大念処経(だいねんじょきょう)とは?

大念処経(だいねんじょきょう)とは?

大念処経 (初期仏教経典解説シリーズ)

大念処経 (初期仏教経典解説シリーズ)

 

 大念処経(だいねんじょきょう Mahāsatipaṭṭhānasuttanta)はパーリ経典の長部(ディーガニカーヤ)の第22経です。クル国カンマーサダンマで比丘サンガに説かれました。長部で唯一、修道法を主題とした経であり、四念処の実践に関する様々な経説を網羅しています。

四念処とは身体(身)、感覚(受)、心、覚りに関わる真理(法)という四つの側面から念処(satipaṭṭhāna)即ち「気づきの確立」に至る修道であり、「涅槃を見るための一道」とされます。本経の総説にあたるフレーズ「ここに比丘は、身において身を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて、住みます。諸々の受において……。諸々の心において……。諸々の法において……。」は、相応部大篇念処相応はじめ念処を説いた多数の経に共通します。

身念処は出息・入息、威儀、正知、厭逆(不浄)、要素(四大)観察、九墓地(死体)。受念処は9種の感覚。心念処は14種類の心。法念処は五蓋、 五蘊、十二処、 七覚支、 四諦に分けて説かれる。ブッダは結論として、四念処を熱心に七年乃至七日修習すれば現世で完全智(阿羅漢果)または不還果に至ると説きます。

本書は、この大念処経の全文をパーリ原典から紐解き、完全解説したものです。スマナサーラ長老のまえがきに、本書の特色が示されていますので、引用します。

 衆生にとって、(こころの)清浄に達するための、愁い悲しみを乗り越えるための、苦しみと憂いが消えるための、正理を得、涅槃を目のあたりに見るための唯一の道である、『Mahāsatipaṭṭhānasutta(大念処経)』を読んで、理解してみましょう。原文を読んで理解できるならばそれに越したことはありませんが、現代人の世界観は昔と変わっているので、簡単に理解できて納得いけそうにないのです。というわけで、うるさく感じるほど延々と、大念処経について解説いたしました。解説は決して絶対的なものではありません。いろいろな角度から解説できるからです。本書では、お釈迦さまの教えを実践する方々に焦点を合わせて説明したのです。実践することを念頭に置いた解説なので、学術的な注釈にはならないと思います。

 実践する方々は、この経典の内容をすべてそのまま実践しなくてはいけないと思う必要はありません。人々には、さまざまな性格、さまざまな能力、さまざまな好き嫌いがあるものです。完全に同一の生命は存在しません。しかし、生きるという衝動はみな同じです。生きかたがそれぞれ変わっているだけです。お釈迦さまの教えは、すべての生命に適用できるように普遍的な立場で語られているのです。いかなる人間にも、自分の性格と生きかたに適用する教えを見つけることができます。大念処経の場合も同じです。実践する方々には、自分個人に適用できる教えを見つけられるだろうと思います。しかし、実践は身・受・心・法という四段階になりますので、終わりまで読んで理解することが必要になるかもしれません。納得がいかないところ、疑問に思われるところなどを見つけたならば、そのまま信じる必要はありません。さらに調べてみたほうがよいのです。

日本テーラワーダ仏教協会機関誌『パティパダー』での約五年間におよぶ連載をまとめた本書をガイドに、ブッダが説かれた覚りへの道を疑似体験してみましょう。『大念処経』は当分、電子書籍化される予定はありません。ぜひずっしりとしたリアル書籍で味わっていただければと存じます。

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~