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智慧に目覚める ~ブッダの教えとは何か?~(スマナサーラ長老の法話より)

2012/11/25 長崎県川棚町"姿斉[SHISEI]"での講演『智慧に目覚める』

アルボムッレ・スマナサーラ長老

・人間って変です

人間、変ですね。何がって、ほとんどの人は、いい人間でありたいと思ってるんです。99%そう思ってるなら、世界中みないい人間になれば話は終わりです。ですが、世のなかにいい人間はまれなんです。人は自分の親と喧嘩する。鬼という。子供から見ると親は鬼に見えるんです。ほんとはいい人間ですけど子供からみれば……。世の中みんなそうなんです。嘘つきになりたくないが嘘をつく。平和に生きたいが戦争ばかり。自分たちの教えは平和の宗教だといって自爆テロをする。我々は変ではないでしょうか?

・しきたりで無理やり調和をたもつ国

日本人は世界で珍しく行儀いい平和な国ですけど、アメリカではちょっとカバン置いても盗まれる。日本は平和で生きやすい世の中ですけど、ストレス溜まって皆さんにとっては生きづらい。どこでというと、行儀作法が厳しい。お歳暮中元、冠婚葬祭、きまりがいっぱいあります。親戚関係も、年賀状も。日本で年賀状いつから始めたのでしょうか? 伝統ではなくて、郵便局にやられているだけでしょう(笑) でも何千枚も必死で年賀状をかく。いっぱいしきたりがあって、無理やり平和で調和を保ついい人間にさせている。これがストレスになっているんです。でも、これを無くしたら、たちまち変な人間に変わってしまうでしょう。平和なのは、しきたり習慣で無理に抑えているからです。

・幸福を目指して不幸になる道を歩む

人間は、嘘つきたくないがうそつく、泥棒したくないがごまかし、怒りたくないが喧嘩する。また一人で悩む。あべこべの方向に努力する。山に登りたい人が海に行くようなものです。お釈迦様はこう言っています。「生命は幸福を目指して必死で不幸になる道を探しては歩むのです。」しかも、面白いことにそれに気づかないんです。それで、失敗したら悩むんです。子育てにしても、いい人間になってほしいと思ってだらしない人間になるような育て方をする。あべこべに気づかないんです。頭に入らないんです。子供のやる気を引き起こすという仕事を親はしないんです。(長老のお母さんは成績表を見ようともしなかったが。)子育てでもやってはいけないことをやっているのに、それに気づかない。頑張って欲しいのに、怠けてしまう雰囲気を作ってしまうんです。

・期待する道と反対方向へ行く

憶えておきましょう。人間は誰でも期待する道と反対方向へ行くんです。みな幸福になりたい。それを、健康になりたい、長生きしたい、金持ちになりたい、美人になりたい、と勘違いしてます。ほんとは幸福になりたいんです。穏やかに平和に楽しく生きていきたいんです。私たちは希望を立てる時でもおかしいんですね。釈尊は生命を観察して、幸福になりたいのだと気付いたのです。独裁者たち、なぜああなりたがるのでしょうか? あまりにも勘違いです。ヒットラーも、フセインも、鼠のように隠れて死にました。はた迷惑なだけで大した結果にも達していないんです。 

・原始脳と大脳

そうなっている理由は? 脳を使って説明します。人間にも動物にも共通する原始脳があります(トカゲ脳)。どんな動物にもある脳です。ネズミにもあります。原始脳には、何も考える力はないんです。大脳が原始脳にのっかって思考しています。大脳は原始脳によって管理されているんです。原始脳には善悪判断はありません。生きていきたいだけです。でも眼耳鼻舌身を使わないといけない。それは大脳が管理しているんです。生きていきたいと思ってもそう簡単に生きていけない。獲物を取ろうと思って自分が獲物になる確率もある。世界には、生きられない条件だらけです。大脳はそのことを一応知ってます。それで原始脳はすごく怯えるんです。みな恐怖感を持って生きているんです。生きていきたい、死にたくないといいう。理由はない、理屈はなしです。それで外界を見る時、敵と味方に分けてしまうんです。みなイルカを可愛がっているでしょう? イルカは人に危害を与えないからです。そこにサメが来たら逃げる! 我々は正しくものを見て生きているのではなくて、敵味方に分けるんです。そこで見えるのは、味方の数は取るに足りません。敵ばかりです。同じ人間さえ敵ばかりです。

・「智慧に目覚める」とは原始脳に勝つこと 

我々があべこべで生きているのは、原始脳で生きているからです。敵は殺したいと思っているんです。ライバル会社は火でもつけて燃やしたいと思っているんです。大脳は善悪判断します。そこで、原始脳の命令を受けて葛藤するんです。悪いことは簡単にするが、善は考えて考えてやっとしているでしょう。この悪徳政治家を追い出したところで葛藤がなくなるんです。嘘をつけない人間になるんです。怠けられない人間になるんです。「死にたくない? そんなアホな」という(理性的な)人間になるんです。原始脳の命令はもう効かなくなるんです。我々の人生を支配していたのは原始脳です。その支配を脱すること、つまり「智慧に目覚める」というのは原始脳に勝つことです。「とにかく生きていきたい」という原始脳に勝つと、心の安らぎ落ち着きが生まれるんです。それがどんどん智慧が生まれることです。大脳をどんどん使うんです。使ってない80%を悟りを開くために使うんです。

・ 「人間を超えなさい」とブッダは言う

原始脳に乗せられた状態で知識を増やしても役に立ちません。生きるのが苦しくなるだけです。原始脳が(大脳を使って)作った知識で人生はハチャメチャになるんです。動物は余計な知識がないから必要な栄養を入れたら落ち着いています。人間は食べ過ぎで臓器も壊してしまう。釈尊は「人間を超えなさいよ」と仰るんです。人間を生き物として見ると、人間ほど残酷で理不尽な動物はいないんです。戦争する熊とかいないでしょう。魚は共食いだが自分の種類は食べないんです。取れるんだからと取れるだけ取ることしない。海の生命が枯渇するほど取るのは誰? 戦争する、大量破壊兵器つくる、親の財産めぐって兄弟で争う。人間とは何なのでしょうか?これほど醜い生命があるでしょうか?

・ブッダの教えと脳科学 

仏教は良い人間になりなさいとは言わないんです。「人間を超えなさい」と言うんです。脳で例えれば、脳をとことん開発しなさいよ、と。不幸になるプログラムを捨てて、幸福に生きられるプログラムに書き換えないといけないんです。仏教は脳科学でも何でもないのに、しかし驚くのは、釈尊の教えと最新の脳科学を比較するとピッタリ合うんです。Buddha's brain 脳を開発・成長する方法はブッダしか説かれていません。不浄瞑想には脳が入ってます。それだけです。なぜ脳に言及しなかったのでしょうか?仏教は生命学なんです。脳のない生命もいます。生きるという観点で見ると、脳はいらないんです。追加された臓器に過ぎないんです。アメーバには脳は無いがしっかり生きています。心は脳だというのは間違いです。生きていることが心なんです。

・俗世間の知識は「餌探し」の延長 

これまで世の中にない教えなんです、仏教は。一般の知識は当てにならないんです。(一般の知識とは)原始脳にやられて作ったものです。動物の「餌探し」の延長でできたものに過ぎないんです。知識はすべて汚れています。「人間だけ唯一優れた存在である」という汚れた思考から始まっているんです。「何か人間の役に立つことはないのか」という、その視点で他の動物も研究するでしょう。だから他の動物にとっては残酷なことになるんです。動物実験で動物を苦しめて薬を作っている。人間も結局それで不幸になるんです。金儲けのためです。金儲けが餌を探す手っ取り早い方法だからです。しかし、そうやって知識をためても良い人間にならないんです。性格が最悪になるだけです。これは日本だけの問題ではありません。世の中ひとつもうまく行っていないんです。政治家になってはいけない人が政治家になる、管理者としては最悪の人が管理者になる、経営者としては最悪の人が経営者になる、という具合です。職場では、人のやる気を片っ端から壊しています。世界は何とか破滅しないで済んでいるのは、一人一人が生きていきたいと思って身を守って頑張っているからです。やっぱり殺したい放題殺したら自分も生きていけないから控えているんです。それがなかったら世界は破滅です。

・人間としての特別な仕事 

釈尊は「人間を超えなさい」と言いました。脳が心ではないんです。しかし我々の肉体は臓器のパートで分かれているんだから、見たり聞いたり考えたりする場合は大脳になっています。小さくても大丈夫なのに、なぜ大きな脳があるのでしょうか? 我々は業で生まれます。人間だけ大きな脳がつけられているんです。人間としての特別な仕事は、「輪廻から解脱しなさい」ということです。犬にも、神々にもそのチャンスないんです。人間には超人になる能力があるんです。

・生きる苦しみについて 

我々は生きることは楽しいと勘違いしているんです。原始脳のカラクリで、自分に都合のいいものは可愛くて、都合の悪いものは気持ち悪い、と反応する。しかし「生きられない」条件の方が生きられる条件よりもはるかに多いんです。生きることは常に不安です。単細胞はずっと動いています。動かずにはいられない何かがあるんです。苛立ちを無くすために動くんです。単細胞は寿命が短いんです。それで死んで二つの細胞に分裂します。何かしなくては死にます。呼吸しないと死ぬんです。死ぬのはいいけど、それは苦しみになるんです。ちょっとでも呼吸を止めると、いてもたってもいられない苦しみになるんです。何かし続けないと生きていられないんです。限りなく立ったり座ったりしないといけないんです。一日中何も見ないでいることはできません。脳が勝手に幻覚つくって、超能力だと思い込んだりします。麻原彰晃や他の宗教家もそれで聖者になりあがるんです。

・宗教のお仕事 

人を騙すことが宗教の仕事です。人間は、騙して貰わないと不安で仕方が無いんです。死ぬ恐怖があるんだから。みんな勇気がないから事実に直面できないんです。なぜ全知全能の神は、精神異常者にしかコンタクトしないのでしょうか? しかし、我々は永遠の天国があるという言葉を聞きたいんです。人を騙していい気分にさせる、叶わない希望を抱かせる、というのが宗教の仕事です。それも数千年のノウハウ蓄積があるから、あらゆるマインドコントロール手段を使っている。その呪縛から抜け出すのはたいへんです。日本人も結婚式は教会でやらないとちょっと気分が落ち着かないくらいまでやられています。人間が「私に暗示をかけてください、マインドコントロールしてください、見解を汚してください、自分で物事を判断できる能力を奪ってください」と頼むのだから。

・仏教は心の科学 

仏教はそういう宗教ではなく、現代科学でもなく、心の科学、生命科学です。原始脳に打ち勝つことに、智慧というのです。理性の生き方を発見すること、それを智慧というのです。智慧とは最終的に「一切は無常である、苦である、無我である」と発見することです。それで原始脳に仕事なくなるんです。大脳にも仕事なくなるけど、人助けのために、人々の幸福のために、生命のために尽くすために使う、そういう生き方に変わるのです。

・道徳に例外はない 

仏教の道徳と、宗教の道徳は項目は似ていても違うものです。宗教の聖書ははじめから虚偽でしかありません。戦争の裏には宗教の影があるんです。「我を愛せよ」という強烈なエゴがあるんです。そして例外があります。動物は殺してもいい、信仰しない人間も殺していいんです。仏教の道徳は科学的で、自分だけ偉いという原始脳の衝動を弱めるために教えているんです。ですから、道徳に例外はありません。「殺すなかれ」と言えば、どんな生命も例外なく殺してはいけないんです。そこで[人間を超えるという]大変な世界が現れてくるのです。(おわり)

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智慧は人生の羅針盤 (お釈迦さまが教えたこと)

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~生きとし生けるものが幸せでありますように~