お釈迦様の仏教とはどんなものか?(スマナサーラ長老の法話より)

冥想会での質疑応答メモ 2011年11月27日名古屋・崇覚寺にて

アルボムッレ・スマナサーラ長老

お釈迦様の仏教とはどんなものか?

争いの世界で争わずに生きる方法、怒り憎しみの世界で怒り憎しみ無しに生きる方法、それを仏教は教えているんです。「食うか食われるか」という世界で、それから離れて生きる方法を教えているんです。世の中では、「自分が食う側にいればいい」と思うかもしれません。しかし、食うか食われるかの世界で一貫して「食う側」にいられることはあり得ません。

憎しみの世界で、憎しみは嫌だなと思う人がいれば、仏教はそのための方法を教えてあげる。殴られたら殴り返すぞという人に仏教は要りません。勉強する時間もなく死にますからね。

仏教は、殴りあいの世界で殴ることから離れて生きる教えです。殴り返すことでも、もう片方の頬っぺたを差し出す事でもないんです。それでは殴ろうという気持ちが消えない。仏教は、殴ろうとする人に殴る気を無くさせる教えです。奪おうとする人に、奪う気を無くさせるような教えなんです。

いまだに人類は「目には目を」の世界に生きています。食うか食われるかの世界で、それに関わり無く穏やかに生きる方法が仏教です。そのように生きたいと願っている人がいたら、皆さんも教えてあげる。教える能力がなければ、知っている人に紹介してあげればいいでしょう。

しかし仏教は宗教として生き延びたいと思っているわけではないのです。「妄想するよりは、真理を知った方がいいいでしょ?」というだけ。べつに宗教を広げたい気持ちはないんです。信仰のために戦争でもやれ、というのが宗教です。仏教はどうしても広げたいという教えではありません。「この薬を飲んだら治りますよ」と言うが、「飲め!飲め!」と迫ることはない。お釈迦様の仏教とは、そういうものです。

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テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え

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