影響を与えたのか? 親鸞の嫁さんの話なんかよりそっちを詳しく知りたかったというのが正直な感想です。

これは一遍の思想というより仏教の基礎知識ですが、第4章の「百利口語」解説(p190)で、生老病死の四苦のうち生苦について「生きる苦しみ」と誤った説明をしているのが大変気になりました。

生苦(jātidukkha)の正しい意味は、「生まれる苦しみ」あるいは「生まれることの苦しみ」(大辞泉)です。江戸時代に編纂された注釈書、俊風『一遍上人語録諺釋』(大日本仏教全書66巻)でも当該箇所は「生まれる苦しみ」であると注釈されています。

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これは単純ミスと思うので、増刷時に訂正を願いたいところです(未確認)。仏典の説明では、生苦とは「生命は受胎してからずっと胎内で激しく苦しんで、胎外に排出されるときも激しく苦しんで、出産後も胎内との環境変化でまた激しく苦しむ」ことです。『法苑珠林』の説明はなかなかエグいです。

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~生きとし生けるものが幸せでありますように~

 

おまけ: